このブログでたびたび言及している祖父が本日、入院先の病院を退院した。あれからだったので驚異的なスピードである。
病院で執刀医だった医者と話をしたのだが、「ものすごく治りが早くて驚いている。」とのことだった。今まで何人もの患者を手術してきて経過も見てきたであろう医者がそう言うのだから、祖父の生命力にはすごいものがあるのだろう。しきりに医者はそのことにふれて感心していた。
そんなわけで病院を後にしたわたしたちであった。しかし、祖父は家に帰ることができるわけではない。施設へと向かうのだ。祖父には大変申し訳ないのだが、祖母をはじめとしてわたしたち家族では祖父の介護をすることができない。無理をすればできないこともないかもしれないが、おそらく共倒れとなり悲惨な結末を迎えることだろう。それは避けたい。いや、避けなければならない。だから、「家へ帰るのか?」と聞いてくる祖父に「そうだよ。」とは言えない。病院には施設のスタッフがお迎えに来ていた。「リハビリをするために○○(施設名)へ行きますよ。」と事情を祖父に話してくれていた。祖父にスタッフが「そうしたら家に帰りましょうね」と言ったのかどうかはわたしの記憶があやふやで覚えてはいない。けれども、必死の思いでわたしたちは即興的な希望を持たせる物語をこしらえて祖父を懐柔した。これが倫理的に許されるものであるのかどうか、ということはわたしには分からない。
頭の冴えている人だったら「自分は歩けるようになる見込みはないのだから、死ぬまで施設に入れられるということなのだな」と悟ることだろう。しかし、認知症がひどくなってせん妄をきたしている祖父にはそういう鋭さはなく、「それならよかった」と力ないものの嬉しそうな表情でうなずくのであった。
もちろん、祖父には以前、施設に入所することについて同意を得ている。けれど、祖父はそのことを覚えていなくて忘れてしまっている。病院を出発する時にもそのことを言ったのだが、一時間後にはそのことを忘れてしまっている祖父である。そう、記憶を留めておくことができなくなっているのだ。こんな調子だが、祖父の心の中には「家へ帰りたい」という思いだけは強くある。それだけはどんなに認知症で忘れっぽくなっても忘れることはない。だから、これからどんなにスタッフから説明を受けてもその説明自体は忘れてしまい、ただ家に帰りたいという気持ちだけが残り続ける。そんな感じになるのではないかと予想される。
懐柔策が通用するのは最初の1、2ヶ月だけだとスタッフは言う。それ以降、どう対応するのかというのが難しいらしい。
本人の意向は「家に帰りたい」。家族の意向は「家では介護できない」。どうしたらいいのだろうか。家族が介護できないと言っているのに本人が家に帰ってきても困ってしまう。さりとて、本人の意向を無視して施設に入れておくこともできない。
「家に帰りたい」と「家では介護できない」の両立をすることはできないものか。そこでいろいろ考えたがいい案が浮かばない。と思ったが浮かんだ。全面的に外部の人に家に来てもらって介護をしてもらえばいいのだ。でも、そんなことはできるのか。
何人かの介護や福祉の専門家に質問したり話を聞いてみてわかったことは、介護の世界というのはまずは家族ありきで動いているらしいということだった。「介護というものは家族が一肌脱いで頑張らなければならない。それができないのであれば、在宅介護は無理だと思ってください。」そんな論調でびしびし来るような専門家も中にはいた。その発想から業界全体が脱却できていないのは、高齢者福祉の歴史にも関係があるそうだが、わたしにはそこのところがまだよくわからない。とりあえず、そういう慣習というか、そういうことになっているらしいのだ。
でも、いろいろ事情がある人もいると思うのだ。家族に病気や障害があったり、仕事の関係で介護ができなかったり。そもそも、じゃあ一人暮らしの高齢者は家族にみてもらうのか、それとも施設入所か、の二択しかないんですか、という話である。その人には自宅で生活する権利がないのだろうか。そんな馬鹿な話があってたまるか、とわたしは声を荒げたくなってしまう。
とりあえず、今日の段階としては施設のスタッフと話をしたのだが、祖父が「家に帰りたい」と言い出した時にまた話し合って考えていきましょう、というところで終わった。
何とかならないものだろうか。家族の助けを借りなくても高齢者が一人暮らしできるくらい進んだ世の中にならないものだろうか。
高齢者の自立生活。まだまだそれはマイナーなものなのかもしれない。もしかしたら、わたしは時代の最先端に首を突っ込み始めているのかもしれない。祖父ももう92だ。悪いようにはしたくない。何かいい方策がないものか、模索していけたらと思う。
高齢者の自立生活が当たり前になっている世の中はきっと素晴らしいものだと思う。みんな年を取ることに不安がなくなるだろう。健やかに安心して老いていける。そんな社会ができたら最高だ。祖父のことを通していい着眼点が得られたと思う。くじけることなく求めていきたい。
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1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。