おじいさんが家にいなくなって

いろいろエッセイ
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 おじいさん、祖父が家にいなくなってからだいぶ時間が経っている。祖父なしの生活なのである。もっと寂しくなるかと思っていたが、意外とそうでもなく、何とかわたしたちは毎日の生活を送っている。
 本人には悪いのだが、生活が効率的にスムーズになったと思う。と言うのは祖父は何をするにも時間がかかったからだ。
 まずトイレ。30分以上かかることはざらであった。「漏れる。漏れてしまうんだ。トイレから出てきてくれなければ漏れてしまう。早くしてくれ。」そんなわけで失禁寸前までトイレを我慢したことも何度かあったと思う。小ならまだ漏らしても被害は大きいものの小さいが、大だと。これは切実な問題であり本当に困る。だから、トイレにはあまり行きたくなくても行くようにしていた。祖父がいったん入ってしまうとなかなか出てこないからだ。もちろん、トイレをひとりでできるということは有り難かったことではあったのだが、普通の人よりも時間がかかるのであった。
 そして、歩行全般。パーキンソン病も患っていた祖父だったから、特に一歩目がすくんでしまって出ない。そして、出ても普通の人よりも歩くのに時間がかかるのであった。よたよた~、よたよた~。決して侮辱しているわけではない。蔑む意図はない。とにかく、杖をつきながらよたよた歩くのであった。そして、その間わたしたちは待っていなければならないのだった。わたしだって気分や調子のいい時はそれでも待てるし問題はない。けれど、急いでいる時や調子の悪い時にはそれを見ていると猛烈にイライラしてくるのである。さっさと歩けと思ってしまうのである。それが間違っている、わたしの考えに問題があるということは重々自分でもわかっている。しかし、イライラしてしまう。こういうことはあまり要介護の高齢者と同居している家族は声を大きくして言ったりはしない。家族というものはそうした高齢者を暖かく見守って励まし共に歩んでいかなければならない。そうすべきだ。たしかに建前としてはよくわかるし、理想としてはその通りだと思う。でも家族だって人間だ。よたよた歩くおじいさんを待ってあげられない時もある。寛大な目で見守れない時もある。それが実際に生活を共にしている者の綺麗事抜きの実態ではないだろうかと思う。
 祖父が入院してその後も施設へ行って、わたしの感情としては、寂しい2割、すっきりした4割、いないんだな2割、その他2割といったところだろうか。わたしは白状なのかもしれないと自分でも思ってみたりする。祖父が家からいなくなったというのに空虚感のようなものがほとんど発生していないのである。もっと祖父がいなくなって寂しいと思うべきなのだろうか。大事なおじいさんがいなくなったというのに、「すっきりした4割」だなんて不謹慎そのものではないのか。そんな自責とまではいかないが、お前それってどうなんだよ的な感情は出てきている。でも、これがわたしの本音であり実感であるのだから仕方がない。思えないことを思えというのはなかなか酷な要求だろう。少なくともわたしはそうは思えないのだから、とりあえずわたし自身の素直な気持ちを受け止めるようにできたらと思う。
 要介護になった祖父を通して見えてきたことがいくつかある。それは反面教師として見習いたくはないことである。
 まず祖父は若いころから車にばかり乗っていてほとんど運動をしなかった。これがまずかった。おそらくこれが原因であろう。脳梗塞を60代か70代でやったのである。(わたしの記憶が曖昧なことを祖父には許してもらいたいのだが)これを反面教師としてわたしは運動習慣を継続させたい。そして、脳梗塞になることなく、そして要介護になることもなく生涯を健康な状態で終えたいのである。
 次に祖父は若いころは漱石を多少たしなんだらしいが、それ以後はほぼ読書ゼロの生活を送ってきた。これが認知症になったことと、どう関連するのかは定かではないが、わたしがにらむ限りでは関係があるんじゃないか、という気がしている。もしかしたら、もしかしたらだが、読書と認知症。深いつながりがあるんじゃないかなぁ。そういうわけで、読書ゼロの祖父を反面教師として、読書に文筆活動に、と頭を使う生活を死ぬまで送っていきたいと思う所存である。
 おじいさんが家にいなくなって新しい生活が始まった。毎日をより充実させ祖父の失敗を反面教師としてわたしの人生に生かして無駄にしないようにしていきたい。


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