ぐだぐだ不調日記第18弾「何か満たされなくて」

ぐだぐだ不調日記
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 どうも。今日はイエーイっていう感じではなくて、イエイ(遺影)って気分なんだ。どうも気持ちが満たされない。なぜだろう? 教会へ行ってないから? 神様に背いて気楽なヨガ生活を送ってしまっているから? それともシャカシャカ活動しすぎているから?
 今回は不調と言えどもプチ不調で済んでいる。だから、本当はぐだぐだ不調日記を書くべきではないのかもしれない。ぐだぐだプチ不調日記というところが正確なところだろう。
 それにしても書くことがない。インスピレーションがわいてこない。ない。ない。ない。とにかくない。疲れているんでしょ? いや、でもね。今日、珍しく40分くらい午後休んだからね。寝たからね。
 と蚊が飛んできた。掴もうとする。けれど逃げて飛んでいってしまった。
 だめだ~。書くことがない。尽きてはいないのだけれど、尽きそうになっている。ここまで書けない症状に陥っている不調日記は初めてだぞ。こうなったら書くことがないということを書くしかない。何かネタを、ネタを見つけなければぁ。でも、そんな書くことが覚束無い文章、読んでて楽しいわけがない。といつもは好き放題書いているわたしで、読者の皆様のことなどまるで蚊帳の外に置いているかのような書きぶりなのに、今日はそんなことが気になりだした。
 何か感覚がおかしくなってきたぞ。書くという字だけがこの打っている文章の中で浮かび上がって見えてきた。さ、作詞? ではなくて錯視だろ。
 今日の不調は何色かと言えば、ねずみ色。どんより、どんよりとしていて雲、雲、雲、雲っていう……と蚊がまた飛んできた。わたしのまわりを飛び回っている。掴もうとする。けれどまた逃げられた。レアポケモンをゲットしようとするかのごとく奮闘しているわたくし。ってわかりづらいか。一思いなだけに一途に殺してしまえばどれだけたやすいことか。それを捕まえて逃がそうとするから困難が生じているわけです。ひと思いに一途に蚊のことを考えたら殺せない。って偽善まっしぐらなのかもしれん、わたしって。
 何だか今日もこのぐだぐだ不調日記はまとまりません。まとまらないのがこの不調日記の神髄なのさ。とくとご覧あれ。だんだん文章の秩序というか、構造が解体してくるから見ていてくれ。って最初から構造も何もぐだぐだしているから、ぐだぐだだし。ぐだぐだのだし。かつおだしに昆布だし。だけと星さんは昆布だし派よ。だってヴィーガンなんだもの。星さんは偉いの。だってできるだけ殺さずの主義を貫いているのだから。えらいの、えらいの。いい子、いい子。よしよし。が、ひと思いに蚊のやつめをぐしゃぁぁぁとつぶしてしまえば(?)。あ、これ別にわたしの人格が解体しているわけじゃないですよ。しっかり自我は保てていますのでご心配なく。蚊の奴やをぐしゃぁぁと星のじいさまがつぶしてやったわい。いい気味、いい気味。って全然アヒンサー(非暴力)じゃない。だめだよ、星のじいさま。そんなことをしたら自分も死んだ後に蚊に生まれ変わって同じことされちゃうよ。と、星のじいさまが上を見上げると大きな大きな巨人が一人。「ひねりつぶしてやるわ」「うぎゃぁぁぁぁ」と星のじいさまは同じことをされてぐしゃぁぁぁとなりましたとさ。めで……、って全然めでたくない。何だよ、その話。全然面白くないぞ。もっと面白い話をしろよ。もう書くことがないので昔話風にでも何かこしらえるしかないのです。
 あ、でもちょっぴりHな話ならできますよ。もうこれはわたしの得意分野だから任せておいてください(って何を任せろと?)。わたしの母の名前のイニシャルってHなんです。ね、ちょっぴりHでしょ。で、そういうわけなのでこれ実話なんですけど、母が自分のサプリメントの上蓋に「H」ってマジックで書いているんです。ってこれマジどうでもいい話じゃね? もっと面白い話をしろよ、まったくも~。
 面白い話ですか。面白いって面が白いって書きますよね。うちの猫のルルは三毛なので顔の一部が白いで~す。
 だんだん、というか読者の皆様がうんざりしてこの記事を読むのをやめている様子が目に浮かんでくる。読んでられるかってね。そりゃそうですよ。でも、ここからですよ。ここから面白い話が始まるのです。どうせ、そうやってもったいぶってまた終わるんだろ? よ、読まれてる。と言いたいところですけど違うんだなぁ(ニヤリ)。もったいぶってる。星さん、もったいぶってますよ。不調もプチ不調なだけにもったいぶってますよ。
 最初に「満たされない」と書いた。じゃあ、どうなったら満たされたことになるのか? どうなったら満たされるの? 幸福感が持続している状態が訪れたら満たされたということになると思う。って、それは無理なんじゃないかなぁ。持続する幸福感なんてそう滅多にあるものではないよ。どんな幸せも続かないんだ。たしかに続いていく幸せもある。でも、いつかはその幸せだって終わる。終わりが訪れてしまうんだ。人生ってね、線香花火みたいなものだと思うんですよ。最初火がつけられて、そして、パチパチと美しい花火となって、そして最後にはぽとりと落ちて終わる。そう、線香花火。だからこそ美しいとも言える。散ることにこそ美学があるのだから、やっぱり散ってこその線香花火なんだ。花だって散るから美しいのであって、いつまでも永遠に咲き続けたらそれは美しくはないでしょう。それは作られた花である造花や、写真の中の花や映像の中の花だけなんだからね。
 わたしが不調になると決まって何かをすることができなくなる。ただ、時間という牢獄の中で次の一歩を出さなければ、何かしなくてはと焦って、そして焦れば焦るほど何もできなくなってしまって、そして気が付くと30分か1時間はざらに過ぎている。それはまるで時間という迷宮の中で迷子になってしまってどうしたものかと思っている子どものようだったりもする。時間という海の中で溺れてしまう、とも言い換えることができるかもしれない。わたしたちは時間の中で生きていて、時間を使ってしか生きることができない。何をするにしても時間がかかり、時間をまるで空気のように利用しなければ生きていけない。
 わたしの脳内で何が起こっているのかは分からないけれど、不調になると時間が過ぎていくこと、過ぎ去っていってしまうことがむしょうに怖くなり、その恐怖感で圧倒されてしまう。そして、自分が刻一刻と着実に古くなっていき、朽ち果てていくように感じてしまうんだ。それを不調の時にわたしは自分の手の甲の血管を見て確認する。
 どこか満たされない。それは言うまでもなく当たり前のことだ。この世にある幸福で永続するものなどないのだから、いつだってその幸福感は途切れてしまう。だから、その幸福感を人々はまるで足りない燃料を補給するかのように補おうとする。けれど、そこでヨガは逆転の発想をする。むしろ、そうした幸福感にしがみつかないようにせよ、と言うのだ。執着しないようにせよ、と。なぜなら、もうすでに自分というものは満タンだからだ。満たされないと思うのは動き回る心がそう訴えるのであって、本当のわたしはもうすでに満たされている。この世的な享楽や快楽、喜びや達成感などを手に入れようとしなくてももうすでに満タンなんだとヨガ哲学では教える。そうした一般的な意味での精神的な欠乏感は要するにまやかしだということだ。もうすでに満たされている。そのことに気付くこと。
 足りない。足りない。もっともっとでは充足されることはおそらくない。どんな花を手に入れてもそれは手にはいるとたちまち枯れて色あせてしまう。そうではなくて青い鳥のように、もうすでに幸せはここにあるのだ。何も手に入れなくてももうすでに本当の自分は満タンで完全な状態でこれ以上付け加えるものはないんだ。それに気付くためにこそヨガだったり瞑想などという技法があるのだと思う。
 と、やっぱり、やっぱりですな。ま、ま、ま、ま、真面目になっとる~。どこでどう道を踏み外したものか途中から真面目な文章になっとる~。あのね~、星さん。ぐだぐだ不調日記は軽やかにふざけるっていう自分の中でのルールを完全に放棄してません? え? そんなことは別に大した問題じゃない? ってどんだけ暢気なんですか、あなたは。だから、このブログの読者様が離れていってるんですよ。もっと危機感を持ってもらわないと。え? それが問題じゃなくてただ単に文章が長いからだろう? え? それと面白くないからだろう? それを言っちゃあおしまいじゃないですか、星さん。
 ぐだぐだは永久に不滅です。栄光のぐだぐだ。栄光の3番ではなくて、栄光の長さ。って何言ってるのぉぉぉぉ? 正気を保て~~。
 あ、それと蚊はどっかへ行ってしまったみたいです(結論)。ってオイっ!!
 今、今やっと蚊を捕まえました。捕まえて逃がしておきました。(本文の主旨)って違うだろ!!!

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