星の読書日記13冊目「結局、今を生きるということなんだろうな」~アダム・オルター『「依存症ビジネス」のつくられかた 僕らはそれに抵抗できない』

星の読書日記
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アダム・オルター『「依存症ビジネス」のつくられかた 僕らはそれに抵抗できない』

 世の中というものはうまく、それもずる賢くできているもので、依存症ビジネスというものがある。現にわたしたちが日々利用しているネットもその一つのようなもので、便利になったのはいいのだけれど、それ以上にそのせいでわたしたちの時間が搾り取られている。
 1日3時間何かをやる。毎日やる。そうすると単純計算で1日のうちの1/8はそのことに時間を使っているわけだから、80年生きたとして10年近くはそのことに時間を費やすことになる。これはなかなかすごいことで、それだけ多くの時間を使っている。けれど、多くの人がそのことに無自覚で、ただ流されるがままに3時間にとどまらず、ネットやネットゲームなどのスクリーンタイムにそれ以上の時間を投入する。
 もちろん、それでいいと心の底から思えるのであればそれでいいのだろう。それが最高に幸せでこの上なく素晴らしい時間なのであれば、それでいい。けれど、多くの人がネットの時間を減らしたいと思い始めている。このままではまずいんじゃないか。このままではネットを見ていることに時間を使いすぎて、気が付いたら老人になっていて、「何て無駄なことに時間を使ってしまったんだ」と後悔する。そんな懸念を抱き始めている人は少なくないように思う。
 しかし、その一方で頭に来る、というか、したたかだなぁと思うのは、そういった現代テクノロジーの開発者が自分の子どもにはそうしたデジタル機器をほとんど使わせず、制限して依存させないようにしていることだ。つまり、一番そのデジタル機器のことをよく分かっている人たちが自分の家族にそれを使わせないようにしているのだから、どれだけそれが害悪をもたらすか、ということは言うまでもない。それに向こうは、頭のいい脳科学や心理学の専門家を雇ってどのようにしたらユーザーに1秒でも長くスクリーンを見させることができるか、と日夜研究している。だから、依存するのは当たり前で、むしろ依存させることを狙っているのだ。
 けれど、そんなことを言っていてもしょうがない。そういった負の側面はあるものの、生活が便利になったことは否定できなくて、今はもうネットが生活に欠かせないものとなっている。だから、いかにうまく使うかということなのだと思う。
 が、気が付くとネットをダラダラとやってしまう。どうでもいいことに多くの時間を使ってしまい、そして、その日やりたいと思っていたことができずじまいになる。いかん、いかんなぁと思う。さらには、精神的にも不調の方向へと傾いていくのが自分でも分かる。あ、調子が悪くなってきたぞみたいなのが分かる。
 さて、そうしたことをぐだぐだ書いていても仕方がないので、この本の内容をざっくりとまとめつつ、わたしが気付いたことをも紹介していきたい。
 この本を一通り読むとだいたい依存症というものがどういうものなのかが分かる。いろいろな話が書かれていてとてもためになる。ベトナム戦争の帰還兵がヘロイン中毒から立ち直った話やオンラインゲームで人生が狂った人の話、スロットマシーンの話などなど。で、それを総括して何が分かったかと言えば、わたしの荒いざるの目をほとんどが通り抜けてしまったのであまり残っていないものの(笑)、わたし自身の方向性が間違っていないことを実感することができたということだ。
 わたしは今、ヨガに力を入れて取り組んでいる。日々ヨガをやっていて、ヨガの道場にも通っていて、それはそれは張り合いがある。そして、この本を読んでそれでいいと改めて思えたのだ。
 ヨガをやり、今を生きることができている時に、おそらく何かに依存することはあまりないだろうと思う。心が空虚で寂しく満たされない時、人はそれを何かで埋め合わせようとする。それが物質的なものであれ、何かをやることであれ、とにかく隙間を埋めて満たそうとする。その満たそうとするものに問題がある場合、良くないことが起こってくる。自分の時間を湯水のように失ったり、多くのお金を使ってしまったりするのだ。あるいは健康を害したり、社会的な信用を失う可能性もある。
 そういう観点から言うと、ヨガはすごくエコで、お金がかかるとしてもまぁ、レッスン代くらいで、それさえも自宅でヨガのDVDなり、ネットの動画を見てやる分にはそうお金がかかるわけではない。特別な道具もヨガマットくらいだしね。
 ヨガは何かに依存するあり方からの解放を目指していて、最終的には今にいられることを目指して安らぎを求めていくもの。だとしたら、何かに依存することとは逆の方向へと進んでいくことではないかと思う。手放していく。その自分がしがみついているものから自由にになって解き放たれていく。それを目指す。そう言いながらもヨガをやることに執着してしまう人も一定数はいて、それが苦しみになっている人もいることにはいる。けれど、正しくやっている分にはどんどん身軽になっていく。心も身体もどんどん軽くなっていく。かろやか~に、軽快な足取りで静かに歩いていけるようになる。なんて分かったことを言っているけれど、まだまだわたしは修行の身。偉そうなことは言えないものの、こうしたことを日々実感しつつある。
 さらにはヨガ的な方向性としては自立する方向を目指していく。何かに寄りかかりすぎたり、しがみついたりなんかしないで、適度にいろいろな物事に関われるようになろうとする。
 わたしを含めた今の人というのは前のめりになっているように思う。先のことばかり、つまり未来のことばかり考えてしまっていて今を生きることができていない。とにかく目標を立てるのが好きで、何かを達成しようと先にゴールのようなものを設定する。勉強も運動もはたまた人生そのものにも。そうしたいわばキリスト教的な直線の時間軸も悪いばかりではないものの、じゃあ、この今。たった今の今そのものはどうなっているのかと問えば、おざなりになって、ないがしろにされているのではないか。目標を立てて、それを次々に撃破するごとくクリアーしていけば高いところへとはたどり着くだろう。でも、それが何だったのだろう、と後で悔やむのではないかと思う。
 今たとえば、あんパンを食べているとしよう。でも、今たしかにあんパンを食べているものの心がもう次のことや別のことへと向いてしまっていたらそのあんパンを味わって食べられるだろうか。そうではなくて、とにかく今はあんパンを食べているのだから、次に食べるもののこととか、これから食べようと思っているもののことなどは考えないで、今に集中する。ひたすらあんパンを味わって、今を楽しむ。ヨガもこれと同じで、ヨガをやっている時には今この瞬間のことしか考えていない。未来のことを考えることもある程度は必要だろう。でも、今は今の呼吸だったり感覚を感じるように神経を研ぎ澄ませていく。そうした練習をヨガを通してやっていく。
 この本の中でも数字の弊害についてふれていて、数字というものは感覚的なものを遠ざけてしまうらしい。活動量計や歩数計などは自分がどれくらい歩いたか活動したかが分かり便利な物でありながらも、本来は運動というものは自分の感覚を感じながら、その日の体調に見合ったことをやるものであるはずではないか、と言うのだ。
 また、SNSでもひたすらすべてが数値化されるけれども、それが本質かと言えばそうではない。返信の数、いいねの数。その数からは感覚的なものがすべて取り除かれていて、情感的なものなどは分かるはずがない。ただ、これだけの数のいいねが付いて、これだけの数の返信があったという事実が分かるのみ。仮にいいねが1万ついたら幸せになれるかどうかと言えば、10万とか100万もいいねをもらっている人がうらやましくなって満たされないのは分かり切っている。それとは反対に、たった1いいねしか付かなかったとしても、もう人生が震えるくらいの感動を覚えた1いいねは何となく押されたたくさんのいいねなんかよりも価値があるとわたしは思う。ヨガももちろん数値化できないものを感じる作業なので、こうした数値化から距離を置くことができる。たくさんいいねを押してもらえましたとか、そういうことではなくて今どうなのか、今自分の感覚はどうなのか、そしてさらには今にいることができているかどうか、というのがヨガなのだから依存とは真逆のベクトルなのは明らかだ。
 何かに依存するのではなくて、いろいろな物事(人も含む)と程良い距離を保つことをヨガは事あるごとに教えてくれる。
 と、依存症ビジネスの本の感想を書いているはずが気が付くとほぼヨガの話になっておりますが、これがわたしがこの本を読んだ感想であり気付きなのだから大目に見ていただきたい。そして、今何かに依存して困っているという人がいて深刻な場合は専門家に相談してそうでなければとりあえずヨガをやってみてほしいなと思う。現にわたしの知っている人で長年タバコをやめられなかった人がヨガをやり、タバコをやめた例もあるくらいだから、依存症にも効果的な方法ではないかと。ちなみに時々死にたくなっていたわたしはヨガと出合ってからというもの、死にたくなることがほぼなくなったので、メンタル不調にもヨガは効果的な方法なのだと言える。ヨガマットは安いもので3千円くらいからありますから、ま、騙されたと思ってやってみてくださいね。
 最後に一言。君子危うきに近寄らずで、近付いてしまってもそれから物理的に距離を置くこと。そうすれば依存していることをやめられる。ベトナム戦争の帰還兵のヘロインへの依存が本国アメリカに帰ってからというもの、5%しか再発しなかったという信じられない話がそのことを物語っている。だから、環境というものは大きいのです。

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