キリスト教エッセイ

キリスト教エッセイ

いろいろあったけれど、教会生活を続けることにした

前回、ブログを更新してから一週間あまり。「教会へ行きたくない」「ヨガをやってまた教会へ行きたくなった」と書いてから一週間。この間もわたしは時を過ごしておりましたよ。バッチリというか、時を過ごしておりました。 昨日はイースターだった。そして、...
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「教会に行きたくなくて」から2時間後に起こった奇跡について

「教会に行きたくなくて」というタイトルの記事を書いてそれから2時間後。わたしは午後のヨガをやった。綿本彰「癒しのヨーガメソッド」というDVDを見ながらヨガをやったのだ。そうしたら奇跡が起きた。何とあれだけ行く気がしなくなっていた教会にまた行...
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教会に行きたくなくて

のっけからネガティブな話で恐縮なんだけれど、話してもいいかな? ダメ? じゃあ、少し間を置いてそれから読んでほしい。 単刀直入に申しますと、今、教会へ行きたいという気持ちが起きないのだ。毎週、風が吹こうとも嵐がやってこようとも、日曜日に教会...
いろいろエッセイ

ダメなわたしがダメだと思う人ってどうよ?

気持ちがくさくさしている。イライラしている。わたしのこのブログに批判的なコメントが寄せられてそのことで頭にきているのだ。 言葉。それは諸刃の剣のようなもので、あたたかい言葉は人を幸せにするけれど、反対に冷たかったり攻撃的な言葉は人を不幸にす...
いろいろエッセイ

自分が正解だと思えばそれが正解

何事も自分が正解だと思えば、正解になるのだと実感したのです。(いしかわゆき『書く習慣』p26)  この言葉に出会った時、わたしは目からうろこが落ちた。衝撃を受けたというか、あぁ、そうだなぁと思った。本当ね、このいしかわさんの言葉、鋭くない?...
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無邪気に喜べることは幸せなこと

今日、教会で集会があった。この集会はみんなで自由に語り合う、いわばフリートークをする集会で、わたしは珍しく食べ物を持って行った。何を持って行ったかと言うと、デーツ。デーツとはなつめやしの実で、乾燥させたドライデーツを差し入れとばかりに持って...
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塩水

わたしはふとある衝動にかられる時がある。今は慎ましく節度のある生活をしているけれど、放蕩の限りを尽くして、そしてお金がなくなったら放浪生活をする。そんな衝動にかられるんだ。何を言っているのか、と思うことだろう。自分でも何でこんなことをここに...
キリスト教エッセイ

3・11とわたしの信仰

3月11日。東日本の震災から12年。と言いつつもわたしはその震災を体験しているわけではない。ましてや、東北にすら行ったことがない。そんな完全に外野に位置するわたしに何が言えるのか。おそらく、ではなくて確実に何も言えない。でも、わたしは人だか...
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星さん猿の信仰あれこれ問答

昔むかし、あるところにお猿さんたちが暮らしておりましたそうな。お猿さんたちはとても敬虔なお猿さんでして、今日も集まってはその中でも飛び抜けて信仰深いお猿さんから教えを受けておりましたそうな。彼らはそれからも信仰篤く生き、そして死んでいったそ...
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空っぽになるまで祈るべし

教会の聖書研究会(教会で行われる信仰を深めていくための勉強会)、行ってきましたよ。というわけで、今日学んだことの中からこれはと思うものを手短に紹介していきますね。 牧師が祈りについて教えてくれたこと。それは自分が空っぽになるまで祈るというこ...
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