ぐだぐだ不調日記第17弾「この宇宙は夢なんだ不調に襲われて」

ぐだぐだ不調日記
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 どうもー。星です。みんな~、今日もぐだぐだしてぐだぐだ不調ライフを送っているか~い? イエーイ。アーユーレディー? などとどこかの芸能人か何かと自分のことを勘違いしております星ですが、今日もともかく不調になってしまった。
 のっけから何ですけど、この宇宙って夢なんでしょうか? いやはや、そんなこと聞かれても分からないですよね。その分からないこと。分からないことに振り回されているのがわたくしなのだ。
 と、もしも、わたしが今現実だと思っているのが夢なのだとしたら、その夢の中でこれは夢なんでしょうかと聞いて、そして、そのことを考えていたら不調になった、などと申している次第で。って今わたしが現実だと思っているこの世界って、わたしって実在しているの? わたし、母、その他の存在していると今まで当たり前に思ってきたものって本当に実在しているのですか?
 うむ、これって困ったちゃんだよね。本当、困ったちゃんの思想の迷子ちゃんで、本当困ったちゃん。困ったちゃんなんて言うと可愛げがあるけれど、ともかく困る。
 今、わたしはポメラに向かって、チャカチャカ打っている。照明に照らされて、少しオレンジというか黄色っぽい光の中、この画面を見て打っている。これが夢? 幻? 実在しないの? そうなってくると現実生活がうまくいかなくなるのは言うまでもない。これは現実。たしかな現実。だからこそ、みんな生きていけるし、生きていきたいとも思う。この宇宙が、世界が、わたしが、他者が夢なのかもしれない、ってものすごいカルチャーショックでしょう?
 これは現実だ。夢なんかじゃない。目を覚ませ、星ぃぃぃぃ!!! と自分にビンタした方がいいかもしれない。しかし、それでさえも強烈に痛い夢を見ているだけなのかもしれないなどと考えることはできる。
 現実ってそもそも何なのだろう? わたしは迷路に迷い込んでいる模様なのです。それもこれもそういったことを吹き込んでくる本のせい。って、でも、その本を買ったのはわたしで、もともとはわたしのせい。って、またそれも夢なんでしょうか? と夢だとしたらその夢の中で登場しもしない夢の中の人たちに問いかけるという滑稽どころか常軌を逸したこの醜態ぶり。
 その本はさらにすべては一つなのだと言う。意識としてすべては一つなのだと言うのだ。ヨガが目指すところも世界との宇宙との一体感なのであって、これに近いものがある。すべては一つなのか。それとも一つではなくてやはり分離しているものなのか。それ自体もどんなに議論してもらちが明かない。水かけの水かけ論ってな感じなのです。
 そんなことを考えておりましたら、くるはくるは不調がくるわ。というわけで不調になってしまったという次第なのであります。これは今までにない形而上学的な不調だぞ。星さん、偉い。ついに高等なことで不調になったんだからさ、などとドヤ顔で言ったところで不調ははやはり苦しく、ドヤ顔どころか自分の右手の平の浮き上がっているように見える血管ばかり見て物思いにふけっている~!!
 とまたここであることに気付く。そう言えば、その直前とまではいかないけれど、ネットでお姉さんの水着画像を見ていた~!!! あ、やっぱこれが原因なのかもしれん。結局、ムフフなネット閲覧が不調の原因なのか~!! と「!」を多用しつつ、勢いを出しているように見せかけているものの、結局、高等な不調という面もあるものの、最終的にはお姉さんの不調なわけか。美しいお姉さんは罪よのぉ。見る男どもを精神的な不調にたたき落としてしまうのだから。だいたい不調の原因ってこのぐだぐだ不調日記で開陳してきた通り、ポルノと長時間のパソコンなんだ。でも、今回のはポルノじゃな~い。となれば、今回のはポルノ不調ではなくてグラビア不調と言えそうなわけだ。と、アーンド高等な形而上学的な不調。でも、今回のは形而上学的な方が濃厚なわけよ。え? そんなわけないだろ、って? 今回のもポルノ不調みたいなもんだろ、って? うーん、人間がにんじんしか食べていないわけではないように、いろいろな原因が複合的に組み合わさって不調というものは起こってくると思うのです。というか、そう信じているわたしなの。でも、にんじんが原因だったのかも、ってことは十分ありうる。でも、原因というものはそれまでにやったことすべてが原因だとも言える。それが原因と結果ってことじゃないの?
 みんな盛り上がっていこ~!! 星はみんなが大好きだよ。イエーイ。イエーイ。カモーン、カモーン。次の曲は、えーと、えーと、えーと、何だっけ? 知っている人教えてくれる? ってどんなライブだ!? セットリストを覚えていなくて観客に次の曲を教えてもらう。と、急にどうした? 前後の流れら行くとあまりにこの文章、この段落はつながりがなくて、唐突だぞ。あっ、そうだった。次は「この世界は幻なんだよ、どこまでも」だった。教えてくれてありがとー。みんな~!! みんなはわたしの夢の中の登場人物にすぎないから、存在してないんだよ~!! だからどんなに熱狂して叫んでくれてもそれだって幻で夢なの。実在しないみんな~、気分はどうですかぁぁぁ!!! わたしの夢の中の幻でしかないみんな~。うたかたの夢を見せてくれ~!!! とそれからわたしは実在しない観客に歌を歌う。そして、実在しない観客から実在しない幻でしかない熱狂を受けて、この実在しないステージですべて実在しないのにひたすら歌い続ける。これってむなしいを通り越して滑稽でさえある。つまり、この宇宙が、この世界が幻だと言うことは、夢の中でとんだりはねたりはしゃいだりしているに過ぎないということを意味する。夢の中で、お金持ちになっても、いい大学に合格しても、きれいな奥さんをもらって楽しい生活をしてもむなしい。もしこの現実だと信じて疑わない世界が実在しない夢であり幻だとしたら一体わたしはどうしたらいいのか。どうこの夢かもしれない世界の中で振る舞っていけばいいのか。何をやってもむなしい。どうせこれは夢なんだからさ、ということになりかねない。
 と、わたしに喝を入れるかのように励まそうとしてくれる声が自分の内側から聞こえ始める。わたしの内なる声だ。
「って暗いよ、星さん。急に真面目腐っちゃって最初の明るいトーンはどこ行っちゃったの? 楽しくいこうよ。明るく行こうよ。この世界が現実だろうが夢だろうが、たしかなのはあなたが今ここにたしかにあるってことでしょ? 覚めてしまうのかもしれない。いつかは(いやすぐにも)覚めてしまうかもしれないけれど、今はたしかにこの現実だということになっている世界の中で生きているわけでしょ? だったらその中でやっていくしかないじゃないの。これが無駄な単なる夢の中でのドタバタ劇だとしてもやっていくしかないじゃないの。まだこの夢かどうかわからない世界は覚めていないんだからさ。たしかに今ここにこうしてあるように思えるんだからさ。だから生きていきなよ。夢なら夢でいいじゃん。でも、これは紛れもない現実なのかもしれないよ。夢かもしれない。でも、現実なのかもしれない。それは外側へはわたしたちは行けないんだから、確かめようがないじゃないの。できること。それは今与えられたこの世界を生きていくこと。たとえそれが無駄な骨折りでしかなくて、夢の中での出来事にすぎないとしても、それでもその中でやっていくこと。これは自分の力でどうこうできる問題ではない。あなたがどんなに頑張っても夢を現実に変えることはできないし、また同じように現実を夢に変えることもできないんだから自分のやれることをやっていくしかないよ。たとえこれが夢だとしてもこの夢の中で懸命に生きてみなよ。泡沫の夢だとしてもさ。さわれるもの、見えるもの、匂い。全部が幻にすぎなかったとしてもさ。」
 そうだ、そうだな。この世界が夢であろうが、幻であろうが、はたまた常識のごとく実在するたしかな世界であろうが、わたしは生きていかなければならない。だとしたら、その務めと言ってもいいような生きるということを全うするようにしていった方がいい。この世界が実在しているかどうか、というのは永遠の謎だ。わたしが知覚するもの、そして、この知覚が本当に正しいところを捉えているかどうかということさえも怪しいものだし、疑っていけばどこまでも疑える。でも、疑っていけばいくほど、デカルトも言ったように疑っているわたしの意識というものは少なくともたしかにある。夢なのかもしれない。この世界は幻想なのかもしれない。でも、今わたしはここにある。確かなものは何もないけれど、これを確かなものだとしてやっていくしかない。生きていくしかない。諦めといったら語弊があるけれど、その分からない、夢かもしれないということを踏まえたからこそ、でもだからこそ生きていくんだと決意することもできる。真相は藪の中だ。ヴェールで覆われている。この世界が何なのかということは正直分からない。でも、生きていく。夢だとしても、幻だとしてもそれでも生きていく。で、いいんじゃないか。と言うよりもそうするより他に方法がないのだから。そう思えたら何だか元気になってきた。やっていくしかないんだな、と。

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