Twitterもわたしには合わない

 しばらくお休みしていたTwitterを再開し出したわたしである。Twitterをやれば、いろいろな人と交流できてきっと楽しいだろうし、毎日の生活が彩りあふれるものになる。そういう希望を持って再開したのだが、やっぱりというか、やはりダメだった。何がダメなのかと言えば、Twitterをやるとメンタルがガタ落ちになるのだ。もともとと言うか、わたしはパソコンを長時間やると精神状態が悪化する人間である。パソコンとの相性が最悪な上に、どうやらTwitterとは承認欲求を刺激して、他者と比較させるものだということが分かってきた。
 自分が自信を持ってツイートしてもそれに「いいね」がつかない。フォロワーが決して多い方だとは言えないわたしの場合、「いいね」が一つもつかないことだってある。そうなると、とたんに落ち込むのである。誰からも承認してもらえないことに愕然とするのだ。
 さらに、Twitterはいわば、承認獲得競争ゲームをやるようなもので、競い合っているつもりはなくても自然と他の人の「いいね」の数が目に入ってきて心をかき乱される。
 心の平安があるのだとしたら、そうした平安からTwitterをやればやるほど遠ざかっていくのではないか。そんな気がしてきた。
 押してもらえない「いいね」。リツイートされないわたしのツイート。それらがわたしをかき回して心を騒がせるのだ。
 他者からの承認。これには中毒性がある。依存性さえもある。仮に何かに依存しているとしよう。そうだな、コーヒーに依存しているという設定にしてみようか。毎日2Lコーヒーを飲んでいるとしたら、この量のコーヒーが体内に入らないといてもたってもいられなくなるのだ。落ち着かなくなって、コーヒーが飲みたくてたまらなくなる。承認の場合も似たようなもので、これに依存している場合、いつも、そうだな。Twitterの自分のツイートに少なくとも20いいねがついていたとしたら、20いいね以上付かないと心が満たされないのだ。いつもよりも「いいね」がつかないと途端に不安になる。自分が見捨てられているような気分にさえなることだろう。
 そもそも、冷静に考えてみれば、20いいねは20人が「いいね」を押しただけのことで、残りの日本人「約1億2000万人-20人」はそのことについてノータッチなのだ。わたしがこのツイートをしたことを知らない人の方が圧倒的に多いし、いわば例外的な人数と言ってもいいくらいのわずかな数でしかないのである。そんなごくわずかな人の承認が得られたか得られなかったかで一喜一憂してその結果に振り回されるとしたらそれは愚かなことであって決して賢いとは言えないだろう。だから、もしわたしに誰かがTwitter上で悪意ある態度を向けてきたとしても、それは日本人1億2000万人のうちの数人がわたしのことを気に入らないだけなんだなって思えばいい。とは言えどもそこまで割り切ることは難しい。けれど、要するにそういうことなんじゃないかって思う。1人の感想、個人的意見。わたしたちはどうしても目の前の1人の考えや意見に大きな影響を受けてしまいがちだけれど、それは単にその人の、しかもたった1人/1億2000万人だけの個人的見解なのだ。それだけのこと。もしも、ありえない話ではあるけれど(っていうか無理ですな)日本に住んでいるすべての1億2000万人もの人々がわたしのこのツイートを読んで意思表明したとしたら、どうなるだろうかって仮想的に考えてみるといいと思うのだ。そうしたら、いろんな考え方の人がいるだろうから、「いいね」を押してくれる人が1万人はいると思う。いや、もっといるんじゃないか。20万人、30万人いくんじゃないか。「いいね」を1万人に押してもらえたとして、それでも少なく見積もりすぎかもしれない。それは押した人の数がだいたい1/1万2000だからね。もしも1%の人が賛同してくれたら、それだけで120万人だよ。もう、これだけ「いいね」が獲得できたら大満足だよ。仮想的な話だけれど、1%であっても承認してくれる人がいれば、それでいいんだ。
 わたしたちは普段の生活の中で視野が狭窄してしまっている。一人からの承認を得ることに躍起になったり、同意を求めたりしてしまう。でも、世界は広いんだ。たとえわたしが世間から大バッシングを食らったとしても、それでも承認してくれる人は必ずいる。さらに心強いのは地球上のすべての人を敵に回したとしても(そんなことはあり得ないけれど)イエスさまがおられるんだ。みんなから嫌われて除け者にされてもイエスさまが変わらずに愛してくださっている。何て心強いのだろう!
 Twitterで「いいね」が一つもつかない。それは狭い世界の中での話。そんな狭い世界での出来事に一喜一憂して精神的不調に陥っているのって滑稽を通り越して哀れでさえある。すべての人と関わることは物理的に不可能だけれど、それでも関わる世界を変えていくこと、広げていくことは有効な方法だと思う。ちょっと活動範囲を広げてみたら、大絶賛の嵐なんてこともあるかも。
 そういうわけでTwitterとは距離を置きたい。そして、自分のやるべきこと、やりたいことに自分の有限な時間を使っていきたい。少なくともわたしはパソコンから離れている方が調子がいい。だったら、あえて、なけなしの承認を得るために狭い世界で「いいね」獲得に奔走することもない。ここはわたしには合わない。生き生きと毎日を送っていくためにも合わないものをやめる。一つずつそうして自分を整えていったらきっと生命力があふれる毎日が待っているだろう。これからが楽しみ。

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