ぐだぐだ不調日記第22弾「分かっちゃいるけどやめられない」

ぐだぐだ不調日記
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 時間が止まっている。停止している、ような気がする。いえいえ、何を言ってるの。今、この瞬間にもチクタクチクタク、時は刻まれているでしょ。何をまた急に変なことを言い出すの。らしくないよ、というかやっぱりそういうわけでここからぐだぐだ不調日記が始まるのか。いやいや、始まらない方がいいのかな? どっちにした方がいいんだろ。ぐだぐだとこれを不調日記にするか否か、考え中といったところ。わたしの不調指数は40%といったところ。微妙な不調。でも、何か違和感がある。この現実に、今、わたしがここにこうしてあるということに。
 わたしが今ここにこうしていて、とにかく存在しているということ。それってすごくスゲーことなんだよ。誰かがそんなことを言った。お父さんの精子のうちの1匹が見事ゴールインしたのがみんななんだよって中学校の保健体育か、小学校のそれで習ったっけ。それから20年、いやもっとか30年。それからいい歳の重ね方をしたのかどうかは分からないけれど、ともかく大人になったわたし。
 が、わたしが分からなくなるのはそれがスゲーかどうかということではない。そうではなくて、わたしが今ここにいるということが分からなくなるんだ。いるでしょ? いるでしょ? いるよね。それが分からないの? いやはや重症ですな。って分からないと言うよりも不安になると言った方がいいかもしれない。
 この違和感を感じる時というのは大抵パソコンとかをやった後。わたしの場合、デジタル精神疾患なのかもしれないと思っていて、このパソコンをやると調子が悪くなるんだ。あと、ポルノもね。
 今日もまたダラダラとパソコンをやってしまった。1時間半はやったかと思う。それから何だかおかしい。やけに目の前に飛び込んでくるものが鮮明で赤々しいんだ。
 というかさぁ、そんな毎回調子が悪くなるのが分かっているんだったらさぁ、一ヶ月くらいパソコンから離れた生活でもすればいいじゃないの。何でそれをやろうとしないの?
 それはもっともなんだけれどさぁ、生活していく上で今やネットって必需品じゃない? あると便利ですごく助かるよね。それを一ヶ月も絶つなんてとてもではないけれど、わたしには無理だよ。
 やるんだ、やるんだ、ジョー。
 それって立つんだ、じゃないの?
 わたしが調子が悪くなると陥る被害妄想は、世間から一人だけ取り残されていくといったもの。そして、取り残された上で待っているのは凄惨な孤独死。だいたい死んでから一週間後に発見されて、みたいな感じで異臭騒ぎがあって発見される。
 そんなことないって星さん。今はお母さんとも一緒に暮らしているわけだし、星さんが部屋から出てこなかったら心配して見に来てくれるよ。あと、新聞だって取ってるんでしょ? だったらその新聞が何日分もたまったりしていたら新聞屋さんが通報してくれるよ。だから、孤独死になんて今のところ、ならないから大丈夫。
 じゃあ、母に先立たれて、新聞も解約したらどうなるの? どうすればいい?
 新聞を解約しなければいいし、何かそうした見守りサービスだってあると思う(調べてないから何とも言えないけれど)。何か手だては必ずあるはず。それにそういう時には、その時にも精神保健福祉士のWさんが存命だったら彼女に相談すればいいし、彼女の所属先の法人に頼ればいい。まぁ、困ったら市役所にでも電話を入れて相談すれば動いてくれるでしょ。
 未来。
 未来。
 心配。
 心配。
 不安。
 不安。
 そんな時はわたしも含めた多くの人が取り越し苦労をしているのかもしれない。まだ起こってもいないことをあれこれ先取りして不安になる。あれが心配、これが心配。だから不安で仕方がない。でも、どんなにわたしが不安になってこの先の将来を悲観的にとらえたりしても未来は変わらないし、良くなっていかない。こうしてぐだぐだ書いていたらそのことに気が付いた。大切なのは今できることをきっちり、しっかりとやること。未来を良くするために今できることを考えてやっていくこと。何だ、それだけのことだったのか。そうだな、どんなに不安になり絶望マックスになってもそれはエネルギーの無駄遣いだな。そんなエネルギーがあるのだったらそのエネルギーを今を、そして未来を良くしていくために使おう。もちろん、不安というのは目の前に迫っている危険を察知してそれを避けようとするわけだから、意味のある人間にとっての大切な危険感知システムなんだ。でも、どんなに警報アラームが大きな音で鳴って世の終わりとでも言うように煽り立てたとしても、そこでうずくまって何もしなければ危険を避けることはできない。危険や大変なことが迫っているのであれば、「大変だ、大変だ」と言っているだけではなくてしっかりとそれに対して反応して対処しなければならない。そのための警報でありアラートなんだ。
 そう考えていくとわたしの毎度毎度の不調もわたしへの警報だったり警告であって何か大事なことを知らせようとしているのかもしれない。一体このわたしの不調は何を教えようとしてくれているのか。何を伝えようとしてくれているのか。もうパソコンは体に悪いからそれから離れよ、という警告なのだろうか。わたしを不調にすることによってそれに懲りさせてそれから遠ざけようとしてくれているのだろうか。何だかそんな風な気がしないでもない。ともかく、パソコンというものは不自然なものなのだろう。人類の長い長い歴史の中でまだ登場してせいぜい20年かいって30年といったところのもの。それだけのものでしかないのに、それに依存して多くの時間を費やし、それにかかりっきりになる。別に文明批判とかどうこう言う話ではなくて、わたしの体と心がパソコンに対して拒否反応を示しているのだろう。何かを食べて調子が悪くなったらその人はそれを多くの場合食べるのをやめる。それと同じように不調といういわば食あたりのような現象が起きているのだから、やっぱりこれは考えなければならない。
 それに毎度、毎度同じ事が原因で不調になっていたら進歩がないよね。毎回、毎回同じものを食べて下痢したり、便秘になったり、気持ちが乱れたりしているのだとしたら学習ができていないよね。もう、賢いとかどうとか言う以前にこれって進歩がないとしか言えない。
 パソコンをやめる? じゃあ、ブログの更新は? 少しばかり考えときます。ここでパソコンをやめたら未来が開けてくるんじゃないか、もしかしたら。そんな気がしないでもない。うまく付き合っていくのか、それともスッパリとやめるのか。なかなか決心ができない星。この便利さを捨てる? いやはや、考えさせてくださいな。ま、とりあえず当面はブログの更新をするくらいの利用にとどめるようにしたいと思う。わかっちゃいるけどやめられない。うむ、難しいですな。こればっかりは。

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