どこまでも冴えていたい

 老若男女の憧れ。それは冴えていることではないだろうか。冴えていることにわたしは猛烈に憧れる。見てくれも大事だけれど、それ以上にわたしは冴えていることに価値を置いている人間のようだ。
 冴えている。では、冴えって何だろう。どうなったら冴えていて、どうでないと冴えていないと言えるのか。
 ここで国語的な辞書的な話をしてもいいのだけれど、それも重要ながら、ここではわたしがこの言葉から受ける印象についてとりあえず書いてきたいと思う。
 冴えているという言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶのは東大生である。頭の回転が早くて問題を迅速に処理していく、まさに情報処理の達人。そんなイメージがある。
 なら、星さんも東大目指すの? それが冴えていることの代名詞であって、まさに冴えているっていうことだからね。と畳みかけられそうになる星。いえいえ、星さんは東大目指さないですよ。じゃあ、何を目指すの? 文筆業につきたいんです。じゃあ、じゃあ、小説家とか? まぁ、そういう路線です。まだ未定だけれど。今のところは。
 って少々脱線気味だが、つまりわたしの目指している職業には冴えが必要なのだ。これはもうこうなったら冴えるしかないでしょう。冴えなければ、冴えることができなければ仕事にありつくことができないから。
 冴えている人と聞いてもう一つ思い浮かぶのは、論理的な思考ができる人だ。たしかに東大生って論理的だと思いますよ。論理を無視して逸脱したら入学試験に合格することはできませんから。
 論理と聞くと何か難しいようだけれど、そんなことはなくて、人はみんな論理で生きているのだ。だから、論理を逸脱する話を聞くと、「おや?」と疑問に思う。
 スーパーへ食料品を買い出しに行くとして、そこで1個120円のりんごを3個買ったとしよう。ここで問題。さて税抜きとして、いくら払えばいいでしょう?
 ①360円払う
 ②360円もらう
 ③何もしなくてもいい
 もうお分かりだと思う。論理を逸脱する時②と③を平気で選択するのである。②を選ぶとしたら理屈はこんな感じだろうか。りんごを買ってやっているのだから店員はむしろ感謝してわたしにお金をよこすべきだ。③なら、このりんごはプレゼントなんだから何もしなくてももらえるんだよ。
 話が不思議な世界に突入していないだろうか。りんごを買いたいということなのに、お金を逆に払わせる。もしくは、万引き行為と同じことを平気でする。こうなったらもう世の中メチャクチャになるよ、本当。
 それとか信号が赤なんだから進め。青だから止まれとか。会社を遅刻した理由を聞かれて地球が回っていたからです。病気が悪化した理由を尋ねられて、本の厚さが5センチだったのでという回答。
 こうなったら不思議な世界だ。常識が通用しない異世界に迷い込んでしまったようだ。
 冴えていたいかどうかに限らず、日常生活を送るためにはある程度の冴えが必要だということはひしひしと感じることができる。
 冴えていることは素晴らしいと思う。冴えていることによって生産性が増してたくさんお金を稼ぐことができるからだ。そうなったら、豊かな生活を享受することができて、それはそれは幸せな生活を送ることができるだろう。冴えこそまさに財産であり豊かさなのだ。
 と言いつつも、わたしには置き去りにしてきたものがあることに気付く。それは神様への信仰だ。仮に冴えているとして、それは自分の力で手に入れたものだと断言できるのか? 自然科学ではそれを「遺伝」という言葉で処理してしまうけれど、その遺伝はそもそも誰によるものなのか?
 とここでわたしは大切なことに気付かされる。いや、思い出したと言った方がいいだろう。あなたの冴え、それこそ神様からのギフトじゃないですか。贈り物じゃないですか。それを与えてくださったのは神様なのですよ。「いや、これも自分が努力して手に入れたものなんで。」と反論する人もいるかもしれないが、その努力に必要なやる気や根気や探究心さえも神様からの贈り物だとしたらどうだろう。何も反論できなくなってこないだろうか。
 そういうわけで、自分の不信仰さを反省するばかりの星なのである。神様から与えていただいているものなのに、それを自分のためだけに利用する。まさにそれこそ、罪ではないだろうか。神様から与えていただいたものなのだから、神様にお返しする。それも、人々の幸福に寄与するようなことをして神様に生涯を終える時に自分自身をお返しする。これはお金持ちになるとか、社会的に成功するとか、そういう次元の話ではなくて、もっと壮大な話なのである。成功することを人生の目的としてしまうのは違うような気がするのである。成功するにこしたことはないけれど、それが第一の目的ではない。少なくともわたしの人生はそんなことのためにあるわけではないとわたしは思っている。
 イエスさまは神への愛と隣人愛を説かれた。その言葉の重みはどこまでも、どこまでも重くわたしにのしかかってくる。でも、この重みがとても愛おしい。冴えていることも大切だけれど、それ以上に大切なこと。信仰の要点はまさにここにある。

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