「くたばれ、クソジジイ」のじいさんが死にそうになったことを通して考えたこと

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 「あんなクソジジイくたばればいい。」
 祖父から悪態をつかれた時、本当にそう思った。だが、その祖父が一昨日、突然、緊急手術となった。
 その日の夜中の12時頃に激しい腹痛を訴えた祖父だった。「これは病院に付き添わねばならない」と状況判断したわたしは、眠剤が効いている中、朝食後の薬を飲み、バナナを食べプロテインを飲み、少し栄養をつけたところで、祖父母と共に夜中の1時頃、救急外来へと向かった。コロナ禍ということもあってだろう。外来にはわたしたちの他に二人ほどしかおらず空いていた。
 診察が始まったが、検査をしてみないと総合的な判断ができないので、できる限りの検査をした。祖父は5年前に大腸がんの手術をしているので、おそらく内臓関連の病気だろうとわたしたちは目星をつけていた。けれど、検査をしてみても内科的な疾患は見つからない。CTを見ても異常所見は見られない。となると骨や筋肉の疾患なのだろうか。そう疑った医師は腹部のCTは撮ったので、それよりももう少し上の肋骨あたりを撮ってみることとなった。医師によると折れた跡が確認できたとのこと。つまり、肋骨が折れている痛みではないかと祖父の病状を見立てたのである。そうなると医師曰く、「痛み止めで騙し騙しやるしかない。」とのことだったので痛み止めを注射した。その前には座薬も入れた。それなのに、祖父は「痛みが変わらない。痛い。」と苦しそうに訴える。内科的な疾患が認められない以上、(炎症も起こっていない)可能性として外科的な疾患しか考えられない。「これ以上、現時点でできる検査はない」と医師から通達されて、祖父の痛みは続いていたものの、帰宅することになった。あとは整形で見てもらってください、ということで、紹介状と検査データ一式を持たされて病院を後にしたのだった。
 実はわたしはもうすでにヘロヘロでグロッキー寸前だった。病院へ出発したのが夜中の1時頃で終わったのが朝の7時である。その間、わたしは一睡もしていない。きつい。きつい。はっきり言って、しんどい。普通の人であっても徹夜は堪えるものなのに、何せわたしはメンタル疾患がある人間である。メンタルの病気がある人がやってはいけないこととして徹夜をすることがあるのではないかと思う。不眠は精神疾患を悪化させるのだ。病院の椅子で座って待っている間、わたしはAKB48の「ヘビーローテーション」を聞きながらグロッキーを回避していた。普段、アイドルを酷評しているわたしだがこの時ばかりはアイドルに助けられたのだった。ありがとうAKB。あれくらいの音楽でないと下がり気味なメンタルを上向きにすることはできない。そんなわけで頭はフリーズしてただダラダラ音楽を聞いている。そんな待ち時間だった。
 帰ってからも祖父は「痛い」と訴え続けた。その痛みを少しでも軽減すべくわたしは明日整形に行ったらどうですか、と呑気なことを言っていたのだった。しかし、祖父はどうしても今日また病院へ行きたいらしい。しかも時間が経つごとに「前より悪い」と顔を青くさせ脂汗を流しながら言う。わたしは付き添いたかったが限界まで来ていた。そういうわけで祖父母だけで行ってもらうことになった。わたしは整形へ行くことを祖母から助言を求められたので主張。ところが、祖母はどういうわけかわたしの主張をあっさり無視して、今日行ってきた市立病院へとまた祖父を連れて向かったのだった。
 そして、午後5時頃、今から診察が始まるとの祖母からの電話を母が受けた。それから30分くらいしてからだろうか。病院から電話があり、祖父は腸捻転(ちょうねんてん)で手術をしなければならないとのこと。緊急手術だそうだ。
 ここまで詳しく書いてきたが、これから先は少し端折りたい。
 そして、病院へと向かった母とわたし。手術がはじまり、そして終わった。成功。
 わたしは祖父のために神様にお祈りをしていた。その祈りが聞き届けられ、感謝の祈りもし、涙が出てくるのではないかというくらい祖父の手術が成功したことがうれしかった。神に感謝した。
 そして、手術を終えたばかりの執刀医から説明をわたしたちは受けた。三週間くらいで退院できそうで、ストーマ(人工肛門)にはならなくて済んだとのことだった。普通に便を肛門から出せる。ありがたかった。
 最後に手術室からICUに向かうところで人工呼吸器と管をつけられた祖父とわたしたちは対面した。感無量だった。「クソジジイ、くたばれ」の当本人を前にして生きていてくれて良かったと思う。矛盾している。たしかに矛盾している。けれど、何か本能的というか衝動のようなものが、その時のわたしの感情を大きく揺さぶったようだった。自分の機嫌次第で悪態さえつくじいさん。しかし、それでも家族というものは家族なんだなと再認識したのだった。わたしにとってのおじいさんはこの人以外にはいないのだ。「くたばれ」と思ったけれど、「生きていてくれてよかった」と今思う。
 神様はわたしに一番大切なことを教えてくださったのではないかと思う。心の琴線にふれる一番大切なことを。


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