精神科の外来と大谷翔平と冴えないわたしと

いろいろエッセイヨガ
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 今日、精神科の外来へ行ってきた。わたしが普段出掛けているところが、ヨガの道場か、スーパーか、森の公園か、それとも海か、といった具合なのでどうも精神科の外来はテンションが下がって心が乱されるようだ。
 わたしが病院の入り口が開く前に着くと、その扉の前で先に一人待っている人がいた。ということで、わたしは2番。時間まで待つ。が、それにしても臭い。その1番の人がヘビースモーカーなのだろう。臭くて臭くて、臭くて臭い。2、3メーター離れているというのにタバコの臭いがしてくる。
 わたしはタバコが嫌いで吸ったこともなければ、もう臭いをかぐだけでテンションが下がって嫌な気分になる。だからどうもタバコを吸っている人が野蛮人に見えて好きになれない。
 さらにその人はタバコが切れて落ち着かないのか、それとも精神科の薬の副作用なのか、どうも落ち着かない様子で足を前に出してはひっこめて、といった動きをひたすら繰り返している。別に人に何ら危害を与えてはないのだからいいのかもしれないけれど、どうもわたしは落ち着かない。立って待ちながら本を読みながらも、その動きがどうも視界の中に入ってしまってわたしは心が休まらない。よく他の人が貧乏揺すりをしていると、それが嫌でたまらないという人がいるけれど、わたしはそんなタイプのようなのだと思う。
 で、時間が来て入り口が開いて、病院の待合室で待っていた。そして、その1番の人が名前を呼ばれた。けれど、その人はどういう精神状態なのか名前を呼ばれているのに一向に他人事のような感じで、看護師さんに一手間かけさせている。それがわたしには何だかそれが横柄な感じがしていい気持ちがしなかった。
 それからも、その1番さん以外の人たちの病院のスタッフへの失礼な態度が目に入り、その度に気持ちがかき乱される。何ていうか、とにもかくにも自分ファーストで自分のことしか考えていない。こう思ってしまうのはやはり、ヨガの道場の人たちが素晴らしい人たちだからなのだろう。そのギャップ、あまりの落差。その落差を感じる度にわたしは嫌な気持ちになりかき回されるのだった。
 って、何か今日のわたしいつにも増して他人の言動に影響を受けてません? いやちょっとね、睡眠時間が少なかったもんでね、昨日。そんなわけで他人のちょっとした問題ある言動に振り回されてしまうわけですよ。
 それから、それから。続き、続きと行きましょう。診察を終えたわたしは薬をもらいに薬局へ行った。待っている間、何気なく薬局にテレビ画面があってテレビがついているものだから見てしまったんだ。それがね、すごく嫌な気分になるものだったんだ。民放の朝のニュース番組だったんだけれど、その時、その番組では大谷翔平選手の奥さんの話をこれでもかとばかりしていてね。これがまた不愉快だったわけなのさ。普段テレビを見ないという選択をしているのがやはり正解だと思わずにはいられないのだけれど、大谷選手の奥さんの話とかどうでも良くありません? 彼女が早稲田大学卒業でバスケットボールのプロの選手でトップアスリートだったとか、どうでも良くありません? で、また二人で写っている写真がお金に困っていない感じがプンプンしててセレブ感が丸出しで、いい感じな二人なのだけれど、またそれが不快で不快で。
 とまぁ、完全に自分の外側のものに振り回されているわれらが星さん。修行が足りんのう、というのは言うまでもない。
 そんなわけで、薬局で薬をもらった時にはムシャクシャしていた。そう、シュークリームとかチョコレートパフェを3人前くらいかき込みたいくらいイライラしていたのだ。
 けれど、帰りの道をとぼとぼ歩いていたら、普通の人たちの姿が目に入ってきた。そこには決して高いとは言えない給料でありながらも、それでも懸命に働いている市井の人々の姿があった。大谷選手のお給料から見たらコンビニの店員とか土木作業員の収入なんて駄賃でしかないだろう。けれど、彼らは生きていくために働いていた。
 大谷選手はすごい。それは認める。でも、そこまですごくないからという理由で普通の人たちが価値なし、となってしまうのならそれはおかしいと思う。と言いつつも大谷選手は有名人だから大変なのは言うまでもない。たくさんの人に知られるということは、同時に多くの人に好かれて愛されながらも、少なくない人たちからは嫌われて憎まれさえするからだ。中には殺意さえ抱いている人もいるかもしれない。あぁ、おそろしや。
 そんな感じで今日は視点が自分の外側ばかりに向いていたわたしだったけれど、ふと自分にその視線を移し変えてふと思った。わたしはわたしでいいんじゃないか、と。だから、先の精神科の1番さんも1番さんで良くて、病院のスタッフに失礼な態度を取る彼ら患者たちも彼らは彼らでいい。もちろん、悪態をつくのは良くないけれど、別にこうであらねばならないというのはない、のかもしれない(わたしはそういう人たちとあまり仲良くしたいとは思えないけれど)。
 きっとわたしのように大谷選手のテレビで紹介される活躍ぶりを見て落ち込んだり、イラついている人って多いんじゃないかな。何でそういう気持ちにさせられるかと言えば、大谷選手の活躍がそういった活躍には到底及ばないわたしたちへのダメ出し、つまりは否定されているように感じてしまうからなんだと思う。でも、冷静に考えてみれば、わたしはわたしで人は人。ただ誰かが何かに秀でているとか、たくさんのお金を稼いでいるとか、偉くなっているとか、そういった事実があるだけでそれに「いい」とか「悪い」、価値のあるなしをくっつけているだけ。だから、その事実があるだけでそれだけだったら何も心を持って行かれたり揺さぶられることはないんだ。そこに価値をくっつける。それが心を乱される大元の原因なのは言うまでもないこと。要するに、自分で自分の首をしめて苦しくなっているだけのようなものでしかなくて誰もわたしやあなたの首はしめていない。自分の考えで自分を苦しくしているだけでしかない。
 家に帰ってきてから、スーパーへ買い物に行って、それから三食丼を作った。鶏のそぼろと炒り卵といんげんの三色のどんぶり。作ってみたら、想像以上のうまさに母とうなった。「うまいっ!!」って。で、その時に大谷選手の姿が頭に浮かんだのだけれど、別にスペシャリストやすごい人やトップランナーなんかにならなくても、平々凡々には平々凡々の味があるんじゃないかって思ったんだ。もちろん負け惜しみなのは分かっている。自分が手が届かないからと言って「あのブドウは酸っぱいから」と言うキツネと同じであることは分かっている。でも、何も大谷選手と同じ基準というか、同じこの社会での成功という基準で張り合わなくてもいいんじゃないか。わたしにはわたしの道があり、わたしの生活と暮らしがあり、もっとシンプルに言うなら毎日がある。それもちゃんとある。だったらその与えられた日々をいかに精一杯生きるか、というただそれだけなのだと思う。
 わたしの毎日というのは大谷選手と比べればスケールが小さくて世界を股に掛けてなんかいなくて、遠くに行くとしてもヨガの道場のある街とか、その途中にある海くらいなもので、それ以外はほぼスーパーとか近場の森の公園とか、その程度でしかない。食べる物にしても何も三つ星ホテルのシェフが手掛けた料理を食べるとかそういうわけでもなく、自分で安上がりに作ったお料理を食べるだけ。わたしの生活、何が面白いと思う人もいることだろう。けれど、これにはこれで味があって、満更捨てたものではないどころかそれなりに良かったりする。が、時には大谷選手がうらやましく、さらには妬ましく思えてしまう時もある。あぁ、何で自分はこんなに平々凡々なのだろうといつにも増して思ってしまう、そんな感じで。でも、お釈迦様が人生は苦だと、つまりは思い通りにはならないのだと喝破したのはまさにその通りで、寸分違わず何でもかんでも思い通りにはならない。必ず順風満帆に進んでいるように見えて、何不自由していないように思えたとしても、思い通りにならないことは山のように出てくる。そのもっともわかりやすいのが生老病死で、あの大谷選手だってこればっかりは逃れられない。大谷選手には大谷選手なりの思い通りにならない苦があって、あるいは課題があってそれと日々向き合っている、というわけなのだ。
 ところで、というか、わたしが思うこととしては人にはそれぞれ魂のレベルがある。これは完全にインド的な輪廻の思想を前提とする考え方なのだけれど、人は皆、解脱をして悟るために何回も何回も生まれては死んで、また生まれては死んでを繰り返している。そして、そのレベルにふさわしい場所に生を受ける。こういうことを言うと、格差を容認していると言われてしまうかもしれないけれど、インドのカースト制度のように人はしかるべき場所に、しかるべき形で生まれる。だから、インド人は人間というのは平等だとは思っていないと思う。平等だと思うのは、キリスト教的な世界観を前提とした場合であって、だからヨーロッパのNGOなんかと保守的なその国の人たちの間で一悶着あるわけなんだ。
 まぁ、そんなわけでインド的な発想で行くのなら、この人生は修行なのです。悟りを得るための長い長い修行の1コマのようなものなのです。悟れないと輪廻を繰り返してまた生まれ変わる。それを今まで何万回やってきたのか、それは分からないけれどとにかく修行。
 わたしの魂のレベルってどんなもんなんでしょう? まだまだ底辺層なのかもなぁって思ったりもする。高貴な家柄でも、お金持ちの家に生まれたわけでもないことから言えば、高いレベルにはないのかもしれない。
 あと何万回(いや、何百、何千万回?)人生を繰り返したら悟れるのでありましょう。解脱をして安らかな境地へと至ることができるのでしょう。なんて言いながらも、それも壮大なフィクションなのかもね(それを言ったら身も蓋もないだろ)、なんてね。
 ま、いいじゃないですか。大谷選手が三つ星シェフのディナーなら(そうなのかは不明で知らないけれど)、三つ星ならぬ星料理長直々(星三つどころかゼロね)のカレーや親子丼や三食丼でありましょう。別に対抗する必要なんてそもそもないのだけれど、まぁ向こうが三つ星で来るなら星で行く(意味不明だな、これ)わけなのさ。向こうが高級スポーツカーで来るなら、わたしは公共交通機関のバスと電車で対抗してひたすら歩くし、向こうが高学歴でトップアスリートの美人妻と来るならこっちは1ヶ月1000円くらいで見放題のアダルトビデオ配信で行く。って自分で書いていてあまりにもわたしがしょぼくて泣けてくるのだけれど(何か星さん、かわいそうじゃない?)、まぁこれはこれでいいと思うのだ。というか、何も負けじと張り合う必要なんてないんだけどね。
 でもね、ここまで読んでもらってもやっぱり大谷選手の方がいいと思うのなら、海へ行って波を見てごらんなさい。もうどうでも良くなるから、本当。行きつ戻りつしている波を見ていると、全部この世の喧噪とか競争とか争いとか、本当どうでもよくなってくる。それが、それこそが心の浄化なのです。むしろ、心が清浄になって清い状態となれば大谷選手の成功を自分のことのように喜べるようになることでありましょう。そういうわけでわたしはまだまだ修行が足りんのう、というわけで(どういうわけだ?)、まぁ、ぼちぼちやっていきましょうや、というのがこの文章の拙い結論。長くなりました。読者の皆様へ愛を込めて。ではでは、またね。

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