キリスト教エッセイ

いろいろエッセイ

無邪気に喜べることは幸せなこと

今日、教会で集会があった。この集会はみんなで自由に語り合う、いわばフリートークをする集会で、わたしは珍しく食べ物を持って行った。何を持って行ったかと言うと、デーツ。デーツとはなつめやしの実で、乾燥させたドライデーツを差し入れとばかりに持って...
キリスト教エッセイ

塩水

わたしはふとある衝動にかられる時がある。今は慎ましく節度のある生活をしているけれど、放蕩の限りを尽くして、そしてお金がなくなったら放浪生活をする。そんな衝動にかられるんだ。何を言っているのか、と思うことだろう。自分でも何でこんなことをここに...
キリスト教エッセイ

3・11とわたしの信仰

3月11日。東日本の震災から12年。と言いつつもわたしはその震災を体験しているわけではない。ましてや、東北にすら行ったことがない。そんな完全に外野に位置するわたしに何が言えるのか。おそらく、ではなくて確実に何も言えない。でも、わたしは人だか...
キリスト教エッセイ

星さん猿の信仰あれこれ問答

昔むかし、あるところにお猿さんたちが暮らしておりましたそうな。お猿さんたちはとても敬虔なお猿さんでして、今日も集まってはその中でも飛び抜けて信仰深いお猿さんから教えを受けておりましたそうな。彼らはそれからも信仰篤く生き、そして死んでいったそ...
キリスト教エッセイ

空っぽになるまで祈るべし

教会の聖書研究会(教会で行われる信仰を深めていくための勉強会)、行ってきましたよ。というわけで、今日学んだことの中からこれはと思うものを手短に紹介していきますね。 牧師が祈りについて教えてくれたこと。それは自分が空っぽになるまで祈るというこ...
いろいろエッセイ

幸せな悩み

今日は日曜日。わたしは、絶滅危惧種なのかもしれない毎週教会へ行く人。由緒正しき正統派クリスチャンなのだ、と思う。 礼拝の説教を聞いていたのだけれど、どうも心に響いてこない。牧師の話が難しすぎるとかそういうことじゃなくて、何だか話が相変わらず...
いろいろエッセイ

選択する葦

時々、体が1つではなくて3つくらいあったらいいのになぁと思う時がある。当たり前のことだけれど、何かをやるということは別の何かをその時にやることを諦めること。このシンプルな事実に気が付いてからというもの、どうも一日の活動を始めるにあたって何を...
キリスト教エッセイ

意見箱

わたしがクリスチャンになってだいたい4年が経とうとしている。受洗までの期間を含めるとかれこれ今の教会には6年くらい通っている。その間、曲がりなりにも教会生活をしてきたわけであって、教会の行事やイベントやら何やら、または人の入れ替わり、立ち替...
キリスト教エッセイ

たとえもうじき死ぬとしても

どうもー、星です。みんな元気にしてますか? わたしは元気に毎日を過ごせていて、調子も良く、頭も冴えていて快調です。幸せいっぱい、夢いっぱい。そんな感じの毎日です。 と言いたいところなのだけれど、この平和が長く続かないかもしれないのだ。のっけ...
いろいろエッセイ

すべてが波だとしても

今朝はなぜか気分が晴れなかった。気持ちがどんよりとして重く、やる気も起きず、わいてくるのはネガティブな思考ばかり。そんな時にわたしはどうするかと言うと瞑想をする。 が、瞑想をしたことによってかえって気持ちがどんより沈んでしまった。というのは...
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