祖母はあとどれくらい生きるのだろう

いろいろエッセイ
この記事は約4分で読めます。

 書くことがない。何を書こうか。
 最近のわたしは教会の礼拝や集会などもないため、自ら刺激を取り入れるしかなくなっている。日々の読書で面白いことはたくさんある。けれど、それは昨日の記事で大体書いてしまったから書くことがなくなっている。そんな状態なのだ。ウミガメのことも書いた。難しいキリスト教神学のことも書いた。さぼっているヘブライ語のことも書いた。要するに読書くらいしか書くことがないのだ。
 って肝心なことを忘れてた。祖母のことだ。祖母は一ヶ月半経つというのに弱りながらも生きている。洗濯物は祖母がやってくれていて、食事は各自でといった感じだ。
 時々、わたしにどうしたらいいのか助言を求めてくる時があるのだが、そんな時は精一杯向き合うようにはしている。
 最近こんなことがあった。熱が37度2分あると言う。それで解熱剤を飲んだ方がいいのかどうかわたしに聞いてきたのだ。薬の袋には「高熱時2錠」と書いてある。7度2分で解熱剤を飲んだ方がいいのか分からなかったわたしは最初無責任なことに「1錠でいいんじゃないですか?」と答えたが、医学的な処置だけに調べて答えた方がいいのではないかと思い直し、ネットで信頼できそうな情報を探したのだった。すると、37度5分以上の場合にこの薬を飲んでください、と医療機関のホームページに書いてあった。そうか7度5分以上なのか、と了解したわたしは「今日は様子を見ましょう」と答えた。その情報にめぐり合うまでに、その薬の添付文書も探してプリントアウトして読んだりした。どうやらこの薬は腎臓の悪い人にはあまりいい薬ではないようだ。祖母は長年塩辛いものを食べ続けたからだろう。腎臓があまり良くない。だから、本当に高熱が出てしまった場合は仕方ないとしても、その解熱剤は極力飲まない方がいいのではないかと思えてきた。
 まぁ、わたしは医者でも何でもないから、素人判断でしかないのだが、それでも何も調べないよりは断然ましだ。わたしはそれで祖母に言った。「高熱が出続けて解熱剤を飲んでも熱が下がらなかったりしたら、薬局に電話して薬剤師に聞いたりしないとわたしでは分かりませんよ」と。まぁ、これを読んでくださっている読者の方は聡明な方だろうから、言うまでもないが、素人判断は厳禁である。核心を持って判断できる初歩的なことならまだしも、これはヤバいんじゃないかってことはもちろん、そこまでいかないことであっても医者や薬剤師に質問して相談してほしい。
 そして翌日祖母の免疫力が功を奏したのか、熱は36度5分くらいになり、「良かったですね」で一段落したのだった。
 祖母は祖母だというのにこういう医学的なこととか細かいことが分からないことが多い。それで、そのたびにわたしに質問してくる。頼りにされているのは有り難いけれど、わたしも常識的なことしか言えなくて(常識的な回答を祖母は求めているのだろうが)果たしてこれでいいのだろうかと思うときもある。そんな時は今回のようにぼちぼち調べるようにして無責任なことは言わないようにしている。そして、調べても分からない場合は正直に「分かりません」と答えるようにしている。
 祖母が死に向かいつつあることを実感する瞬間が点々とある。そのたび、あぁ、あとこの人はどれくらい生きるのだろう、とわたしは少しばかり感傷的な気分になるのだ。
 でもわたしは祖母が死んだ後も生きなければならない。生きていかなければならないのだ。だから、前を向いて歩いていく。祖母が死ぬということ。そのこと自体は厳粛に受け止めなければならない。一人の人間が死ぬのだ。へらへらしていてはいけない。でも、だからと言って、そのことに気持ちを持って行かれすぎて燃え尽きてもいけない。祖母の死は祖母の死として真正面から受け入れる。そして、それで気分を停滞させるのではなく、そこからまた前へ前へとゆっくり進んでいく。わたしはそんな風にやっていきたいと思っている。
 祖母はわたしが本当にたまに作るカレーをおいしい、おいしいと言って食べてくれる。あとこのやりとりがどれくらいまで続くのだろうか。それは分からない。わたしは神ではないのだから。でも、祖母が息を引き取ってしばらく経ってから、あぁ、あのときおばあちゃんはカレーをおいしいと言っていたなぁと思い出すことがあるかもしれない。そのように、今こうして決して経済的には裕福とは言えないけれど、ほのかに灯っている、そして、灯っていたと過去形になるであろう幸福が愛おしく思い出される時がいずれ来る。やってくる。それがわたしと祖母との思い出であり宝ではないかと思うのだ。
 もう命が長くはない祖母。人格的に問題がないとは言えない祖母だけれど、わたしはわたしとして今まで通りに変わりなく関わり続けていけたらと思う次第なのである。そして、祖母の人生が終わる時、残された者たちの新しい形の人生が始まっていく。終わりがスタートのきっかけになる。祖母の毎日を平凡に今まで通りに見守っていきたい。
 神に感謝。

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました