森の公園にて

いろいろエッセイ
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 昨日と今日、朝7時頃近所の公園へ行った。その公園は木々が生い茂り、まさに森の公園。正式名称はしっかりとあるのだけれど、あえてその名前を書くのはやめておこうと思う。ともかく自然が豊かで緑のあるのどかな場所を想像してもらえばいい。
 そこでわたしが自分のメモ帳にメモした文章があるので、それをここに載せたいと思う。森の公園は行くと本当に癒される。人間、自然の中で過ごす時間も必要。

 5月29日 7:15
 葉っぱの落ちる音。風の音。鳥のさえずり。そよ風が心地いい。サヤサヤ、サヤサヤ木々の葉が揺れる音がする。刻一刻と周りの様子は変化していき、同じ状態にとどまってはいない。
 美しい緑がわたしの目を休ませてさわやかな気分にしてくれる。森の中にいるような、そんな土と落ち葉と木の匂いがする。気持ちがいい。
 心地いい。気持ちが、精神が浄化されて透き通っていくようだ。わたしがきれいに心穏やかになっていく。来て良かったな。また来よう。

 5月30日 7:22
 アゲハチョウが天気があまり良くないせいなのか羽を広げて静かに休んでいる。

 同 7:51
 森林浴効果なのか目を閉じて瞑想していたら頭の中がきれいになってきて透き通ってきた。そして自分がこの世で何を手に入れようと手に入れなかろうと別にどうでもいいこと、ささいなことであるように思えてきた。そんな騒がしいことにかかずらうのではなくて自然の中で静かに穏やかに過ごしていさえすればいい。別にお金も名誉も社会的地位も自然の中では何の役にも立たないし、静かに草の上にとまっているアゲハ蝶を見ていたら別に何かを野心たっぷりに成し遂げなくてもいいと思えてきた。雨の音がしとやかに大地を潤している。何かをなしとげることは野心的で調和をかき乱す。何もしないこと、ただそこで平和に調和を乱さず静かにいることは何よりも尊い。野心で破壊して波風立てる生き方ははどうもわたしには合わない。偉くなったところでそれが何なのか。そのことに特別な意味はない。自然の中ではどんなに偉い人も偉くない人もただただ等しくて、その中の一つの命でしかない。アゲハ蝶はまだ止まっている。静寂。

 ここ2日間、森の公園へ行き始めたわけだけれど、すこぶる調子がいい。何か頭の中のゴミというかノイズが公園へ行ってそこで過ごしていると、サーッと、スーッと消えていくのだ。これはヨガをやった時とも似ていて、いや、それ以上に浄化されていることを自分でも感じる。緑の木々を見て、おいしい空気をいっぱい吸って、のびのびと深呼吸する。自然というものは医者のようなものだとも思う。もしかしたら医者以上に癒してくれるものなのかもしれない。何かもうわたしはこの癒しの場所へ行くだけで自足してしまって、立派な地位を手に入れようとか、お金をたくさん稼ごうとか、一発特大ホームランを打って成功しようとか、そういう野心のようなギラギラしたものがなくなってしまった。これが良かったのかどうなのか、自分でもよく分からない。けれど、人々がああでもない、こうでもないとグチャグチャやっている営み(というかいろいろな山積みの問題)がどうでもよくなったのだ。そういうわけでわたしは自分の中に新しい道のようなものを見つけたような、そんなすがすがしい気分でいる。もちろん、世捨て人になるというのはそれはそれで高度な生き方だから、そこまでやらなくてもとりあえずは森の公園へとしばらく通ってみようと思う。そして、わたし自身がそれによって何かさらに変化があったのだとしたらそれはそれで良しとしたい。と言うよりも何よりも、森の公園にいる時、わたしは至福なのだ。喜びとか歓喜とも違う、穏やかな静寂。心洗われて気持ちが透き通って透明になっていくようなそんな清涼感。
 カウンセラーにどんなに親身に話を聴いてもらえたとしてもこれだけのすがすがしさは得られないだろう。しかも、タダ。無料で。まさに自然はわたしにとって名医であり、名カウンセラーのようなもの。
 ヨガ、瞑想、そして自然の中で過ごす時間。すごくいいものに出会ってしまった。これらをやるとすこぶる調子が良くなる。だったらやっていこうじゃないの。
 アゲハ蝶が雨がふっている中、羽を広げてただただ動かずじっとそこに佇んでいる。まるで文学にでもなりそうな、そんな静謐な空気。
 アゲハ蝶はもちろん偉くなろうだとか、一攫千金してやろうだとか、お金を儲けてウハウハ生活をしたいなどとは考えていない。ただアゲハ蝶をやっていて静かに気高く生きている。わたしもそんな風に生きられたらどれだけいいことかと思う。
 わたしが心地いいと思うこと、気持ちがいいと思うこと。それも穏やかで平和な心地よさを求めていったらこうしたことにたどり着いた。
 森の公園へ行かなくてもヨガをやり瞑想をしているわたしの心はもうすでに整えられてはいる。それをさらに、というかより落ち着かせてより静謐で静かで穏やかにしていきたい。わたしの心を静かな波風のない湖のようにする。そのためにできることはあるのだから、ぼちぼちやっていきたい。この社会はノイズ(雑音)が多すぎる。わたしは静かで穏やかな境地を目指していきたいのだ。以上、雑記でありました。

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