キリスト教エッセイ

いろいろエッセイ

昨日、教会で聖書研究会があり、その後、少し立ち話となって言われたことが何だか意外で自分でも驚いている。「星君(その方はわたしのことをさん付けではなくて君付けで呼ぶ)、変わったよね。表情が優しくなったよね」とその方はわたしに言うのだ。で、それ...
キリスト教エッセイ

今日、聖書研究会で学んだこと(12月8日)

今日のテーマは罪を滅することについて。仏教、それも浄土真宗でそのことについてどのように考えているのか牧師が解説してくれた。その解説自体はしっかりとしたもので、ここに再掲してもいいとは思うのだけれど、それだとただ牧師の言ったことの口移しになっ...
いろいろエッセイ

プロセスを大事に

昨日は日曜日で教会だった。毎週、毎週、礼拝に集うことによって自分がキリスト教徒であることを実感する日々。特に昨日はうちの教会では聖餐式があり、ウエハースとぶどうジュースをいただいた。あぁ、クリスチャン。それを強く感じるのだった。 で、礼拝が...
いろいろエッセイ

美しいメリット

わたしたちは普段、何気なく「ありがとう」と言う。何かをやってもらった時や助けてもらった時などに感謝を伝える言葉としてだ。じゃあ、何もしてもらったわけでもないのに「ありがとう」と言うのはおかしいのだろうか。 わたしが格闘してきた問題。それはメ...
キリスト教エッセイ

母の受洗の日が近付いてきて

もう明日から12月。月日が流れるのは本当に早いものだなぁとしみじみ思う。12月ってまだまだ先のことだと思っていたのに、それがもう明日。で、クリスマスまで1ヶ月を切った。今年のクリスマス礼拝では以前にもこのブログに書いたけれど、母の洗礼式が行...
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甘い誘惑

わたしは素直すぎるのだろうか。そして他者からの言動に影響を受けやすすぎるのだろうか。今朝、久しぶりに新聞を読んでいたら、前のように気持ちが滅入ることは豆腐メンタルから厚揚げメンタルに成長したせいか、なかったんだけれどやっぱり他の人、ならびに...
キリスト教エッセイ

今日、聖書研究会で学んだこと(11月24日)

わたしが関心を持っていること。そして持ってきたこと。それは人間はどこまで自由なのか、というシンプルな問いだ。これが難しい。何でこの問いにわたしがこだわっているかと言うと、そこから責任の問題が発生してくるからだ。 わたしたちが何か悪いことをし...
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カマキリの地味すぎる早業

何を書こう。わたしの少ない引き出しは大抵出してしまったようで書くことがない。となれば、書くことがないことを書こう、てな話になってくるわけだけれど、そんなことしたらこのブログの尊い読者の皆々様に失礼ではないか。 あぁ、星はもうストックが底をつ...
キリスト教エッセイ

吃音(きつおん)って不幸なのかなぁ

先日、教会で自由にお話をする集会があったんだ。で、その時、思ったことを思い出しながら、まぁ、ざっくりと書いていきたいと思うのです。 その時思ったことというのが吃音って不幸なのかなぁ、っていうことだった。自分自身、この吃音とは3歳の頃から共に...
キリスト教エッセイ

今日、聖書研究会で学んだこと

昨日、不調だったこともあって、今日の教会の聖書研究会に参加できるかどうか不安だった。でも、参加することができ、有意義な時間を持つことができたので、その中で特に印象に残ったことなどをいくつか書いておきたいと思う。 まず、すべてを預けることにつ...
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