「メリット」再論

いろいろエッセイ
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 またしても難しい問いの前に佇(たたず)んでいる。そして分からなくなってくる。それは結局「メリット」なのか?、という問いだ。
 女性との出会いを求めてマッチングアプリを始めた星なのであったが、どうも釈然としないのである。それは、何か自分がモノとして扱われているような気がしてきたからだ。モノ、つまり商品として扱われているように思えてくるのだ。
 男女交際、結婚というのは商品を買うようなものなのだろうか。買うというか手に入れようとすることなのだろうか。
 年齢、容姿、学歴、年収、職業、趣味・特技、資格、それらが書かれている自己紹介文。それらを総合的に判断して一番お得なものを手に入れようとする。自分の好みに一番合致した相手をものにしようとする。
 わたしが女性を商品として見ているように、向こうの女性もわたしを商品として見ている。
 でも、どこかこうした空気に晒されると違和感まで行かなくても一抹の寂しさを覚える。
 わたしは高い理想を言うようだが、わたしだから、わたしだから好きになってくれた人と一緒になりたい。男性A、男性B、男性C、わたしといてこの四人のなかで一番わたしが条件がいいからといった理由で選ばれたくない。何というか、それではモノと同じではないか。結局それは一番自分にとってメリットのあるものを選んでいるだけであって、もっと言えばわたしよりも条件のいい男性が現れたら平気で鞍替えすることを意味する。
 となるとだ。仮に結婚まで発展したとしよう。そして、二人の共同生活が始まる。で、問題なのは、何か問題や困難が発生した時にすぐに折れてしまわないかということである。そこまで大きな出来事が発生しなくても、男の方か女の方かを問わず、太った、はげた、老化により容色が落ちた。もっと深刻なものであれば、人柄が変わって性格が悪くなった、精神疾患になった、借金をつくった、などメリットどころかデメリットが発生した場合、結婚生活は破綻してしまわないだろうか。メリット目当てで結婚したのに、その宛てが外れたら失望すること間違いないだろう。
 こういうわけでわたしは今、メリットの迷宮に迷い込んでしまっている。どうしたものか。
 メリットなしでわたしを好きになってくれる人はいるのだろうか。むしろデメリットだらけであっても好きになってくれる人はいないものなのだろうか。
 とある人はおそらくこんなことをわたしに忠告するだろう。「甘い、甘い!! 星さん、そんな夢見たこと言ってちゃ駄目だよ。現実を見なよ。みんなメリットを得るために行動しているもんだよ。人間はメリットを得るために、いやむしろメリットがなかったら何も行動すらしないんだよ。だから、メリットを得るために行動するのは自然なことで、何も悪いことなんかじゃない。むしろ星さんの方が自然の摂理のようなものに無謀にも丸腰で挑んでいるようなものであって、星さんの方こそ不自然だよ。誰が好き好んで害悪を得るために奔走するんだい? そんな人、一人もいないよ。人類の歴史においてそんな人、一人もいなかったと思うよ。だから、メリットがないように周りから思える行動であっても、その人はその人なりにメリットを得ようとしていたし、得ようとしているんだよ。これは間違いない。すべての人間はメリットを得るために行動している。これは確実なことだね」
 振り返れば、わたしだって相手の女性からメリットを得ようとしている。やさしくて、きれいで、わたしのことを好きでいてくれて、賢くて、できたら料理も上手で、清潔感があって、などと注文つけまくりなのだ。そして、これらはすべてわたしが得ようとしているメリットでもある。利益なのである。逆に言えば、やさしくなくて、きれいでなくて、わたしのことを好きでいてくれなくて、賢くなくて、料理ももちろん下手で、清潔感がなくて、とわたしの理想と真逆の人が「わたしのことを好きになってほしい。メリットなしで愛してほしい」と来たらわたしはどう思うだろうか。おそらく「気持ちは嬉しいんだけどちょっと……」と濁すだろう。
 全くメリットにならないどころかむしろ害悪を及ぼされて被害をこうむるような、一緒にいることさえも嫌悪するような相手とわたしは一緒にいたいと思うかと言えば思わない。
 つまり、わたしはメリットの力に勝てないわけだ。世界の果て、地の果てにまで行こうとも、メリットは常にわたしにまとわりついていて、メリットのある行動を促し、わたしはそれに従わざるをえない。言うならばわたしもあなたもすべての人がメリットの奴隷なのである。
 その奴隷状態から解放されるためには、メリットではなくてデメリットのある行動かどちらでもない行動をしなければならない。そして、その行動にほんの少しであってもメリットを感じてはいけない。これは、これは難しい。別の言い方をすれば、しょうもない行動を、それも本当にしょうもない行動を続けるということである。あるいは少なくともしょうもないまで行かなくてもメリットを感じられない行動を。
 結局、つまるところメリットなのかもしれない。何だかんだ言いながらも人間はメリットのある行動しかしないのかもしれない。できないのかもしれない。
 でも、それでも思うことは自分がかけがえのない置き換え不可能な存在として大切にされたいということだ。たくさんの人をメリット計算してその中で一番あなたが条件が良かったからあなたを選んだというのでは寂しすぎないか。人間を点数化したり商品化する時、その存在は置き換え可能なものとなってしまう。だからこそ、だからこそ、綺麗事だと言われることは百も承知なのだが、「あなたが好きだから、あなたという人がとにかく好きだからわたしと一緒にいてほしい」と言われたい。その言葉が出るとき、その相手の人はもう置き換え不可能な存在となっている。だから、もうそうなったら、後からどんなに条件のいい別の相手が現れたとしても揺らぐことはないだろうと思う。かけがえのない相手。かけがえのないあなた。条件とか希望とかそんなもの吹き飛んでしまうくらいの相手の唯一性。まさにオンリーワンなのだ。
 メリットはある。たしかにメリットはある。けれど、メリットだけではない。メリットもありながらも超えた何かもある。そんなおぼろげなつかみそうでつかめない何かを垣間見たようなそんな午後のひとときだった。

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