若者の政治離れに若者として思うこと

いろいろエッセイ
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 若者の政治離れが言われて久しい。わたしも一応その若者の一人になるだろうから、このことについて思っていることを書きたい。
 若者が選挙に行かないのはなぜか。それはおそらく、どうせ変わらないからと政治に失望しているからなのだと思う。
 だって変わらないじゃん。だから、どうせわたしが投票しようが何をしようが変わらない。わたしの力なんてほぼゼロみたいなもので、投票してもどうせ意向は汲み取られない。わたしの意見、考えは無視され続ける。そして、おやじ連合ががっちり強固な力を持ち続ける。それはおそらく変わらない。どんなにわたしが声をあげてもその有力者につぶされて無かったことにされる。だってわたしには金もないし、学歴もないし、権力もないし、社会的地位もないし、コネもないのだから。
 こう思っている人がいたとしたらそれは半分合っているけれど、半分違うよ、と言いたい。半分合っているというのはそれが好ましいとか望ましいとか、いいとか言う意味ではなくて、事実としては合っているということだ。たしかに今の世の中はおやじ達が力を持っている。権力を掌握している。そして、わたしたち若者がどんなに声を上げても無かったことにされる。わたしたちの力は無力なのかもしれない。それは事実かもしれない。でも、半分間違っているのはそれは変えることができることだからだ。新聞で読んだのだけれど、今の状態はまさに悪循環だ。悪いループにはまっているのである。

 若者があまり選挙で投票しない
→若者が影響力を持たない
→政治も若者の意見をあまり取り入れなくてもいいと判断する(投票数の多い中高年の意見を取り入れたほうが多くの票を獲得できるから)
→政治に若者の意見が取り入れられない(中高年の意見がおもに取り入れられる)
→政治に失望して政治離れがすすんでいく
→若者があまり選挙で投票しない
→(以下、ループする)

 つまり、あまり投票しない若者の意見よりもたくさん投票する中高年の意見の方が政治に反映されてしまうのである。若者には若者の利害関係があって、中高年には中高年の利害関係がある。利害関係もそうだがニーズと言ったらいいのだろうか。
 政治家の側からしてもあまり投票してくれない若者の意見を聞くよりは、たくさん投票してくれる中高年の意見を聞いた方が選挙戦を有利に戦うことができる。
 こうして若者のニーズがあまり汲み取られることがなく、中高年の世代の人々の意見ばかりが反映されることになる。
 そうなってくると問題なのは若者が生きにくい社会が作られてしまうことである。若者だっていろいろ言いたいことがある。あれをしてほしい。これをしてほしい。政治のことが分からない人であっても、要望や希望などはあるものだと思う。たとえばわたしだったら大学を無償化してほしい、とか。
 大きな選挙が近付いている。これはもう投票するしかない。若者の底力を見せてやろうではないか。政治に無関心な若者はもう卒業しようではないか。
 わたし一人の力は微々たるものでしかない。たったの1票だ。でも、それが1万、10万と集まればとてつもなく大きくて強い力になる。若者には政治を変える力がある。これは若者に限らない話だけれども、今の選挙の投票率はだいたい50%くらいだ。つまり半分の人は棄権しているのである。で、その半分の人の半分の25%の人がもし投票したら世の中大きく変わるんじゃないかと思う。
 もし若者の投票率が大きく上がって無視できない状況になれば、政治家達だって若者の意見を聞かざるをえない状況になることだろう。そうなれば若者は無視できなくなる。軽視できなくなる。
 だから、若者のニーズをかなえてくれそうな人に投票しよう。そうすれば若者が生きやすい世の中になる。若者だって社会的にはまだ未熟であっても、選挙においては立派な大人だ。だから、萎縮したり卑下する必要はない。
 若者には若者の主張がありニーズがある。若者だって生きやすい社会にしてほしいと要求する権利はある。だから、選挙ではっきりと主張するのだ。
 わたしはあまりこのブログでは政治的なことは書かないようにしている。なぜなら、読者の皆さんにはそれぞれの意見や立場があり、デリケートな話題だとわたしは思っているからだ。でも今回は若干政治的な話をしてみた。もしかしたら気分を害された方もいるかもしれない。でも、これがわたしの意見だ。このブログの影響力は大河の一滴みたいなものだけれど、もしこの記事を読んでくださった方が投票に行きたいなと思ってくれたとしたらとても嬉しい。
 わたしたちには現実を変える力がある。若者にもその力はある。だから、投票に行こう! その行動が日本を変え、結果的に世界を変え、歴史を紡いでいくのである。

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