3月11日。東日本の震災から12年。と言いつつもわたしはその震災を体験しているわけではない。ましてや、東北にすら行ったことがない。そんな完全に外野に位置するわたしに何が言えるのか。おそらく、ではなくて確実に何も言えない。でも、わたしは人だから何かしら思うことはある。そのつたない考えをここに書いてみる。
神様が分からなくなった年。それが震災のあった年。連日、テレビから流れてくる津波の映像を前にして、わたしは「神様、どうして?」と悲嘆に暮れていた。聖書にはこう書いてある。「神様は愛です」と。じゃあ、何でその愛の神様がこんなことをなさるのか。いや、直接手を下されていなかっとしても、なぜこのような状況を許されているのか。考えれば考えるほど分からなくなる。分からなくなりながらも繰り出せそうな神学はどれもこれも被災した人たちを傷つけるようなものばかり。全然、救いになんてならない。
「これは神様の御計画なんです」と完全に神様の僕として従える人はいい。けれど、ふつうの人には無理だ。愛する家族が津波で流されて、それでも「御計画なのですね」などとすましてはいられない。その時からしばらくして「あぁ、御計画だったのだなぁ」としみじみ振り返ることは可能かもしれないけれど、とてもその直後にそんなことを思うなんて無理だ。
あるいはもっとひどいものになるとこれは神様からの罰なんだよ、とか、前世で悪いことをしたその報いなんでしょう、とまことしやかに言う。自分でそう思うのは自由だけれど、それを誰かに、しかも一番言ってはいけない被災した当事者、家族を失った人に言うのは本当にあってはならないことだと思った。宗教が人を傷付けるというのはどういうことなのか。こうした言論が当時流れた時、痛いほど思い知らされた。
神様はいるのか、いないのか。いるとしたらなぜ震災が起き多くの人たちが命を奪われたのか。こんな時、一番簡単なのが「神様なんていないんだ」と言うこと。でも、真面目な信仰者であればあるほど、こうした結論はとてもではないが認めることができない。自分の中心にしっかりとある信仰が、大きな木が、震災という強烈な雷に打たれて倒れそうになる。信仰者にとってのあの出来事はそういう意味合いがあったように思う。
そうした問題にわたしは真正面からぶつかって行った。逃げないで真正面からドンと全面的に衝突してみた。その結果、ボロボロになった。あれほど豊かに茂っていた信仰が無惨に打ち砕かれていった。次第にわたしは焦るようになった。わたしが壊れてしまう、と。わたしは豆腐メンタルだから(いや、厚揚げでしたね)そんな人類の抱える大問題がぶつかってきたら、もうグチャグチャになってしまう。だから、かわすことにした。卑怯なようだけれど、かわすことにしたのだった。かわす方法。それは、「最後の審判の時に、イエスさまに悪があった理由を聞くことにしよう」というあっけないほどシンプルな方法。この方法が今取れる最善の方法で一番懸命なものではないか。わたしが自分の信仰を壊さないために取ったのがこの方法なのだ。
で、何とかやっております。いろいろ問題はあるけれど、信仰が破滅的な事態になることだけは避けられております。
でも、かわすことにしたわたしだけれど、その震災を含めた苦難には何らかの意味がしっかりとあって、それがために起こっているんじゃないかと考えたりすることもある。もちろん、そのことに確信があるわけではないけれど。
3・11から12年。あっという間だった。そして、20年、30年、40年と震災の記憶が遠のいていくのだろう。わたしにとっての3・11。静岡にいたわたしの3・11。これはこれでかけがえのない経験なんだろうな。
あと12秒で30分。タイマーが鳴りました。鳴ってるタイマー止めて、と。ではでは。じゃあね。またね。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。