星の読書日記8冊目「ネットを毎日長時間やっているようですけれどそれで本当にいいんですか?」~榊浩平,川島隆太『スマホはどこまで脳を壊すか』

星の読書日記
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榊浩平,川島隆太『スマホはどこまで脳を壊すか』


 スマホに批判的なベストセラーと言えば、アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』だと思うけれど、その本よりもさらにスマホがいかに脳に悪いかということを突っ込んで説明しているのがこの本だ。
 感想を一言で言うなら、「デジタル機器は極力使わない方がいいな」といったところだろうか。とにかく、とにかくスマホは脳に悪い!! そのことがもう徹底的に検証されているこの本を読んで、何だかわたしはデジタル機器を使いたくなくなってしまった。
 と言いつつもわたしはブログをやっていて、文章をネットで公開していて、というわけで矛盾ありまくりなのだけれど、ともかくネット利用というものを見直そうと思った次第なんだ。このブログでもぐだぐだ不調日記でパソコンをやって不調になりましたよ、とかポルノを見て不調になりましたよ、と何の進歩もなく同じことを繰り返して、その度、その度ごとに不調になっては反省していた。
 もうこうなったらネットは控えよう。極力やらないようにして、そのやらないことによって生まれた時間で読書とかヨガをやろう。そう思ったのだ。それほどこの本のインパクトは強かった。
 スマホやパソコンなんかをやるとどうなるかと言えば、皆さんご存知の通り、メンタルがダウンし、やる気がなくなり、気持ちが落ち込んでくる。ネガティブな感情がふつふつとわいてくる。ましてや、SNSなんかで自分よりも恵まれていてキラキラしている人なんかを見ようものなら一気に気分はどん底になる。中でもこの本によると、SNSとうつ病というのは関係があって、頻繁にメッセージのやり取りをしている人であればあるほど、うつ傾向が強いらしいんだ。何ていうかな、わたしがSNSをやると抱く頭に黒いもやもやがかかったような感じ。気持ちが沈んできて、それまでは結構快活でいたとしても頭の中が濁るというか、曇るというか、とにかくテンションが下がってくる。そのこともやっぱり気のせいではなくて、ちゃんとした事実だったんだ。
 そして、デジタル機器を長時間やるようになると起こってくるネガティブな変化としては、相手とコミュニケーションを取る際の共感する能力や相手の表情を読みとる能力が低下してきてしまうこと、そして衝動性が高まって落ち着いていられなくなるということ、があるらしいんだ。というか、たしかにそうだよな。最近、道を歩いていると歩きスマホをしている若い人が結構いるんだ。で、その人に「こんにちは」ってわたしが挨拶しても表情がうつろで、何だか生きる上でのエネルギーも枯渇してカラカラになっているみたいで、何とか聞こえるかどうかという小さい声で挨拶を返すのがやっとという感じなんだ。だから、スマホが原因なのか、元々の気質なのかは分からないのだけれど、それでもスマホをその人が片時も離さずやっているのだとしたら、スマホの影響なんだろうと思う。スマホの長時間の使用によって明らかに対人関係に支障が出てきている。表情を読みとるなんてこともできなくなっているような感じだったし、相手に共感するのも難しそうだった。でも、これは人事じゃない。実際わたしだって何時間もパソコンをやったりするとそうなる。だから、それはもう長時間やったら多くの人がそういう状態になる、人として当たり前の反応なんだ。デジタル機器の毒を受ければみんなそうなる。
 最後にとどめとしては何が来るかと言うと、スマホなどのデジタル機器を長時間使うと頭が悪くなる。あ、でも長時間じゃなくても悪くなると言った方が正確なのかもしれない。実際、小中学生の毎日のスマホ時間が増えていくとそれに従ってテストの成績も悪くなっていくんだ。特に3時間以上やっている子達ともなると、たとえたくさん睡眠を取っていて、たくさん勉強していたとしても何と偏差値50、つまり平均点にも届かない。本の中のデータによれば、スマホは長くても1時間以内にしておいた方がいいということがはっきりと分かった。でも、何もやらないのならやらないに越したことはない。どうしてもやるとしたらの話なんだけれど。
 とまぁ、ここまでネガティブな話が続いてきた。じゃあ、いいことはないのかって言えばあることはある。それは便利になったということだ。実際、ネット社会になってわたし自身もこれは便利だと思うことはたくさんある。本なんかを買うにしても、ネットが普及するまでは本屋に行ってほしい本を探さなければならなかった。店内をうろうろと見て歩かなければならなかった。でも、今は違う。キーワードで、本のタイトルで一発。しかも、買った本をそれから自宅まで持って帰る必要もない。今のネット通販であれば、全部自宅へと届けてくれる。言うまでもなく便利ですごく楽ちん。取り寄せにしてもネットができるまでは本屋さんで本を取り寄せるのに2週間はかかった。それが今ではクリック数回で終わってしまう。スピーディーで便利で楽ちん。もう言うまでもない。まさに天国。
 それから遠くに住んでいる人とも簡単に連絡を取ることができるようになった。外国で地球の反対側に住んでいる人であっても、リアルタイムでネットを使って話をしたりやり取りすることができる。物理的な距離をまさに克服できている。これまた便利で申し分ない。
 が、楽ちんということは、便利だということはその分、人間がラクをしているということ。著者はそのことを次のように言う。

 そもそも機械とは何のために作られたかというと、人間がラクをするためです。(本書p101)

 で、問題になるのはそうしてラクばっかりして、それをひたすら続けた時にどうなるのかということで、それはもうお分かりだろうと思う。体で考えてみれば、車でどこにでも簡単に行けるようになり、ほとんど歩かないし、運動なんてやらない。コンビニでは高カロリーな食べ物が好きなだけ買える。となれば、生活習慣病まっしぐらで、高血圧、高脂血症、心臓病、糖尿病、高血圧、肥満になってもおかしくない。というか、そんな体に悪い生活をしていたら言うまでもなくそうなる。これと同じように脳も使わなければダメになる。脳にラクをさせるような生活をひたすら送り続ければ、将来どうなるかと言えば、もう言うまでもない。脳はとろけきっていることだろう。その結果、今のネットを常用している世代が高齢者になる時には凄まじいことになっているのではないか。そんなことが危惧されている。デジタル認知症の人たちがまるで当たり前か何かのように巷に溢れているのではないか。そんな恐ろしい未来が待っている、のかもしれない。
 もうその時には誰も責任なんて取れなくなっている(賠償額が凄まじい金額になっていて)。本にもあったのだけれど、スマホを作っている会社が最近、スマホにスクリーンタイムとしてスマホをやった時間を表示させる機能を付けたのも、要は責任を逃れるためではないかと著者は推測している。「おたくのスマホを使ったせいで子どもの脳の発達に悪い影響が出た。どうしてくれるんだ」とか「スマホを使ったばっかりにこれだけの損害が出たから賠償してくれ」とか「お前らの作ったスマホのせいでみんなが高齢になってことごとく認知症になってしまった。この落とし前をどう付ける気なんだ?」、極めつけは「わたしの人生返してよ」なんてスマホを作った会社が責任を追及されたとしてももう後の祭りなのだ。おそらくその時はその時で、スマホを作った会社は切れ者の弁護士なり何なりを雇っていて飄々と責任逃れをすることだろう。「皆さんにスマホを使うことを強制した覚えはありませんよ」とか「それはご自分が使いすぎたからであって自己責任ではないんですか」などとうまいことを言って切り抜けるに決まっている。また、人間というものはスマホだけを人生においてやっているわけではないから、スマホが原因で、その因果関係ゆえに損害が起こったなどと証明することはできないんだ。人生というものは本当に複雑にいろいろなことが絡み合っているものだから、どれか一つこれが原因だって言うのは難しいのだ。だから、責任逃れをしようと思えばいくらでも逃れることはできる。だから、自分の身は自分で守るしかない。
 とは言っても、少なくとも、スマホなどのデジタル機器を使うことによって調子が明らかに悪くなっていて、人生の質が低下しているのであれば、デジタル・デトックスをしてみてもいいんじゃないかと思う。もちろん、今こうして毎日10時間でも15時間でもスマホをやっていることが本当にキラキラしていて楽しくて、これ以上の生き甲斐はなくて最高だと言うのであれば、死ぬまで毎日それをやっていればいいと思う。でも、そうは思えなくて本当はスマホをやめたいとか、使う時間をもっと減らしてその時間で他のことをしたいということであれば、やっぱり考え直した方がいい。だって今のままで良くないわけでしょう? この状態ではダメだと感じているわけでしょう? だったら何か変化のアクションを起こした方がいい。
 著者は本の最後の方でこんなことも書いている。これからは、ただスマホが脳に悪いと言うのではなくて、どうしたらスマホの時間を短くしていくことができるのかその方法を考えていきたい、と。スマホは良くない。だからやめろ、と言うのではなくて、実際にどすればデジタル・デトックスの方向へと持っていけるのか。言うならば、どうすればみんなが幸せな方向へと進んでいけるのか。もう次の段階へと進んでいるようなのだ。しかし、こうした取り組みをよそにスマホはまるで当たり前のように広まっていて、今や持っているのが当たり前で持っていない方が珍しくなった。この時代の流れに抗うことはおそらくできない。でも、だからこそ一人ひとりが自分自身どうありたいのかということを真剣に考えるべき時なのだとわたしは思う。まぁ、スマホ漬けでそれが最上の幸せで至福だと言うのなら別にわたしはそれを否定しないし、その路線でやっていってくれればいい。けれど、多くの人がどこかスマホをやることについて満たされない思いがあるのではないかとわたしは察する。本当はスマホじゃなくて、もっと別のキラキラしたことをやりたい。でも、スマホの沼から何度も抜け出そう、抜け出したいと思ってもできなかった。そんな人もきっといることだろうと思う。
 あなたはスマホをやっている時、幸せですか?
 毎日スマホに多くの時間を費やしているようですけれど、それで本当にいいんですか?
 幸せじゃないし、良くないと思う。そう思うのだとしたら変わるチャンスの時ですよね。まずは一歩。そんな気持ちにさせてくれる本だった。



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