キリスト教エッセイ わたしのXデーに向けて 将来について考えていたわたしだが、何か脱力してきた。 一つの真理。それはわたしが死ぬということ。そして、死ぬ際にはお金、物、地位や肩書きを何も持って行くことができないということ。 この世とは生きている間だけいることのできる場所で、死んだらい... 2021.11.06 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ わたしが教会の機関誌に投稿するのを断念した文章 以下の文章はわたしが教会の機関誌に投稿しようと執筆したものである。しかし、母に読んでもらったところ、わたしが男性陣に敵を作ってしまうのではないか。女性陣もかえって気まずくなってしまうのではないか。と双方に良くないことが予想されたので、急遽投... 2021.11.01 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 安息日は休むことにした わたしの今までの生活には安息日というものがなかった。一応、日曜日は教会へ行き、礼拝を捧げること自体はしてきた。けれど、その日に積極的に休息していたかと言えば、そうとは言えないのである。 月曜日から始まって日曜日まで毎日ハードに予定を詰め込ん... 2021.10.19 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ キリスト教が幻想だったとしても わたしが精神的に不調な時、決まって思うことがある。それはキリスト教が幻想ではないか、ということである。 そんなことないよ。絶対そんなことない。神様は絶対におられるし、イエスさまは神様の右の座につかれてわたしたちを見守ってくださっているし、福... 2021.10.14 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 神様動画を天国で見たいなぁ インターネットの技術が発達して回線の速度が劇的に速くなり、今ではYouTubeなどの動画が当たり前の時代となった。動画に限らず、何か単語を入れて検索すれば大抵の情報は手に入れることができる。便利だ。いやはや、とても便利だ。 と、こういう世の... 2021.10.11 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 信仰の神髄は神様に感謝して委ねること 10月になり緊急事態宣言が解除され、教会の日曜の礼拝も短縮ながら再開され、今日で10日となる。思えばこの七週間家庭礼拝を守ったわけだが、楽なのはいいとしても何か張り合いがないというか、物足りなさのようなものを感じていた日々だった。 礼拝がで... 2021.10.10 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ どこまでも冴えていたい 老若男女の憧れ。それは冴えていることではないだろうか。冴えていることにわたしは猛烈に憧れる。見てくれも大事だけれど、それ以上にわたしは冴えていることに価値を置いている人間のようだ。 冴えている。では、冴えって何だろう。どうなったら冴えていて... 2021.09.17 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ もっと神様との時間を持ちたい 緊急事態宣言が発令され、割合田舎なわたしの町も公開礼拝は行えなくなり、家庭礼拝を守ることとなった。 となると、どうしても信仰が弱くなってきてしまう。日曜の10時に礼拝を守ってきたのだが、最初の頃は時間きっかりに家庭礼拝もやるようにしていた。... 2021.09.12 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 生きているって当たり前のことじゃないんだ 午前中は薄曇りでお日様が出ていなくて、ひんやりしていたのとは打って変わって、お昼頃からは太陽も出てわたしの家の小さな庭をも照らしている。暑くなってきた。 教会の誰からもらったのか、もう昔のことで思い出せないのだけれど、シソの小さな苗をもらっ... 2021.09.09 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ クリームパンと神の摂理 以前わたしはこのブログに、「意味のない死はない」といったことを書いたかと思う。それから、ああでもない、こうでもないと考えていたわけではないのだけれど、今ふとそのことについて書きたくなったので書きたい。 わたしたち(特にクリスチャン)はすべて... 2021.09.04 キリスト教エッセイ