星の読書日記15冊目「依存してしまう自分もわたしなのだという気付きを与えられて」~カール・エリック・フィッシャー『依存症と人類 われわれはアルコール・薬物と共存できるのか』

星の読書日記
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 ひょんなことからこの本を図書館で見つけて読んでみようと思い、やっと読了。いやはや、なかなか読み応えのある重厚な一冊でありました。この本には依存症のいろいろな歴史が載っていて、アメリカの依存症史が一通り見渡せるのです。
 で、詳しい細かい内容は、実際に手に取って読んでもらうとして、わたしの感想を本の内容にもふれながら書いていきたい。
 何かに依存してしまう。本当にこれはよくあることで違法薬物に手を出すことはなくても、甘い物だったりお酒だったりタバコだったりコーヒーだったり、はたまたインターネット、ポルノ、ギャンブルなどにのめり込んでしまう。でも、そののめり込んで依存してしまうのも、よくよく素直にというか、虚心坦懐にその自分自身を眺めて見つめてみれば、自分自身が満たされなくてその隙間を必死で埋めようとしていて、この現状を何とかしようとしている、そんな自分の姿が見えてくる。
 えてして、そんな何かに依存してしまう自分が嫌で、そういったものを断とうと一大決心するものの、やっぱりやめられずどうしたらいいんでしょう、みたいになるのは誰しもがよくあること。
 この本の著者はアメリカの精神科医で依存症の専門家。さぞ高名で素晴らしい人なのでありましょう、と思いきや、この人は自身がアルコール依存症だった過去を持つ人なのだ。だから、ちょっとお酒がやめられないんです、というようなレベルではない。かなり重いアルコール依存症で、お酒を飲んで次の日、二日酔いに決まってなるものだから、それを覚醒剤で刺激して医者の仕事をしていた、というわけで問題抱えまくりだったりする。また、覚醒剤の他にも薬物を使っていて、問題があった人だった。
 かく言うわたし自身も何かと依存しがちで、いろいろなものをやめようと努力してきた。中でもコーヒーと抗不安薬は本当にやめるのに苦労した。何かもう、それをやめようとしている間というのはいられない感じになってそれはそれは大変だった。そんなこんなで努力はしてきた。
 でも、何かそれらをひっくるめて、つまり何かに依存してしまうことも含めて自分なのだということにこの本によって気付かされたのだった。そんな依存してしまう弱さも自分の一部なのだから、何も否定することはないのだ、と。
 わたしは一時期、ポルノをやめようと必死になっていた。でも、やめようとしてもやめようとしてもやめることができなかった。なぜだろう、と考えてみるとこの暮らしにおいてパートナーがいないから、何らかの形でその性欲を満たす必要があったのだと分かった。もしもわたしにパートナーがいて、性的な欲求が満たされていたら、そんなポルノを見る必要などないだろう。
 ポルノをやめたかったのは清くなりたかったからだった。清く正しく美しくありたかった。そして、いつも澄んでいたい。そんな風に思っていた。けれど、それは自分に無理を強いることではないかと思うようになった。たしかにヨガでも禁欲が奨励されている。できることならポルノなど見ない方がいい。それは分かっている。言われるまでもなく分かっていることなんだ。
 このやめられない自分自身を受け入れること。そのことこそわたしに必要なことではないのか。やめた方がいいことは分かっているけれど、今、現にやめられないわたしがいる。だったら無理にやめようとしなくてもいいのではないか。
 この本に書いてあったことで印象的だったのが、薬物依存の人の話で、コカインとかモルヒネがやめられなくなった人が代わりの害が少ない代替えの薬物を医者に処方してもらって、それによって安定して生活ができるようになったという。もちろん、それではクリーンになれていないからと断薬を基本とする立場の人たちからは批判がなされる。
 同じようにポルノの場合も無理にやめようとするのではなくて、見る回数や時間を減らすとか刺激が少な目のソフトなものに置き換えるなどできることはある。完全にポルノ断ちをすべきだと自分を追い込むのではなくて、生活の質を上げるためにも無理のない範囲でポルノを見るようにする。そんな柔軟な姿勢でもいいのではないか、という気がするのだ。それではダメだと誰かが批判してくるかもしれないものの、何も違法なことをしているわけでもない。大事なのは依存しているものをやめることではなくて、自分の人生の質を上げていくこと。依存していることによってやるべきことがやれず、生活や人生の質が低下したり、健康を害しているようなら考えた方がいいけれど、何もその依存しているものをやめること自体が目的ではないのだ。
 甘い物がやめられないのなら、すぐに完全に断とうするのではなくて、毎日食べているのを2日に1回にするとか、毎日食べることを変えなくても果物や健康的なおやつに置き換えるなどできることはある。そして、徐々にその間食する頻度を減らしていく。2日に1回をクリアーできたら、3日に1回、それができたら4日に1回……というように段階を踏んでやっていく。
 人というものは不思議なもので、あれだけポルノを見たらダメだと禁止していた時にはその反動で結局、禁止を破ってしまって長時間ドカ見していたのに、今、見てもいいけれど長時間は見ないようにしようくらいの縛りにしたら、やめることはできていないものの、ポルノの視聴時間が結果的にとても短くなった。総合的に考えれば、今の禁止するのをやめてからの方がポルノを見ている時間は短くなっているのだから、どちらが好ましいかと言えば禁止しない方だったりするのだ。
 実際、アメリカで宗教的に保守的でポルノなどを厳格に禁止する地域の方が自由主義的でポルノなどの性的なことについて寛大な地域よりもポルノをよく見ているそうなのだ。人はダメだと禁止されればされるほど、それが気になってしまい、結果的にその禁止されていることを反動から熱心にやってしまうということのようなのだ。
 最後には何に価値を置いてどう生きていきたいかということであって、何も依存症を克服するために人生があるわけではない(依存症を克服することが人生の目的だという場合は除く)。だから、より良い人生を送っていく上で自分が何かに依存していることが障壁だったり妨げとなってしまっているのであれば、それを取り除いた方がいいものの、そうではないのなら何も無理にそれをやめることもない。ほどほどに楽しんでいればいいだけのこと。
 というのがわたしがこの本を読んだ感想。感想になっているのかどうかちょっと自信がないけれど、これがわたしにとっての感想なので大目に見ていただけたらと思う。
 依存してしまう自分をも愛おしみ大切にできたらいいなと思えた読書体験だった。感想、終わり!!

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