自己紹介

固定ページの「自己紹介」(https://hoshi3.net/jikoshoukai/)を新しく書き直したのですが、読んでもらえていないようですので、ここにも同じ文章を掲載したいと思います。長文ですが、わたしの人となりが表れていますので、読んでいただけましたら星のことがさらにわかっていただけるかと思います。

自己紹介

 1983年静岡生まれで静岡育ちの生粋の静岡っ子。性別は男性。2018年のクリスマスに受洗。

 わたしの生まれた場所はさくらももこの「ちびまるこちゃん」の物語の舞台でもある場所あたりで、ちびまるこちゃんを見ているととても懐かしいのです。あの地域がわたしの幼少期を過ごした場所なのです。だから、ちびまるこちゃんの世界が他人事とは思えないのです。もちろん、あの物語の時代よりも後の時代にわたしは生を授かったわけですから、あの通りではないのですが、街の感じが本当に懐かしくてたまらないのです。
 そして、幼稚園の年中さんあたりで、今も住んでいる静岡県某市へと引っ越すわけなのですが、幼稚園のころが人生で一番のモテ期でした。それから、あそこまでモテたことはないのです。最高にモテたあの頃、わたしは幼稚園で毎日何をやっていたかと言いますと、おままごとです。もうお分かりかもしれませんが、女の子と幼稚園がある日は連日おままごとをしていたのです。そして、二人の女の子に挟まれて二人から「大きくなったら結婚してほしい」とせがまれていて、熱烈なラブコールを受けていたのです。それは、それは幸福な毎日だったろうと思います。でも、わたしはそのおままごとをしていた様子をほとんどぼんやりとしか記憶していなくて(仕方のないことかもしれませんが)、母から「幼稚園のころは女の子二人にに囲まれていたよね」と言われてそうだったことをまるで初めてかのように認識するに至ったという次第なのです。
 そして、某市に引っ越してきたわたしでしたが、それからは特にモテることもなく現在にまで至っているという感じです。
 引っ越してきたわたしは地元の公立小学校に入学しました。と、そこで1年生の時、強烈な担任に受け持たれてしまいます。まさにボスザルのようなその先生と呼ぶこともふさわしくないような独裁ぶり支配的な問題ありの学級運営によってわたしを含む子どもたちが傷つけられたのです。わたしはいまだにその後遺症で人に物を借りることが苦手ですし、(人と物の貸し借りをすることを「小さな親切、大きなお世話」とその教師は罵倒した。)人間の価値はテストの点数によって規定されるものだということを頭の中ではもう否定できるようになってきてはいるのですが、それでも深層心理的なものとして刷り込まれてしまっているようで、どこか条件付きの承認を小さい頃から教え込まれたようで、それが今のわたしの自己肯定感の低さのベースを形成しているのではないかと思ったりもします。
 「承認されるためにはよい子でいなければならない」と言語化こそできなかったものの、要するにそういうことではないかと感覚的に感じていたように思います。両親もわたしがテストでいい点を取ったり、学期末の成績表でいい成績を取ると大変喜んでくれましたので、わたしは夢中になって勉強をしました。勉強が楽しいと言うよりは承認を得るためです。承認を得るために勉強を頑張ったのでした。
 小学生時代では同級生と話をするよりは、担任の先生と話をする方が好きでした。おそらく脳の発育が良かったからでしょう。こういう言い方をするのは良くないかもしれませんが、同級生が子どもっぽくて話をしていて楽しくなかったのです。(自分も子どものくせにませたガキですが)だから、小6の時に出来た親友は本当にませた自分と似たような人物でした。それくらいだったからつり合えたのでしょう。
 そして、中学校に入りました。もちろん絶好調です。生徒会活動こそしませんでしたが、勉強、部活、合唱と毎日朝から晩まで猛烈に活動し続ける精力的な日々を送りました。まさに優等生。人生、頑張れば何でも思い通りになるとすら思っていたくらいでした。とにかく頑張る。そして成功する。また頑張る。もっと成功する。成功の階段を駆け上がっていました。
 そうして優等生だった当時のわたしの将来の夢は弁護士または声楽家になることで、どちらにしろバラ色の人生が目の前に広がっているように思えたのでした。
 が、人生はそんなに甘くはなかったのです。高校は県でも有数の進学校に合格して入学したのですが、全く勉強についていくことができなかったのです。勉強ができるということを自分自身の価値にしていたわたしは本当に荒れました。当時、もしも精神科の扉を叩いていたらきっと何らかの(おそらくうつ病)診断がされていたことでしょう。授業中窓際の席だった時に、たしか3階の教室だったのですが、「ここから飛び降りたら楽になるのかな」などと真剣に思案していたくらいなのです。あ、あぶない。今思うと病んでいたと思います。
 で、高3になり受験生になったもののやる気は相変わらず起きなくて無気力な日々を過ごしておりました。父親が受けろと言うのでセンター試験と静岡大学は受けたのですが、もちろん不合格でした。センター試験なんてほとんど鉛筆コロコロでしたからね。センター試験の結果が自宅に送られてきて2割くらいの得点率でした。まぁ、そんなもんだろうと納得しましたが。静岡大学なんて受かるわけないのです。足切りがあったらまっさきに落とされているくらいの出来映えです。センター試験は。箸にも棒にもかかっていません。
 それから浪人生になったのですが一向にやる気が起きませんでした。と、光がある時突然差し込んできたのです。まばゆいばかりの光でした。そうだ。福祉をやろう、と。人のために生きよう。人の役に立てる人間になりたい。それに福祉系の大学だったら、偏差値は低くてもいいし、数学も必要ないし、あの大嫌いな古典もやらなくていい。(福祉系の大学入試は現代文だけなのです。)現実的な話としてこれはいけるんじゃないかと目の前がパーっと開けてきた時のことを今でも鮮明に覚えています。
 そして、福祉系の大学へ進学することを決意したわたしは2校受験して両方合格することができたのでした。となれば第一志望の大学に入学です。宮崎へ行くことになりました。新天地、宮崎。いざ宮崎へ。
 わたしが行った福祉系の某大学は勉強が嫌いな人が集まってきたような学校でした。だから、甘い非常勤講師の授業ともなれば、授業の始めから最後までひたすら私語をしている始末なのです。必修科目の厳しい教授や助教授の前ではいい子いい子しているくせに、なのです。そんな学校の雰囲気がわたしはたまらなく嫌になってきたのでした。さらに学生が三流ともなれば、先生も三流です。はっきり言って頭が悪いのです。ただ社会福祉の現場を数十年やってきただけの人が教授になっていて牛耳っている。その教授がまたくそ面白くもないひどい授業をするわけです。さらに同じ話ばかり持ち出して時間をやりくりしようとしている。それって毎月授業料払っている学生を馬鹿にしている話だと思いませんか? 
 さらにわたしは授業を聞きたかったのに先生が私語をしている学生を注意しようとさえしない! やる気ないでしょう!! そうした三流大学の醜態を目にするにつけ「授業料返せよ!」と言いたくなってくるわたしなのでした。
 三流の学生に三流の教師の三流大学。わたしが三流の人間なのだから仕方がないと思いつつもやり切れない思いがするのでした。
 極めつけは、吃音で実習が不安だというわたしに対して「この前普通に話せてたから大丈夫だよ」と講師が一言。お前は吃音のことをなーんも知らんくせにあたかも知ったかぶりして偉そうに大したことないでも言わんばかりのことを言う。それってどうなんだよ。お前、何様なんだよ。怒りがこみあげてくるわたしなのでした。
 さらにわたしに助言だと思ってか、こんなことを言ってくるような講師もいました。「あなたは吃音にとらわれているんですよ」と。この講師がわたしよりも重度の吃音とか、吃音ではなくても重度の障害を持っていてこの言葉をかけるのならまだ納得できるのですが、この講師はこう言った上、さらに「わたしが太っていることとあなたが吃音であることは同じようなことなんだよ。だから、それにとらわれずにいられるかどうかが重要なポイントだと思う。」みたいなことを言ってくるわけです。福祉の人間が、しかも福祉を教えている人間がここまで思いやりのないデリカシーのないことを言うのです。
 結局わたしはうつ状態になり、2年で大学を中退したのでした。
 それから30代までの間、本当に苦しい日々を過ごしました。精神疾患との苦しい闘病生活が続き、入院も3回ほどしましたし、人生が嫌になって放棄しようとしたことも何回もありました。
 そして、待望の受洗。その感動については旧ブログに書いた通りです。
 わたしのブログは受洗少し前から始まり、受洗、そして現在に至るまで書き綴ってきています。
 このブログを通して、読んでいただくことを通して、少しでも読者の皆様の人生が豊かにと言うのは少々オーバーかもしれませんが、何か感じ取っていただけましたら幸いです。文章は人を幸福にすれば不幸にもする。だからこそ、幸福に寄与する文章を書けたらいいなと思っているのです。

 このブログはわたしの人生の大切な一部です。そんな大切なものを皆様と共有できますことを光栄に思っている星大地なのでした。以上、長くなりましたがこれで自己紹介を終わらせていただきます。

 星大地

【放送大学】『中高年の心理臨床』第8回 こころとからだのエイジング-からだを中心にして-

 1.はじめに

 エイジングとは、体の成熟が終了したあとに起こる生理機能の衰えのことである。エイジングによって、身体機能が衰えてきて環境の変化やストレスに対する適応能力が低下してくると、病気にかかりやすくなったり、病気にかかってから改善しづらくなったりする。多方面にわたり低下してくるのである。
 同じ年齢で同じように成長する発達とは異なり、エイジングは個人差が大きい。エイジングは遺伝的要因に加え、生活習慣や環境要因などが大きく影響する。
 また、身体機能の変化に適応することに失敗すると、うつや不安障害などの精神疾患発症につながってしまうこともある。

 2.メカニズム

 からだのエイジングのメカニズムについては、いくつかの仮説が提唱されている。
 ①活性酸素説:活性酸素によって細胞が損傷されてエイジングが生じるという説。
 ②プログラム説:生物を構成している細胞には分裂できる限界が設定されていて、その限界を迎えた時に老化が生じるという説。
 ③遺伝修復エラー説:細胞分裂の際に少しずつ生じる突然変異が蓄積されて、最終的に破綻を迎えることによって老化が生じるという説。

 3.身体機能のエイジング

 エイジングによって、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感すべてにおいて機能低下が生じる。その中でも特に、視覚と聴覚はコミュニケーションに影響を与えて、機能低下が外出機会の減少へとつながる場合がある。
 骨格筋量と骨格筋力の低下による身体機能の低下はサルコペニアと呼ばれる。サルコペニアは転倒の原因となり、積極的に診断して治療をすべきである。サルコペニアの診断は、歩行速度、握力、筋肉量によって行われる。治療としては、運動とアミノ酸の補給が重要である。
 筋肉だけではなく、骨、関節、靱帯、腱、神経などの運動器の障害のために移動機能の低下をきたした状態はロコモティブシンドロームと呼ばれている。対応としては、運動を日常生活に取り入れることが重要ではあるが、健康状態を十分に把握しながら行うことが必要である。
 高齢になるにつれて自分の歯の本数が少なくなってくる。そうした際には、義歯を装着することが必要である。高齢者の義歯作成については、傷を生じた場合に時間を要するためそのことに注意を払う必要がある。また、義歯の管理が難しいこともあるため支援も行わなければならない場合がある。
 エイジングによって個人差が大きいものの、嚥下機能は低下していく。その際には、誤嚥に伴って起きる肺炎に注意する必要がある。また、嚥下機能に影響する薬剤もあり、適切な薬剤使用が求められる。

 4.生理機能のエイジング

 女性、その中でも経産婦では中年期以降に尿失禁を経験する人の割合が高くなる。一方、男性の場合は、加齢による前立腺肥大によって尿が出にくくなることがある。
 尿失禁には種類があり、その原因ごとによって対処方法が異なってくる。
 また、高齢になると夜間排尿に起きるようになる。
 睡眠についても、途中で目覚めてしまうことが多くなり、睡眠時間自体も短くなる。これは睡眠を誘発する物質であるメラトニンの分泌量が加齢と共に低下してくるためである。
 こうして夜間の睡眠効率が低下するため、日中の眠気が強くなり、昼間の睡眠時間が長くなりがちで、夜間の不眠やせん妄の原因になる場合もある。
 昼寝の制限と日中の活動の確保を行った上でも、つまり、生活習慣を工夫してみてもうまくいかない不眠に対しては薬物療法が行われる。その際には精神疾患であるかどうか判別する必要がある。不眠はうつ病の一症状としてあらわれることも多いからである。睡眠薬は従来はベンゾジアゼピン系が広く用いられてきたが、ふらつきや転倒、認知機能低下といった副作用があるため、最近では新しいタイプの睡眠薬が用いられるようになってきている。
 睡眠障害は多くの疾患と相互に関連する。糖尿病患者の多くに睡眠障害である睡眠時無呼吸症候群が合併するケースが報告されている。また、逆に睡眠障害のある人では肥満や糖尿病の割合が多い。原因としては、不眠によりインスリン感受性ならびに食欲を抑制するホルモンであるレプチンが低下し、食欲を亢進させるグレリンが上昇することなどがある。また、不眠は認知症のリスクファクターとなる。

 5.高齢期における身体疾患の治療

 以前は80歳代になると、身体に負担がかかる侵襲的な治療は控える傾向があった。しかし、近年では医学の進歩もあり、予後を改善したり生活の質(QOL)を向上させるために侵襲的な手術が以前よりも高齢者に行われるようになってきている。高齢者においては個人差が大きいため個別に手術の適否を判断していくことが求められる。

 6.からだのエイジングの心理的影響

 からだのエイジングに伴う老いの自覚は、社会的つながりからの撤退や生きがいの喪失などネガティブな行動、思考につながりやすい。このような認知に対してポジティブ心理学では、自分の強みを再認識し、生きがいを追求することにより、心理的ウェルビーイングの維持・向上をはかるためのプログラムが開発されている。

 7.まとめ

 中高年期の心理的課題は、身体機能の低下と様々な病気にいかに適応しながら生活を再構築していくか、ということである。この課題に対しても個人差は大きい。心理的介入としては、それぞれの生活史を振り返り、新しい課題に適応するために使える経験や強みがないかを共に探り、再適応を援助していくことである。

 <わたしの感想>
 齢を取る。そして、弱っていき、最終的には生涯を終える。この当たり前のことについて考えさせられた。わたしたちは不老不死ではない。みんなある年齢を超えると弱っていくのである。
 もちろん、運動や食事などの生活習慣を整えることによって、生涯現役とばかりに生き抜くこともできないことはない。しかし、多くの人にとっては、エイジングは避けられない現象なのである。成長が終わり老いていく。
 そんな時、どうしたらいいのか。それに対しての具体的なアドバイスが今回の学習内容であった。どうすれば健やかに生き抜くことができるのか、という問いへの模範解答のようなものなのであった。
 世の中の多くの人たちは、まずは病気を治そうと、そして次の段階としては健康になろうと、さらに意識の高い人たちともなればより健康に、つまりは絶好調になろうと努力する。この努力は素晴らしいものであって、かけがえのないものであることはわたしも認める。よりよく生きようと努力することは、人生を輝かせようとする営みで尊いものがある。
 でも、これが(健康になることが)至上命題、究極目標になってしまっている人を時折見かけるが、そこに何か転倒したとまでは行かなくとも違和感のようなものをわたしは覚える。わたしが思うに、健康は手段ではないだろうか。何か健康になること自体を人生の目的にしてしまうことが大変惜しいことのように思えるのである。
 「健康になりたい」。健康を失った人の憧れである。その気持ちそのものを否定するつもりはない。しかし、健康になることが目的なのではなくて、何かやりたいことがあるのではないか。人生が終わるまでの間にやらなければならない、やらなければ死ねないことがあるのではないか。使命と言い換えてもいいかもしれない。
 エイジングについて学んで、わたしはやりたいことがあるということを再認識できた。やらなければならないことがあるのだ。だから、そのために運動もするし、食事も気を付けるし、睡眠もしっかりとる。やりたいことをやるためには健康であることが必要なのである。そのことに気づかされたのだった。わたしにとっては大きな気付きである。もちろん、痛い思いや苦痛を味わいたくないからという消極的な理由ももちろんあることはある。けれど、積極的な理由、人生を謳歌してやりたいことを健康な肉体でやるんだという気持ち。それが一番今のわたしの中では強くなっている。
 健康あってこそ。健康でなければいい仕事はできない。それは精神疾患のわたしにとっては重々痛いほど分かっていることだ。メンタル不調だと本当にこたえる。そして、いい活動や仕事などできるわけがない。フィジカルもこれと一緒でいい仕事やいい活動などの充実した生活を送るためには健康であったほうが断然いいのである。
 わたしは精神疾患でこころの病気の人であるのだが、病気はなる前に予防する方がなってから回復させるよりも易しい。未病の段階でくいとめて改善する方がやさしいのである。わたしのこころの病気にしてもいい方向へと改善できたらと思っているのだが、ありがたいことに身体の方は健康な身である。だから、メンタルを改善するためにもフィジカルをととのえて快調に生活できるよう取り組んでいきたい。
 やりたいことがある。それをやるためには健康であることが必要だ。だから、生活をととのえる。
 方向性が見えたところで、わたしの感想は以上である。絶好調な日がもっと増えたらいいなぁ。


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コロナワクチン打つか打たないか

 ここんところわたしが取り組んでいた課題。それはコロナワクチンを打つか打たないかということについての検討だった。実に難しい課題であった。そもそも、わたしの理科の教養は中学校2年生から何も進展していないのだ。だから、少し科学的な話が込み入ってくると分からなくなってくる。科学リテラシーほぼゼロなわたしなのである。
 コロナワクチンはmRNAワクチンだそうだ。だが、高校の理科をさぼったわたしに分かるわけがない。理科って積み上げ式の勉強だよね。うん、本当そう思うよ。
 でも、ワクチン打つか打たないか決めなければならない。わたしが? いやいや、じいさんがなのだ。じいさんが打つか打たないかを家族が決めなければならないのだ。
 最終的には二者択一のある方を選んだのだけれど、それを書いてしまうと波風立ちそうだから伏せさせてほしい。星さんのじいさんがワクチン打つか打たないかなんて、興味ありますか? おぉ、その好奇心全開のまなざし!!でも、教えてあげないよ、ジャン。(意地悪したいわけじゃなくて伏せておきたいのだ。ご理解願いたい。申し訳ない。もしかして怒った?)サクサク、○リンキー新発売、ジャン!ってな冗談はこれくらいにして、本当星さん決めるの迷いまくったのだ。
 高校の生物とか化学を真面目に勉強してればよかった~と後悔しまくりである。化学リテラシーのない人間がワクチンをどうするか決めるのは難航する。
 メリット、デメリット、リスク。これらを総合的に考えていくしかない。特にじいさんの場合、高齢者で施設入所者だからその点をよくよく考えなければならない。しかも、大腸ガンと脳梗塞がある。これは基礎疾患があるっていうやつでしょ。
 打つか打たないか。選択肢は2つしかない。まぁ、1回だけ打つという選択肢もあることはあるが、それは除外しておこう。基本2回打つものだ。
 迷う。本当迷う。ああでもないこうでもないと科学リテラシーのない星は懸命に思案していたのだった。どうしよう。どうしよう。どうしよう。でも、決めなければならない。
 「ええい!ままよ~!!」とは言わないが、熟考して決めかねていたのだ。もうこうなったら、こうなったら直観が指し示す方向に従うしかない。もはや、賭けるしかない。じいさんの命にかかわるかもしれない大博打。どちらを選んでも良くない事態が待っているかもしれない。でも、選ぶ。
 最後の決定には迷いがなかった。直観というよりも冷静に決めた感が強い。
 自分で何かを選ぶということ。それには必ず責任がつきまとう。今回のコロナワクチンは誰も責任を取ってくれない。原則として自己責任なのだ。だから、考えに考えを重ねて決めることができて良かったと思う。
 もし悪い結果が起こったとしてもそれを受け止めるだけの覚悟がわたしにはある。
 巷ではわたしはワクチンを打ちますとか、打ちませんとか公表している人がいるが、それってどうなんだろう。それを公表した結果誰かの行動に影響を与えてそちらの方に仮に導いてしまった場合、仮にだが悪い結果になったらその人は責任を取るのだろうか。取れるのだろうか。しかも、専門家で意見が割れていたりすると、わたしたち素人は困惑してしまう。糖質制限についても見解は分かれているけれど、このワクチンの問題はそれとは比較にならないほどの健康問題へと発展していく。命がかかっている。
 自己責任。どちらを選んでも誰も責任を取ってはくれない。だからこそ、熟考して慎重に決める必要がある。
 決めかねたわたしがPSW(精神保健福祉士)のWさんに相談したらこんなことを言った。「自分がしたいと思えないことを大切な人にしない方がいいんじゃないかっていうのが本質じゃないですか?」鋭いWさんである。わたしがワクチンを打ちたいのであればじいさんにもぜひ打ってあげたいし、逆にわたしが打ちたくないのであればじいさんにも打たないようにしたい。それが愛じゃないか。自分がされたくないことは人にしないし、されて嬉しいことは人にもする。なんだ、本質は意外とシンプルじゃないか。
 考えに考えた結果、シンプルなところに落ち着いた。コロナワクチン打つか打たないか、わたしはこうして決めたのだった。


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「くたばれ、クソジジイ」のじいさんが死にそうになったことを通して考えたこと

 「あんなクソジジイくたばればいい。」
 祖父から悪態をつかれた時、本当にそう思った。だが、その祖父が一昨日、突然、緊急手術となった。
 その日の夜中の12時頃に激しい腹痛を訴えた祖父だった。「これは病院に付き添わねばならない」と状況判断したわたしは、眠剤が効いている中、朝食後の薬を飲み、バナナを食べプロテインを飲み、少し栄養をつけたところで、祖父母と共に夜中の1時頃、救急外来へと向かった。コロナ禍ということもあってだろう。外来にはわたしたちの他に二人ほどしかおらず空いていた。
 診察が始まったが、検査をしてみないと総合的な判断ができないので、できる限りの検査をした。祖父は5年前に大腸がんの手術をしているので、おそらく内臓関連の病気だろうとわたしたちは目星をつけていた。けれど、検査をしてみても内科的な疾患は見つからない。CTを見ても異常所見は見られない。となると骨や筋肉の疾患なのだろうか。そう疑った医師は腹部のCTは撮ったので、それよりももう少し上の肋骨あたりを撮ってみることとなった。医師によると折れた跡が確認できたとのこと。つまり、肋骨が折れている痛みではないかと祖父の病状を見立てたのである。そうなると医師曰く、「痛み止めで騙し騙しやるしかない。」とのことだったので痛み止めを注射した。その前には座薬も入れた。それなのに、祖父は「痛みが変わらない。痛い。」と苦しそうに訴える。内科的な疾患が認められない以上、(炎症も起こっていない)可能性として外科的な疾患しか考えられない。「これ以上、現時点でできる検査はない」と医師から通達されて、祖父の痛みは続いていたものの、帰宅することになった。あとは整形で見てもらってください、ということで、紹介状と検査データ一式を持たされて病院を後にしたのだった。
 実はわたしはもうすでにヘロヘロでグロッキー寸前だった。病院へ出発したのが夜中の1時頃で終わったのが朝の7時である。その間、わたしは一睡もしていない。きつい。きつい。はっきり言って、しんどい。普通の人であっても徹夜は堪えるものなのに、何せわたしはメンタル疾患がある人間である。メンタルの病気がある人がやってはいけないこととして徹夜をすることがあるのではないかと思う。不眠は精神疾患を悪化させるのだ。病院の椅子で座って待っている間、わたしはAKB48の「ヘビーローテーション」を聞きながらグロッキーを回避していた。普段、アイドルを酷評しているわたしだがこの時ばかりはアイドルに助けられたのだった。ありがとうAKB。あれくらいの音楽でないと下がり気味なメンタルを上向きにすることはできない。そんなわけで頭はフリーズしてただダラダラ音楽を聞いている。そんな待ち時間だった。
 帰ってからも祖父は「痛い」と訴え続けた。その痛みを少しでも軽減すべくわたしは明日整形に行ったらどうですか、と呑気なことを言っていたのだった。しかし、祖父はどうしても今日また病院へ行きたいらしい。しかも時間が経つごとに「前より悪い」と顔を青くさせ脂汗を流しながら言う。わたしは付き添いたかったが限界まで来ていた。そういうわけで祖父母だけで行ってもらうことになった。わたしは整形へ行くことを祖母から助言を求められたので主張。ところが、祖母はどういうわけかわたしの主張をあっさり無視して、今日行ってきた市立病院へとまた祖父を連れて向かったのだった。
 そして、午後5時頃、今から診察が始まるとの祖母からの電話を母が受けた。それから30分くらいしてからだろうか。病院から電話があり、祖父は腸捻転(ちょうねんてん)で手術をしなければならないとのこと。緊急手術だそうだ。
 ここまで詳しく書いてきたが、これから先は少し端折りたい。
 そして、病院へと向かった母とわたし。手術がはじまり、そして終わった。成功。
 わたしは祖父のために神様にお祈りをしていた。その祈りが聞き届けられ、感謝の祈りもし、涙が出てくるのではないかというくらい祖父の手術が成功したことがうれしかった。神に感謝した。
 そして、手術を終えたばかりの執刀医から説明をわたしたちは受けた。三週間くらいで退院できそうで、ストーマ(人工肛門)にはならなくて済んだとのことだった。普通に便を肛門から出せる。ありがたかった。
 最後に手術室からICUに向かうところで人工呼吸器と管をつけられた祖父とわたしたちは対面した。感無量だった。「クソジジイ、くたばれ」の当本人を前にして生きていてくれて良かったと思う。矛盾している。たしかに矛盾している。けれど、何か本能的というか衝動のようなものが、その時のわたしの感情を大きく揺さぶったようだった。自分の機嫌次第で悪態さえつくじいさん。しかし、それでも家族というものは家族なんだなと再認識したのだった。わたしにとってのおじいさんはこの人以外にはいないのだ。「くたばれ」と思ったけれど、「生きていてくれてよかった」と今思う。
 神様はわたしに一番大切なことを教えてくださったのではないかと思う。心の琴線にふれる一番大切なことを。


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100年後にわたしの知らない未来の読者が

 わたしの人生はおそらくこのまま行けば平凡に終わりそうだ。
 平凡。決して悪いことではない。過去に多くの人たちが平凡に生き、平凡に暮らして、平凡にこの世を去っていった。
 多くの人たちが何か平凡ではない何かをなそうとして、奮闘しながらも、それでも歴史に名を残すことなく平凡に死んでいった。
 わたしはこの歴史、つまりは人類の歴史に名を残したいのだろうか。この思いが傲慢であることは十分に承知してはいる。けれども、何か平凡に人生を終えることに対して抵抗したい気持ちになってきたのだ。
 何か生きた証を残したい。こうした考え自体がある意味、馬鹿げているのかもしれない。しかし、何か残せるものなら残したい。わたしが死んで骨になって後も残るような何かを。
 わたしが何かを書いたとする。そして、それを何人かの人が読んでくれる。そして、記憶装置の中でもって数十年から百年くらいの年月耐える。
 こういうことを考え始めると芥川龍之介のこの文章が思い出されてくる。

 時時私は廿年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が来ると云ふ事を想像する。その時私の作品集は、堆い埃に埋もれて、神田あたりの古本屋の棚の隅に、空しく読者を待ってゐる事であろう。いや、事によつたらどこかの図書館にたつた一冊残った儘、無残な紙魚の餌となって、文字さへ読めないやうに破れ果ててゐるかも知れない。しかしー
 私はしかしと思ふ。
 しかし誰かが偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一篇を、或は其一篇の中の何行かを読むと云ふ事がないであらうか。更に虫の好い望みを云へば、その一篇なり何行かなりが、私の知らない未来の読者に多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか。(中略)
 けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に当って、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気楼のある事を。
 (芥川龍之介「澄江堂雑記」)

 これは希望である。50年後、100年後に古本屋の片隅に忘れられたようにある自分の本を誰かが読んでくれるのではないか。そして、その人において自分の作品が蜃気楼のように浮かび上がるのではないか。
 これは芥川の名文だと思う。何のために書くのかと徹底的に突き詰めて理由を問うていくと、最終的にはこの次元までおそらく話が進んでいく。わたしはこの芥川の文章にとても共感する。たくさんの人から賞賛されてほめられることも素晴らしく価値のあることだけれども、それ以上に自分の作品を読んでくれるであろう未来の一人の読書のために書く。何てジーンとくる、グッとくる話なのだろう。
 生きた証。わたしの生きた証である作品はおそらく死後数十年くらいしか残らないことだろう。芥川のように後世まで読まれ続ける作品などわたしに書けるわけもない。
 けれど、たとえわたしの執筆したものが一瞬の火花のようなものでしかなかったとしても、たとえ多くの人々に読まれることなく消え去っていくことになるとしても、誰かに影響を与えたことは事実なのである。このブログだったら毎日数十人の人たちが訪問してわたしの決してうまいとは言えない文章を読んでくれている。それでもし一瞬であっても、わたしの文章を読んで心が動かされたとしたら、もうそれだけで万々歳なのである。(もちろん収益はもっと得られたらなぁとは思うのだけれど。)
 わたしは芥川にはなれない。どんなに背伸びをしてもなることはできない。けれど、それでいいと思っている。芥川には芥川の人生があったように、わたしにはわたしの人生があるのだから。芥川には多くのことが見えていた。見えすぎていたと言ってもいいかもしれない。彼とわたしを比べれば、わたしの視野など狭窄しているようなものだろう。でも、それでいいと思っている。芥川には芥川の人生観があり、わたしはわたしのそれがある。今言っていることは、そもそも比べるものではないし、それに比べたところで一体何だという話なのである。わたしはわたしの人生をわたしなりに精一杯生きているではないか。誰かと比較して生き様が無様だとか足りないとか思う必要など最初からない。
 わたしのこのブログの文章を少なくとも100年後にまで残すにはどうしたらいいのだろう。わたしの作品を残すにはどうしたらいいのだろう。
 将来、自費出版でもいいから、自分の本を出したい。そして、100年後の人々に読んでもらいたい。おそらくわたしの文章はつまらないと思われることだろう。でも、それでいい。百年後の未来の一人の読者が「つまらない」と本をぱたりと途中で閉じたとしても上出来である。ただ数行であっても自分の書いた文章から何かを感じてくれたわけだから嬉しいのである。
 わたしの文章が人々の幸せにほんの少しであっても貢献できたら、と思う今日この頃なのであった。


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