ネガティブな話ではなくて

キリスト教エッセイ
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 今日、教会で集会があった。それは自由にフリートークをして語り合う趣旨の会で、参加者は6名といったところ。
 わたしはその会に出掛ける前に祈っていた。「どうか、無事に最後まで参加できますように」って。わたし自身、気持ちのムラが激しいのと、精神的に不調になることが結構あるので、最後まで参加できますように、というのは最も願うことなのだ。「誰かを傷付けるようなことを言ってしまいませんように」「楽しい会になりますように」。そんな調子で5、6分祈りを捧げたのだった。
 その祈りが聞き届けられて楽しい会になるのかと思いきや、なぜか話題が明るくないのだ。もちろん、明るくもなければ暗くもない中立的な話題もあったのだけれど、それでもわたしにはその暗い話題が気になって仕方なかった。
 人生生きていれば楽しいことばっかりじゃない。暗いことに目が行ってしまうのは仕方がないんじゃないの? 気持ちは分かる。しかし、月に一度のおしゃべりタイムであえて暗い話題について語り合わなくてもいいんじゃないかと思う。無理に明るくする必要もないけれど、それでもなぜか、その会の空気がどこかもったいないような気がした。わたしは何もそこに参加していた人々(わたしを含む)を批判したり、非難したりする気持ちはないし、この文章にそうした意図はもちろんない。けれど、せっかく集まったんだからさぁって思ってしまった。
 そんなことを考えていたわたしは、明るい話題やいい話をすることに徹した。わたしはおもにふたつの話をした。牧師がわたしに話を振ってくれたので、思っていることを話した。祖母の最期のこと、それからモンシロチョウの話。祖母のことについては、悪態をつくようなどうしようもない人だった祖母が病を通して変えられていって、最期には感謝の人として「ありがとう」とひたすら言いながら亡くなっていった。そんなことをみんなの前で言った。すると牧師は「最期に訳わかんなくなってもめて終わるケースもあるから本当良かったですね」みたいなことをわたしに言う。そうなのだ。わたしの場合は、本当に恵まれているハッピーエンドだったのだ。その幸福をわたしはかみしめた。その次にはどんな話をみんなでしたのか、忘れてしまったけれど、その間にもいろいろな話があって、また牧師がわたしに「星さん、まだ何か話し足りないことありますか?」と話を振ってくれたのでわたしは嬉しそうにモンシロチョウの話をしたんだ。モンシロチョウの話をした途端、場の空気が一気になごんだなぁ。ウクライナでの戦争にプーチンの独裁に親しい人の死。それらネガティブな話をしていても、ふっとモンシロチョウがやってくると平和が訪れる。戦争中だって、ちょうちょは飛んでいる。会に訪れたつかの間の平和。それがわたしのモンシロチョウの話だったように思う。どんなに人々が暗い気持ちになっていても、あのモンシロチョウのひらひら飛んでいる様子を想像するだけで、心がひとときであれ解放されるもんなんだよ。
 もしかすると新聞もろくに読まず、テレビも一切見ないような情報難民的な生活を送っているわたしだからこそ、世間のノイズというかブラックな話題から距離を置くことができていて、心が平和でいられるのかもしれないなって思う。ウクライナの話も大切だ。コロナの話も大切だ。でも、それと同じかそれ以上にわたしたちの日々のささやかな暮らし、つまりは日常も大切なんじゃないか。もちろん国際情勢に無頓着でいるのは良くないことかもしれないけれど、それ以上に自分の暮らしを充実させることが大切だとわたしは思う。まずは自分を満たす。そして、その上で余力があったら、困っている人を助ける。それくらいのスタンスでいいとわたしは思うのだ。だから、まずフリートークをする集会では、楽しい話をできたらと自分自身願っているし、希望するのだ。
 まぁ、教会の人たちが今まで通りだとしたら、わたしが変わったということなのかもしれないな。わたしが、明るく、楽天的になり、希望を好むようになったのかもしれない。どうせ生きるのなら不幸であるよりは、幸福でいたいし、楽しく生きたい。それが軽薄かもしれないけれど、わたしの生き方の根幹をなしているようだ。
 もっと言うなら満たされていない人には誰か他の人を満たすことは難しいんじゃないかとも思う。自分がいっぱいになって満たされているからこそ、それを不足している人に分けてあげることができる。だからこそ、楽しく生きていった方がいいのだ。幸福を目指してやっていくのがいいのだ。そうして自分が幸せになれば、それをお裾分けしたくなるのが人間というもの。それが自分が不幸だとお裾分けするどころか、自分よりも幸せな人を羨んだり、妬んだり、最悪、引きずり下ろして破滅させたくなってくる。だから、自分を満たすことがまずは必要だと思うのだ。
 自分を満たす。そのためにも明るい話題を常日頃からふりまいていた方が断然いい。なぜなら、やはり「ことだま」というものは存在するからだ。いつもネガティブな話ばかりしている人と、それとは反対にポジティブな明るい話を努めてしている人とでは、後者の方が断然いい精神状態でいられるのはもちろん、幸福だっていい言葉を使っている人のもとに燦々と降り注がれると思うからだ。とは言いながらも人間、ネガティブな話をしたくなる時もあるだろう。でも、そういう話は必要最低限にしておいて、あとは明るい話題で盛り上がるのだ。それくらいがいいと思うな。
 世の中が暗くなればなるほど、心を明るくしてくれるような話が求められる。わたしは文筆を通して、そういった活動にコミットできたらと思っている。「星さんの文章読んだら気持ちが前向きになりました」とか「星さんのエッセイ読んだら少しほっとしました」とか言ってもらえるような文章を書いていけたらいいな。で、あわよくば商業的にも成功したい(ってそれ言っちゃあダメだろ)。あ、心の声が。ま、それはともかくとして明るく人生を歩んでいきたい星である。
 明るく行きましょう。人生は苦しいことやつらいこともあるけれど、それ以上に楽しいことや心躍ることがあるし、それらはあなたを心待ちにしている。
 世界が平和に、そして、みんなが幸せになりますように。

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