ヘブライ語、挫折からの再スタート

ヘブライ語
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 8月から始めたヘブライ語が飽きっぽいわたしにしては珍しく、今もぼちぼち続けることができている。
 わたしには以前、二回ほど挑戦してみたものの挫折したという苦い経験がある。その経験をバネにして、と言うのも何だが、折れることなくやってこれているというのは、本当に我ながらすごいことだと思う。
 前回、前々回の挑戦時までにわたしが到達できたのはヘブライ語のアレフベート3個を覚えるところまでだった。アレフ、ベート、ギメルまで覚えてそれからは勉強から疎遠になっていき自然消滅という按配だったのだ。
 だから、だから、今回はすごいのだ。何と今回はアレフベートを22個全部覚えて、それから語末形もほぼ覚えて、それより先に進んで読み方まで来たのだ。子音としてのアレフベートの読み方と、母音記号とその規則。もうそれだけやれば何とあのヘブライ語の意味はわからないものの、一応夢にまで見た音読ができるようになるのだ。やったよ。やったよ。星さん、猛烈に興奮しております。
 すべてはいい学習教材に出会えたことにあると言っても過言ではない。前回の記事でも書いたけれど、神学校がDVDを販売していて、それを買ったのが良かった。
 DVDの内容は、と言うと、神学校の先生が黒板とチョークを使って授業をしてくれて、その様子が収録されている。先生が時々してくれる脱線話が学校で授業を受けている感が出て、とてもいい。しかも、その脱線話のような話がしっかりと学習内容とリンクしているところはさすがである。(一部、本当に関係のないネクタイとかスーツの話を冒頭で少しばかりすることもあるが、これも御愛嬌。)自分でテキストを読んでも分からなかったり、分かりにくかったりするようなところも噛み砕いてわかりやすく説明してくれる。
 て、星さん、DVDの宣伝ですか? と思われた方も多いことだろう。宣伝です。これは宣伝なんです。と言えども、わたしはこの神学校と提携してDVDを販売することに協力しているわけではない。このDVDが何セット売れようともわたしには1円も入らないのである。それでも、それでもいいものだから、すすめたい。そんなわけで善意のみでボランティアの精神でこのDVDをすすめているのである。よく自分は使っていないのに提携しているからという理由で、商品をすすめる人がいるけど、そういうのとは違うからね。断固として言います。このDVDがどれだけたくさん売れようとも星には1円たりとも入りません。そして、このDVDはわたしが実際に使用しているものです。
 ところで、今日Twitterでこんなやり取りがあった。わたしが自らの野望をツイートしたら、Tさんが「井筒俊彦の二代目になれそうですね。」みたいなことを言うのだ。わたしがどんなことをツイートしたかと言うと、死ぬまでにヘブライ語で旧約聖書を、ギリシア語で新約聖書を、ギリシア語で七十人訳聖書を、ドイツ語でルター訳聖書を、ラテン語でウルガタ聖書を読みたい。一つに10年ずつかかるとして50年かなぁ、みたいなことをである。壮大な夢である。おそらく叶わないうちにわたしは生涯を終えることだろう。でも、夢は夢として語るのは無料だし自由だから語ったわけなのだ。何よりも志は大きく持った方がいいじゃないか。出任せとして言ったとしても、もしかしたら本当に叶ってしまうかもしれないし、それはやってみなければ分からない。
 大言壮語しているわたしだが、そのためのまずは第一歩としてのヘブライ語の学びなのである。まずは一歩から。一歩まずは踏み出してみなければゴールへは永遠にたどり着かないからだ。
 わたしが思い描く大きすぎる夢は10分の1も達成できないかもしれない。もしかしたら100分の1も無理なのかもしれない。でも、いい。その過程が大事。その過程を通して成長することができたらそれで良しなのだ。もちろん、目標を達成できるにこしたことはないけれど、その目標に向かって努力して向かおうとしたことだけでも評価に値すると思うのだ。
 無駄にはならない。決してやろうと思った気持ちや実際にやってみて動いてみたことは無駄にならない。たとえうまくいかなかったとしても、その経験はかけがえのないもの。純粋に尊くかけがえのないものであることは確かである。
 また、昔、完全にさじを投げた大嫌いだった英語の勉強も再開した。1日あたり30分くらいずつ無理のない範囲で取り組んでいるのだが、ヘブライ語という未知の言語に取り組んでいるせいか、英語が何とかなりそうな気がしてきたのである。英語で難しいところが出てきても、前のようにすぐには放り出さなくなった。今は分からないかもしれない。でも、いつかは分かるようになる。できるようになる、と語学を学ぶ上での我慢強さというか、忍耐力のようなものがわたしの中にヘブライ語の学びを通して育ってきているようなのだ。だから、ヘブライ語を学んできたことが英語の勉強に役立つというような、以外な効果が現れることもあったりするのである。もしかしたらだが、言葉というものに対して以前よりも鋭くなってきているのかもしれないと思ってみたりする。少なくとも自分ができないことに耐える力が語学の学びにおいては要求されるということはひしひしと感じている。忍耐と継続。コツコツ、コツコツとやっていくのである。
 ヘブライ語、この調子で続けていけたらと思う。ヘブライ語に興味があるけれどいい教材が見つからないという方はぜひDVDの購入のご検討を。

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