施設に入所した祖母のその後

いろいろエッセイ
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 祖母が施設に入所するために生活に必要なものを準備したり、山のような契約書類を書いて判子を押したり、と多忙な日々もようやく落ち着いてほっと一息。あとは祖母がこの施設を気に入ってくれるかどうか。
 で、何とというか、まぁそうだろうと言うか祖母はご満悦のご様子なのだ。それもそのはずで月々にかかる金額が安くはない。もう超リッチというほど高級ではないけれども、親戚の人が言うに中の上とのことだから、決して劣悪な環境ではない。むしろ恵まれているいいところなのだ。
 どういう感じかというと中堅のホテルをイメージしてもらえばいい。高級ホテルとまではいかないけれど、それに準ずるくらいの感じ。
 毎月の費用はそれなりにかかる。でも、ここに決まるべくして決まったように思えてならないのだ。神様は最善の道へとわたしたちを導いてくださった。断られたところはおそらく御心ではなかったのだ。今回の施設はお金が決して安くはない。その安くはない費用を出しなさいとわたしたち親子に神様は迫ってこられたように思えてならないのだ。祖母の費用を削ろう、安く抑えようという小賢しい考えを改めなさい。そんな風に神様はわたしたちに示してくださったように思う。
 断られたところを否定するわけではないけれど、今のところよりも格段に待遇は悪くなっていたことだろう。2つ断られたのだが、そのうちの1つは管理色が強いところで、もしも勝手に何かをやった場合にはそれ以降身体拘束をします、と言っていた。トイレの際にも必ず職員を呼ばなければならない。そして、そこにいる人と言えば、寝たきりの重度の人がおもで祖母は浮いていたことだろう。特に病院は何かあってはならないという危機管理意識がとても強いから、さらには人手をあまり確保できないことから管理しようとする。そこに自由はない。もしそこに決まっていたら祖母は死ぬまで暗い気持ちでいたことだろう。さらには何のために生きているのだろうと悲嘆に暮れていたかもしれない。
 それが今やホテル暮らしのような生活に一変。食事もすごく美味しいらしく、ご飯以外のおかずは入所してから一度も残したことがないと言っていた。それも高熱で体調が悪い時であってもだ。今の施設、ただものじゃない。
 そして、祖母にも変化が訪れた。いい暮らしができていて幸せに包まれているからだろう。わたしたち親子に対して別人のように優しく接してくれるようになったのだ。今日までに2回ほど面会に行ったけれど、祖母はわたしたちにしきりに「ありがとうございます」と感謝するのだ。それも口先ではなくお世辞でもなく、心の底から感謝してくれるのだ。祖母は粗探しの達人だ。だから、気に入らないことをあげつらう。ここが良くなかった。ここが気に入らない、などと良くないところばかりに注目して人生をつまらなくさせていた。でも、今は違う。粗探しをしなくなった。と言うよりは粗探しができないくらい今の生活が素晴らしいのだろう。粗探ししようという気持ちさえなくなってしまうほどの好待遇なのだから。
 祖母は働いてきた人だ。それも家を建てるために身を粉にして働いてきた人だ。そんな祖母が最後の最後でいい暮らしをする。つまり、祖母は報われたのだ。節約して切り詰めてお金を貯め続けてきた祖母がやっとそれから解放されて悠々自適な生活を送れるようになったのだ。
 その支払いは決して楽なものではない。でも、祖母はあと3年生きることはないだろう。だから、それ以内ということで金銭的なプランを立ててある。3年以上になると支払うのが厳しくなる。でも、余命1ヶ月から余命半年ということになった祖母が8月からもう5ヶ月に入ろうという今まで生きながらえている。8月にはもう1ヶ月しか生きられないということで、京都のお豆腐屋さんのおいしいお豆腐を取り寄せたり、自家製のスパイスカレーをふるまったり、いろいろ祖母のためにやったりもした。祖母があとどれくらい生きるかは神様のみが知ることだ。もしかしたら、祖母は明日死ぬかもしれない。未来は分からないのである。ともかく祖母はいつ死ぬか分からない、謂わば爆弾を抱えているような状態なのだ。でも、爆弾ではない。爆弾じゃなくて与えられた命を神様にお返しする日が間もなくになったのだから、静かにその時になったら騒がずわめかず受け入れたい。それがわたしの今の気持ちだ。
 老人と一緒に暮らしているといろいろなことを教わるものだと思う。肉体的な命は永遠じゃなくて有限で限りがあるんだってことをひしひしと感じさせられる。わたしはともすると永遠に生き続けるような気がしないこともない。わたしが、死ぬ? 何かピンとこないのだ。何か死が他人の出来事で自分にはやってこないようなそんな錯覚に包まれているのだ。でも、それは錯覚と言っている通り錯覚に過ぎずわたしもいつかは死ぬのだ。わたしはいつ死ぬのだろうか。やりたいことがまだまだたくさんあるので老人になってから命の終わりが来てほしいと思っている。そうだなぁ、100歳くらいまでは生きたいな。それまではやりたいこととやるべきことをしっかりとやって、それをやった上で神様に祈り求めていきたい。
 人生80年の時代になったけれど、わたしはその半分くらいまで生きてくることができたわけだ。これからわたしの人生には何が待っているのだろう。10年もすれば祖父母は両方とも天に召されているだろう。そうなるとまた生活が変わってくる。その時にはわたしは何か仕事をしているのだろうか。結婚しているのだろうか。もしかしたら子どももいるのだろうか。わからない。でも、わからないがゆえにいろいろな可能性に溢れていてとても楽しみだ。
 祖父母が両方とも施設に入った。この家族の出来事でわたしを含めみんな成長したんじゃないかと思う。老いるということがどういうことなのか、実地教育を受けているような感じだ。理論はともかくとして実践している。とても教えられることが多く人生の勉強になっている。貴重な体験だと思う。
 わたしはできれば死ぬまで極力介護は受けたくない。だから、筋トレをして体を鍛え続けようかなと思っている。要介護になるラインを下回らないためには、いや、もっとパワフルにアクティブに生きるのなら、普通をはるかに超えた上の方になっていればいい。要介護なんてはるか下、というくらい筋力を鍛えて生涯現役を目指すのだ。死ぬ直前の数ヶ月間くらいは介護されてもいいけれど、それ以外は「自立」。いや、自立どころかムキムキじいさんになるのだ。でも、神様を筋肉よりも比べられないほどもちろん上に、第一にしてね。
 神様、わたしにさらに豊かな人生をお与えください。

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