キリスト教エッセイ 三流エッセイストの星さん 「はぁ~」とため息が出てしまう。今日、何気なく読んだマルティン・ルターの本に、ルターが修道院時代に聖書の詩篇を一日に50編読んでいたという話があって、すぐ影響される星は「それなら詩篇読んでみようか」と思ったのだ。そこまではいい。問題はそこか... 2022.05.01 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ わたしのことを忘れないで 「わたしのこと忘れないでほしい。」 忘れられること。自分がすべての人の記憶から忘れ去られる日がいつかはやってくる。自分が死んで30年後?、50年後? こんなことをふと思ってしまったのは、バッハを聴いていた時だった。バッハは偉大な人で今でも人... 2022.04.29 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 無人島に1冊だけ本を持っていけるとしたら 欲深い執着だらけの毎日を送っております星です。などと自己紹介にもならないような言葉を発して、今日は何のお話かというと、無人島に1冊だけ本を持って行けるとしたら、というお話なのだ。 この質問はなかなか、その人の本性というか本音が見えてくるから... 2022.04.28 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ いつも喜んでいなさい 分かっている。分かっているんだけど、なかなかできない。それが、いつも喜んでいることだ。いつも喜んでいるだなんて脳天気人間じゃあるまいし、と思われた方もいることだろう。しかし、この言葉は聖書の言葉なのだ。 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りな... 2022.04.25 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 何だ、お前かよ 今日は日曜日。教会の礼拝へ行ってきた。それも母も一緒に、なのである。 母と一緒に教会へ行く。これはわたしが待ち望んでいたことだった。昨年の11月を最後に母の体調が悪化して、それからというもの、一人で礼拝に出掛けていたのだ。だから、こうして二... 2022.04.24 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 寄り添う 寄り添うことは大切なこと。しかし、なかなかこれができないんだ。わかってはいて、頭の中ではせねばって思っているのに、寄り添うの「よ」の字すらできていない。 世の中が殺伐としてきている。何か、こう自分が大切にされていないように思えて仕方がない。... 2022.04.23 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ ネガティブな話ではなくて 今日、教会で集会があった。それは自由にフリートークをして語り合う趣旨の会で、参加者は6名といったところ。 わたしはその会に出掛ける前に祈っていた。「どうか、無事に最後まで参加できますように」って。わたし自身、気持ちのムラが激しいのと、精神的... 2022.04.21 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ わたし、ブレてる? 今から何をやろう。時々、迷う星である。自分の軸はしっかりしているつもりだけれど、それでも迷う。あの人はこれをやることをすすめていて、また別の人はこれをすすめている。さて、また別の人は……、と人の数だけおすすめがあり、流されやすいわたしは迷っ... 2022.04.07 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ メンタルが豆腐のわたしと神様 最近は比較的、平和な日々を送れているので誰かから批判されることはないのだけれど、それでも自分の意見が批判されるとグサっとくる。これはなぜだろうか、と考えてみると自分の意見が批判されるとわたしは自分という存在、つまりはわたしという人格までも批... 2022.04.05 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 教会の将来について思う 先週、疲労のため礼拝をお休みしたので、2週間ぶりの教会だった。意気揚々と礼拝に出席した星だったけれど、説教を聞いていたらものすごく疲れてきた。久しぶりの説教ということもあったのだろう。しかし、それにしてもこの疲労感は一体何? もちろん説教... 2022.04.03 キリスト教エッセイ