キリスト教エッセイ キリスト教が幻想だったとしても わたしが精神的に不調な時、決まって思うことがある。それはキリスト教が幻想ではないか、ということである。 そんなことないよ。絶対そんなことない。神様は絶対におられるし、イエスさまは神様の右の座につかれてわたしたちを見守ってくださっているし、福... 2021.10.14 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 神様動画を天国で見たいなぁ インターネットの技術が発達して回線の速度が劇的に速くなり、今ではYouTubeなどの動画が当たり前の時代となった。動画に限らず、何か単語を入れて検索すれば大抵の情報は手に入れることができる。便利だ。いやはや、とても便利だ。 と、こういう世の... 2021.10.11 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 信仰の神髄は神様に感謝して委ねること 10月になり緊急事態宣言が解除され、教会の日曜の礼拝も短縮ながら再開され、今日で10日となる。思えばこの七週間家庭礼拝を守ったわけだが、楽なのはいいとしても何か張り合いがないというか、物足りなさのようなものを感じていた日々だった。 礼拝がで... 2021.10.10 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ どこまでも冴えていたい 老若男女の憧れ。それは冴えていることではないだろうか。冴えていることにわたしは猛烈に憧れる。見てくれも大事だけれど、それ以上にわたしは冴えていることに価値を置いている人間のようだ。 冴えている。では、冴えって何だろう。どうなったら冴えていて... 2021.09.17 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ もっと神様との時間を持ちたい 緊急事態宣言が発令され、割合田舎なわたしの町も公開礼拝は行えなくなり、家庭礼拝を守ることとなった。 となると、どうしても信仰が弱くなってきてしまう。日曜の10時に礼拝を守ってきたのだが、最初の頃は時間きっかりに家庭礼拝もやるようにしていた。... 2021.09.12 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 生きているって当たり前のことじゃないんだ 午前中は薄曇りでお日様が出ていなくて、ひんやりしていたのとは打って変わって、お昼頃からは太陽も出てわたしの家の小さな庭をも照らしている。暑くなってきた。 教会の誰からもらったのか、もう昔のことで思い出せないのだけれど、シソの小さな苗をもらっ... 2021.09.09 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ クリームパンと神の摂理 以前わたしはこのブログに、「意味のない死はない」といったことを書いたかと思う。それから、ああでもない、こうでもないと考えていたわけではないのだけれど、今ふとそのことについて書きたくなったので書きたい。 わたしたち(特にクリスチャン)はすべて... 2021.09.04 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 祈るだけで終了? 美しい言葉がある。その言葉は本当に美しくて、聞く者を惚れ惚れとさせる。それどころか、惚れ惚れを通り越して恍惚状態へと導いていく。 聖書を開けば、特に新約聖書の福音書や手紙などを見てみれば、美しいまるで宝石のような言葉が所狭しとわたしたちの前... 2021.08.30 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 聖人になれないんです! 最近、神秘神学の本を読んでいるわたしである。読んでいるといろいろな人が登場してくる。その登場してくる人たちがすごい人たちばかりで自分がつまらない人間のように思えてくる。 まだ全体像が見えるところまでは到達していないのだけれど、東方正教会の聖... 2021.08.27 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 自分中心から神様中心へ わたしが憧れるのはイケイケじいさんだ。イケイケじいさんってイケてるじいさんのこと? そう。わたしはそんな老人になりたいと思っている。老人という言葉を使うとかしこまった感じがするから、老人ではなくて「じいさん」という言葉がぴったりくる。 イケ... 2021.08.24 キリスト教エッセイ