星の読書日記14冊目「薬のことを考えながら自分がどう生きていきたいかってことなんだろうなって思ったよ」~J・モンクリフ『精神科の薬について知っておいてほしいこと 作用の仕方と離脱症状』

星の読書日記
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J・モンクリフ『精神科の薬について知っておいてほしいこと 作用の仕方と離脱症状』


 いつもの精神科の外来に行くと、ひたすらみんな調子が悪そうで、顔色が悪く動作は緩慢であまり幸せそうには見えない。みんなお薬を飲んでいる。それで良くなっていて、今のような状態にかろうじてなっているのか、それともそのお薬によって健康を害されていてより状態が悪くなっているのか、それはわたしには分からない。でも、確実に言えることは彼らがみんなお薬を飲んでいるということで、その影響下にあるということは否定できない。
 かく言うわたしも精神科の患者でお薬のユーザーだ。もう20年近くもお薬を飲み続けている。で、もう統合失調症は死ぬまで、つまり生涯お薬を飲み続けるものだと聞かされていたから、それを疑うことなく今までやってきた。40歳のわたしが80とか90になるまでお薬を飲み続けるとしたらあと40年とか50年はある。その間、ひたすら毎日飲み続けて大丈夫なのか時々心配になる。「薬は異物だ」とどこかの偉い人が言った。その言葉が妙に気になる。薬は身体に悪いんじゃないか。やっぱり必要のないもので飲まないなら飲まない方がいいんじゃないか。などといろいろ考えてしまう。主治医にそのことを相談しても「大丈夫だからね」と何の根拠も示さずに言うばかりで、わたしは幼稚園児かいと突っ込みたくなってくる。
 でも、主治医がわたしの質問に答えられないのももっともだとこの本を読んでいたら思った。そう、わたしが飲んでいる割合新しい薬は歴史が浅くて、まだ40年も50年も飲み続けた人なんていないんだ。40年どころか10年間であっても、安全性だったり長期的な経過だったりを調べていない。これはまぁ、スマホも同じでついこの間できたばっかりの技術だから、それを40年、50年、じいさん、ばあさんになるまでやり続けたらどうなるのかなんて誰も分からない。だから、いわば実験台なわけなんだよね。結果としてデジタルネイティブの世代の人たちはみんな歳を取ってことごく認知症になりました、という未来が待っているのかもしれない。分からんけど。
 さらには、今わたしたちが精神医学として信じているその学が依って立つ考え方そのものに問題があるのではないかとこの本では指摘している。足の骨を骨折したとか、胃潰瘍になったとか、糖尿病になったとか、そういうことだったら原因ははっきりとしている。それらは目に見えてこれが原因だとはっきりと特定することができる。けれど、それが精神の病気の場合はどうか? それが特定できないらしいんだ。つまり、原因不明。って、統合失調症はドーパミンが脳内で過剰になった状態で、うつ病はセロトニンなどが少なくなった状態でって言うけど? それが原因なんでしょう? たしかにそうみんな言っていて思っているけれど、それも仮説でしかない。だから、こうなんじゃないかなぁと考えているだけでそれが正しいということは証明も何もされていない。たしかに統合失調症の人にドーパミンを遮断するお薬を飲ませたり、うつ病の人にセロトニンを増やすお薬を飲ませると、症状は改善するかのように見える。けれど、それはその仮説を証明することにはならない。なぜなら、その原因だと考えている通りに薬が作用しているかどうかというのは分からないからだ。原因をピンポイントで改善できているのか、それともただ単に違う精神状態にしているだけで結果的に改善しているかのように見えるだけか、というのはどうにもこうにも判断できないのだ。しかも、脳はそんなに単純ではないから、薬がどんな風に作用しているのかその詳しいところまでは分かっていないらしいんだ。ドーパミンを遮断する作用のある統合失調症の薬にしても、ドーパミンを遮断するだけで話は終わらなくて、その影響はものすごく複雑に広がっていく。そもそも、意識って何ぞやなのだ。何で脳という脂肪でできているプルプルした塊から意識なんていうものが生まれるのか、それすら分からないのだから、その解明されていない謎の脳が精神疾患の人の場合にどんなことになっているのかということが分からなくても不思議ではない。
 でも、それでも精神の病気の人は一定数はいるから分からないながらもお医者さんは何とかしなければならない。治療をしてみんなを元気にして幸せにしなければならない。が、その現在行われているその精神医学のやり方というか方法が問題ありまくりなんじゃないかと著者は指摘しているのだ。仮説に過ぎない考えをもとにして治療をしている。でも、これは仕方がない。限界がある中でやっていくのは当然のこと。でも、それをまるで絶対的な真理か何かであるように人々に押しつけようとする。統合失調症の人にはお薬を飲むことを暗黙のうちに強いるし、幻覚や妄想をなくすことこそが正義だと思っている。幻覚や妄想はない方がいいよね。絶対その方がいいからとばかりにお薬を使ってまるでばい菌を消毒でもするかのようにそれらをなくそうとする。そして、患者本人の意向はほとんど聞いてもらえないか無視される。お薬の副作用がつらすぎて「やめたい」と訴えてもやめるのは良くないからとお薬を増量したり、別の薬に次々に置き換える。そう、それはインフォームドコンセントの精神からは乖離している。で、ただでさえ気が弱くて、控え目で、そしてお薬によって頭が回らなくなって難しい話ができなくなっているその患者にこうした方がいいからとばかりに自分の方針を押しつけようとする。患者がどうしたいのか、何を望み何を望まないかということを考えないで医者が主導権を取って進めていく。本当はお薬を飲むかどうかとか、治療を続けるかどうかというのは患者が決めることではないかと思う。中にはこのまま放っておいたら他害の可能性が高いという場合には介入しなければならないとしても、一般的な精神科の患者というのは自己主張が苦手で真面目で律儀でという人が多いだろうから、医者から強く言われたら反論なんてできない。ましてや専門家とやり合って勝てるほどの知識は患者側にはないのだから、それだからこそ患者というか当事者の意思とか希望することを聞いてほしいと思うのだ。
 などとわたしは本を読んで思った。そして、疲れた頭で我が家の小さな庭に出たら、アゲハチョウがいた。3匹も。じっと彼らを見つめるわたし。その間も時間は流れていき、それはそれは穏やかな時間が過ぎていく。とその時思った。この静かな幸福のために精神医学も精神科のお薬もあるのではないか、と。本質は何かということをもう一度考え直した方がいいのではないかと思えてきた。病院でお医者さんは患者に薬を処方する。でも、その処方されたお薬を実際に飲むのはその患者であって、医者ではない。それなのにそれを飲まなければならないような、飲まなかったらまるで悪い子みたいな、そんな空気がある。お医者さんは頑張っている。頑張ってくれている。でも、その診察の時のたかが5分か10分という短い時間で一体その患者の何が分かると言うのだろう。その数分間が終わったら、その患者はまた日常へと戻っていくのだ。そして、24時間365日、また自分自身と一緒に過ごしていかなければならない。どんなに自分のことが嫌であろうが何であろうが自分とはいつも一緒で、自分からは逃れることなどできない。だからこそ、自分のことは自分で決めたい。そんな風に思うのは当然ではないか。
 何がいいのかということについて、何が正解かということについて、力のある人がそれを決めてしまう。力のない人、立場の弱い人はそれに従う。でも、本来、その人にとって何がいいのか、最善なのかというのはその人が決めることではないか。その人に決めるだけの能力がなかったとしても、その人の様子から何が快で何が不快かということは察することができる。でも、ついわたしたちは皆、善意の押し売りや押しつけをしてしまう。この人はこれをやった方がいいんだ。筋トレした方がいいんだ。働いた方がいいんだ。毎朝シャワーを浴びた方がいいんだ。幻覚や妄想はない方がいいんだ。気持ちが落ち込んでいない方がいいんだ、などと決めつけてしまう。本人の気持ちを置き去りにしたまま、本人抜きで決めてしまう。
 医者にもいろいろな人がいて、やたらとプライドが高くて患者が何か言うと怒り出す人がいる。この治療をやりたくないのならもう来ないでくれみたいなことを言う医者もいる。患者とほとんどやり取りらしいやり取りもしないで一方的に薬を処方する医者もいる。
 本の最後の方で訳者の一人が、自分自身の精神科での服薬体験を語りながら、「自分の感覚を大事にしてほしい」と言っていた。自分の感覚。それはヨガ的でさえある。自分の感覚に耳を澄ませれば必ず何かが聴こえてくる。医者はこう言う。家族はこう言う。誰かはこう言う。こうせよ、ああせよと言ってくる。たしかにそれらはちゃんと根拠がありもっともなことなのだろう。でも、その時、自分の感覚を置き去りにしていないかと自分自身に確認をする。本当はこれは嫌でこうしたいといった希望があり、自分の感覚は必死に訴えて求めている。それを無視しないで大事に大切にしていったら、それはおそらく変な方向へは連れて行かないのだと思う。自分に優しく、快適で、心地いい方向へときっと導いてくれる。誰かがいいと思うことではなくて、自分がいいと思って、いいと感じるあり方を求めていく。
 わたしはどうしたいのだろう? どうなることを求めていて、どうなったら幸せを感じるのだろう? そう一つひとつ問うていく必要がある。自分自身の感覚を頼りにして。世間体でも一般論でも常識でもなく、自分が心地いいと思える状態。そんな世界にただ一つのオリジナルな形を作っていけたらなと思った。すべては幸せになるために。

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