メリット

キリスト教エッセイ
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 「メリットがないのに人は何かをするのでしょうか?」
 これは数年前、教会の聖書研究会で発言してひんしゅくを買ったわたしの言葉である。なぜひんしゅくを買ったのか、当時のわたしには理由がよく分からなかった。でも、今となってみると、それとなくではあるが分かるような気がする。
 つまり、この言葉は理想を叩き壊す言葉なのだ。理想に酔いしれていたい人の頭にハリセンで「そんなわけないだろ!」と下品なツッコミを入れるような言葉なのだ。
 この言葉に反発する人は、人間はメリット(利益)なしでも顧みず行動するものだとおそらく言いたいのだろうと思う。人間の行動はそんな打算とか計算とかではかれるものではなくて、メリットなしでただ純粋な思いで行動に移すこともあるのだということだろう。でなかったら、どんなに美しい行為も結局は自分の利益のためにやっているのだということになってしまう。彼らはそれを否定したいのだ。だから声高にむきになって、わたしの発言に食ってかかってきたのだ。
 お気付きの方もいることだろうが、これは悪魔の言葉である。悪魔、そうサタンの言葉なのだ。この言葉に近い、いや、本質的にはほぼ同じような言葉が聖書のヨブ記では語られる。
 「利益もないのに神を敬うでしょうか。」(ヨブ1:9)
 この言葉がまるでわたしの喉にささった魚の太い骨のように、わたしの中でひっかかっている。このサタンの言葉を煎じ詰めると、「利益もないのに人間は何かをするのでしょうか。」ということになる。
 メリット(利益)がないのに人間は行動するのか?難しい問いである。
 この言葉を通してサタンはわたしたちを嘲っている。どんなに殉教、殉職、自己犠牲による死をなそうとも結局はすべて自分の満足のためなのだ、と。こう言われてしまうと身も蓋もなくて、サタンに言い返す言葉がなくなってしまうわたしだが、あえて返すのなら、返せるのなら「そういう言い方をするのをやめてほしい。」という言葉くらいだろうか。サタンはそういう死を遂げていった人たちに対して失礼だと今思えてきたのだ。
 人間のやることなすこと、すべてはその人にとっての自己満足なのかもしれない。どんなに高尚な英雄的な行為であっても、突き詰めていくと自己満足なのかもしれない。「どうせ、その行為にメリットを見出したからそれをしたんだろう?」と言われてしまえばそれまでのようにも思える。
 でも、そういう言い方は失礼なのだ。失礼どころか全人格をあげてそういうことを言う人を何度罵倒しても足りないくらい怒っていいことなのだ。
 逆にわたしはそう得意顔で問うてくる人にこう問いたい。「あなたは誰か他の人のため、あるいは何か信条や思想や宗教的なもののために命を捨てることができるのですか?」と。これは人生問答とも言うべきヘビーなやり取りである。
 かく言うわたし自身がこの失礼極まりない問いを過去に発してしまった者だ。その当時のわたしはそこまで考えていなかった。ただ、ある意味哲学的な関心のようなものから問うてしまったのだ。その場に居合わせた良識ある人たちがわたしのその質問に一斉に「それはどうかと思う。」みたいなことを言ったのはまともな反応だったと今では思う。
 こうして、ここで強烈な質問が誕生した。「あなたは何かのために死ねるのですか?」
 わたしは一言答える。「死ねない……。とてもではないが死ねない。」
 臆病なわたしなのである。でも、そう思うのが過半数、いや、多数の人々ではないだろうか。ほぼ全員が躊躇する。考える。「うっ!」と思う。
 こんな現状なのだから、なおさら誰かのため、何かのために命を捧げた人たちを自分たちのつまらない理屈でこき下ろしてはならないとわたしは思う。また自分が命を捧げるから、そうしない人を見下したりするのも何か違うような気がする。本当に崇高な魂を持つ人は黙って静かに微笑しながら、自らの命を捨てるのではないだろうか。他人を見下したり、蔑んだり否定したりすることもなく己の信条に従い命を捨てる。
 わたしが何かのために命を捨てなければならない機会が訪れないことを願うばかりだが、どうなのだろう。わたしは彼らに倣うことができるのだろうか。おそらくできない。でも、わたしはその彼らの行為に合理性を超えた何か尊い人間の究極的な姿を見るのである。
 サタンの言葉に耳を傾けてはならない。それはもっともな言葉のようだが、悪魔のささやきである。
 わたしが最も敬意を払っている聖句を引用してこの文章を閉じることとしたい。キリスト教の核心はこの聖句において見事に表現されている。

 イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。(1ヨハネ3:16)


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