キリスト教エッセイ いつも喜んでいなさい 分かっている。分かっているんだけど、なかなかできない。それが、いつも喜んでいることだ。いつも喜んでいるだなんて脳天気人間じゃあるまいし、と思われた方もいることだろう。しかし、この言葉は聖書の言葉なのだ。 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りな... 2022.04.25 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 何だ、お前かよ 今日は日曜日。教会の礼拝へ行ってきた。それも母も一緒に、なのである。 母と一緒に教会へ行く。これはわたしが待ち望んでいたことだった。昨年の11月を最後に母の体調が悪化して、それからというもの、一人で礼拝に出掛けていたのだ。だから、こうして二... 2022.04.24 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 寄り添う 寄り添うことは大切なこと。しかし、なかなかこれができないんだ。わかってはいて、頭の中ではせねばって思っているのに、寄り添うの「よ」の字すらできていない。 世の中が殺伐としてきている。何か、こう自分が大切にされていないように思えて仕方がない。... 2022.04.23 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ ネガティブな話ではなくて 今日、教会で集会があった。それは自由にフリートークをして語り合う趣旨の会で、参加者は6名といったところ。 わたしはその会に出掛ける前に祈っていた。「どうか、無事に最後まで参加できますように」って。わたし自身、気持ちのムラが激しいのと、精神的... 2022.04.21 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ わたし、ブレてる? 今から何をやろう。時々、迷う星である。自分の軸はしっかりしているつもりだけれど、それでも迷う。あの人はこれをやることをすすめていて、また別の人はこれをすすめている。さて、また別の人は……、と人の数だけおすすめがあり、流されやすいわたしは迷っ... 2022.04.07 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ メンタルが豆腐のわたしと神様 最近は比較的、平和な日々を送れているので誰かから批判されることはないのだけれど、それでも自分の意見が批判されるとグサっとくる。これはなぜだろうか、と考えてみると自分の意見が批判されるとわたしは自分という存在、つまりはわたしという人格までも批... 2022.04.05 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 教会の将来について思う 先週、疲労のため礼拝をお休みしたので、2週間ぶりの教会だった。意気揚々と礼拝に出席した星だったけれど、説教を聞いていたらものすごく疲れてきた。久しぶりの説教ということもあったのだろう。しかし、それにしてもこの疲労感は一体何? もちろん説教... 2022.04.03 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ みんな違ってみんないい わたしたちは言うまでもなく、自分のやっていることが正しいのだと思っている。あるいは、そこまで思えなくても思いたいものだと願う。自分のやっていることが100%誤りであって間違っているのに、それをやっている人というのはあまりいないのではないか、... 2022.03.30 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 残そうとしなくても残してるよ-内村鑑三『後世への最大遺物』を読んで Yさんからぜひ読んでください、とのことで、星さん早速注文して読みましたよ。内村鑑三『後世への最大遺物』読了!! 星さん、真面目、律儀、几帳面。ちゃんと読むところが偉くない? って自分で言っちゃう。 いやぁ~、何ていうか引き込まれましたよ。面... 2022.03.25 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ ぬるま湯 今は朝の5時。さっきまでお風呂に入っていた。風呂はいい。たしか新世紀エヴァゲンゲリオンの劇中で「風呂は命の洗濯よ」と葛城ミサトが言っていたことを思い出す。命の洗濯。なかなかうまいことを言っているなと思う。実際、心の中の汚れが洗い落とされてい... 2022.03.25 キリスト教エッセイ