キリスト教エッセイ

キリスト教エッセイ

「頑張る信仰」と「ありのままの信仰」

いつからだろう。気が付いた時にはもう既にそうなっていた。そして、紆余曲折あって今のわたしがある。 急に何の話をし始めたのか説明不足で分かりにくかったかもしれないが、これは信仰についての話である。そう、気が付いたときには、であるのだ。 わたし...
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修養会行ってきました

前の記事「聖餐についての本を読んでいます」で修養会まであと10日くらいしかないけれど、聖餐についての本を読み終えることができるかな、と書いたと思う。 で、その修養会が先日終わったのだ。って「あれから10日経ってないじゃん」と思われたことだろ...
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聖餐についての本を読んでいます

時刻は夜の8時を少し過ぎたところ。わたしが最近書いた「恋人はいないけれどリア充なんです」と書き綴った記事には午後3時半に散歩してるとか書いたけれど、いかんせん暑いもんだから、夕食後の涼しい時間帯に歩くことにした。星の真似をして午後3時に散歩...
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みんながしあわせな世界について

みんながしあわせな世界。そんな世界あるのか。 もしも、世界のすべてを神様のように見ることができたとしたら、それはどんな光景なのだろうか。 わたしは有限な一人の人間でしかない。だから、見ることができるものも有限だし、見ることができたとしてもほ...
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神がナイチンゲールの生き様を通してわたしに語りかけてくださっている

わたしたちは幸せになりたいと願う。それは誰にとってもごく自然な本能である。 幸せを追求していった時にある地点に立ち止まるのではないか、というのがわたしが最近思うことである。それは自分だけが幸せならそれでいいのか、という決定的な問いかけである...
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メリットなしの信仰?-信仰についてわたしが考えたこと

強くなろう。知識を貪欲に吸収して理論武装しよう。それから体も鍛え上げて強靱な肉体を手に入れよう。 自分を強くして敵との戦いに備える。敵と戦うためにはそういったことも必要だろう。それは認める。けれども思う。それでいいのか?、と。 弱いよりも確...
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自分の力でキラキラ輝けると思ってしまう恩知らずなわたし

キラキラ輝いている人。みんなが憧れるそんな人。そんな人にわたしもなりたい。そう思って毎日邁進しているわたしだが、最近息切れし始めている。と言うよりも、毎度の息切れなのである。 キラキラしたい。キラキラになりたい。そう思ってハイペースで飛ばし...
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生きよ

大切なのは人からどう思われるか、じゃなくて、自分がこの人生を納得できたかどうか、ということじゃないのか。 わたしは死ぬ前に「あぁ、いい人生だったな」と後悔することなく安らかに死んでいけるのか。 わたしがやりたいこと。それは文章を残すこと。自...
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讃美歌を1時間半歌い続けて

今日、教会で讃美歌を歌う集いがあった。それがまた本格的でほぼひたすら讃美歌を歌い続ける会なのである。とはいえども、ちょくちょく曲の合間に讃美歌に詳しいうちの牧師が解説を挟んでくれる。牧師が進行役である。それから一人ひとりに「歌いたい曲ありま...
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悪魔の誘惑

わたしは何のために生きているのだろうとふと思う。そして、もしも話を考えてしまう。 もしも、世界のすべてがわたしのものになったら。嬉しいのかな? それともうんざりするのかな? 世界のすべてがわたしのものとは世界征服が達成された状況である。世界...
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