不安なこと。不安なこと。不安なこと。
母がわたしを置いて先にぽっくり逝ってしまうんじゃないか、ということ。
猫のルルがわたしと母を置いて先にぽっくり逝ってしまうんじゃないか、ということ。
わたしが朽ち果てていき、死んでしまうんじゃないか、ということ。
一人で母の葬儀を取り仕切ることができるかどうか、ということ(もしも逝かれた場合)。
その母の死を嫌いな弟に伝えなければならないこと(話をするだけでも嫌)。
母が亡くなった後の手続きの一切合切。
一人でやるだけの自信がない。自信がわいてこない。ちゃんとやれるのだろうか。一人でやれるのだろうか。滞りなく的確にきちんと、ちゃんと。
ここしばらく下痢のために行っていないヨガの道場へ行き、ちゃんとヨガをやってこれるかどうかということ。先生ともちゃんとコミュニケーションが取れるかどうかということ。
なんて不安になっていたわたし。とにかく不安だったんだ。調子が悪くてしかもそれがマックスになるとこういう不安を抱くようになる。つらい。苦しい。不安。明日が来るのが怖い。なんくるないさ~とか何とかなるさ、ととてもではないけれど思えないそんな押しつぶされるような不安。
でも、仮に猫のルルが死に、母が死んで、すべて最悪のことが起きたとして、そして一人で葬儀なり、後のことができなかったとして、不安が的中してみんなから白い目で見られたとして、非難されたとして、「だからお前はダメなんだよ!!」と集中砲火を浴びて、でも、だからそれが何なんだろう? 自分でうまくできなかったらただ単に恥をかくだけじゃないですか。赤っ恥をかいてみんなから冷たい視線を浴びせられて、だとしてもわたしはそれでも生きている。だとしたら、もう失うものは何もないんじゃないか? 猫のルルを失い、母を失い、ヨガの道場の先生からも軽蔑されて、練習生からもシラ~っと見られる。だとしても、何を失うのだろう? ただ恥をかくだけじゃないか。何も破産するとか地獄へ突き落とされるとか、もう取り返しのつかないことになるとか、そういうわけではない。ただ、恥ずかしい。穴があったら入りたい。非難、批判轟々。
けれども、わたしはみんなからの信頼だったり尊敬は失ったとしても生きている。そして、生きていかなければならない。そんなにみんなからシラ~って見られるのって死ぬほど苦しいのかな?
たしかにわたしが有名人だったり著名人だったりして、浮気や不倫や犯罪行為などをして連日マスコミに叩かれ叩かれでもしたら、もうやっていけないかもしれない。そう考えたらわたしが失う信用だったり尊敬なんてたかが知れている。
みんながシラ~って具体的に誰がシラ~っと白けるんだ? その人数はせいぜい多くて数十人だろ? お前の影響力からしたらそんなもんだろ。何も自分が知らない人からまで後ろ指を指されるとかそういうわけでもない。
というか何も悪気があってそんな不手際をするわけじゃない。うまくできないとしたら、できなかったとしたらそれ相応の理由はちゃんとある。だから、ちゃんと事情を相手に話して伝える。そうすればこちらが真面目にちゃんと向き合おうとしている限り、分かってくれるし事情をも汲み取ってくれる。
母の死のショックが大きすぎて茫然自失となって廃人同様になってしまったら、ちゃんと事情を説明してこうこうこうでこうだからわたしにはできないとか、無理だって伝えればいい。きっと見かねた誰かが助けてくれることだろう。助けてくれる人がいなかったらどうする? でも、何とかなるだろう。喪主不在の葬儀なんていうのもないわけではないからだ。物事というものは詰まるところ何とかなる。何とかならなくても、何とかならないなりに何とかなる。気休めだろ、それって? でも、何とかなる。だから気休めなんだってば、それは。でも、何とかなる。なるようになるし、なっていく。
それにどんなに最悪の事態が起こったとしてもわたしが死ぬだけだ。死ぬこと以外はかすり傷という名言があるようだけれど、最悪の場合でも死ぬだけ。それ以上に最悪なことはどう考えてもこの日本では起きない(拷問を受けるとかそういうことはおそらくない)。でも、死ぬのが最悪って簡単に言うけれど、本当に最悪かどうかと言えばそれすらも疑わしい。天国へと旅立っていくことができる。あるいは生まれ変わってまた新しい人生が始まる。ともかく、最悪かどうかということすら疑わしい。だったらど~んと構えていようではないか。「最悪、死ぬだけなんだぜ」と粋がっていようではないか。そして、どんな名誉も名声も評判も尊敬も失ったとしたところで自分が死ぬことには到底及ばない。死ぬこと以外かすり傷。テッテケテ~。
永遠の安らぎとはほど遠いラジャス的態度で失礼御免。テッテケテ~のテッテケテ~。返金無用。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。