キリスト教エッセイ 生きているって当たり前のことじゃないんだ 午前中は薄曇りでお日様が出ていなくて、ひんやりしていたのとは打って変わって、お昼頃からは太陽も出てわたしの家の小さな庭をも照らしている。暑くなってきた。 教会の誰からもらったのか、もう昔のことで思い出せないのだけれど、シソの小さな苗をもらっ... 2021.09.09 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ クリームパンと神の摂理 以前わたしはこのブログに、「意味のない死はない」といったことを書いたかと思う。それから、ああでもない、こうでもないと考えていたわけではないのだけれど、今ふとそのことについて書きたくなったので書きたい。 わたしたち(特にクリスチャン)はすべて... 2021.09.04 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 祈るだけで終了? 美しい言葉がある。その言葉は本当に美しくて、聞く者を惚れ惚れとさせる。それどころか、惚れ惚れを通り越して恍惚状態へと導いていく。 聖書を開けば、特に新約聖書の福音書や手紙などを見てみれば、美しいまるで宝石のような言葉が所狭しとわたしたちの前... 2021.08.30 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 聖人になれないんです! 最近、神秘神学の本を読んでいるわたしである。読んでいるといろいろな人が登場してくる。その登場してくる人たちがすごい人たちばかりで自分がつまらない人間のように思えてくる。 まだ全体像が見えるところまでは到達していないのだけれど、東方正教会の聖... 2021.08.27 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 自分中心から神様中心へ わたしが憧れるのはイケイケじいさんだ。イケイケじいさんってイケてるじいさんのこと? そう。わたしはそんな老人になりたいと思っている。老人という言葉を使うとかしこまった感じがするから、老人ではなくて「じいさん」という言葉がぴったりくる。 イケ... 2021.08.24 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 「頑張る信仰」と「ありのままの信仰」 いつからだろう。気が付いた時にはもう既にそうなっていた。そして、紆余曲折あって今のわたしがある。 急に何の話をし始めたのか説明不足で分かりにくかったかもしれないが、これは信仰についての話である。そう、気が付いたときには、であるのだ。 わたし... 2021.08.15 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 修養会行ってきました 前の記事「聖餐についての本を読んでいます」で修養会まであと10日くらいしかないけれど、聖餐についての本を読み終えることができるかな、と書いたと思う。 で、その修養会が先日終わったのだ。って「あれから10日経ってないじゃん」と思われたことだろ... 2021.08.11 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 聖餐についての本を読んでいます 時刻は夜の8時を少し過ぎたところ。わたしが最近書いた「恋人はいないけれどリア充なんです」と書き綴った記事には午後3時半に散歩してるとか書いたけれど、いかんせん暑いもんだから、夕食後の涼しい時間帯に歩くことにした。星の真似をして午後3時に散歩... 2021.08.08 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ みんながしあわせな世界について みんながしあわせな世界。そんな世界あるのか。 もしも、世界のすべてを神様のように見ることができたとしたら、それはどんな光景なのだろうか。 わたしは有限な一人の人間でしかない。だから、見ることができるものも有限だし、見ることができたとしてもほ... 2021.07.27 キリスト教エッセイ
キリスト教エッセイ 神がナイチンゲールの生き様を通してわたしに語りかけてくださっている わたしたちは幸せになりたいと願う。それは誰にとってもごく自然な本能である。 幸せを追求していった時にある地点に立ち止まるのではないか、というのがわたしが最近思うことである。それは自分だけが幸せならそれでいいのか、という決定的な問いかけである... 2021.07.08 キリスト教エッセイ