ぐだぐだ不調日記第26弾「3ヶ月ぶりの不調日記ってわけですか」

ぐだぐだ不調日記
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 かれこれ前回ぐだぐだ不調日記を書いてから、はや3ヶ月。星はぐだぐだやっておりましたが、特にこれといった不調に見舞われることなくやっておりました。が、久しぶりに結構なパンチのある不調がやってきました。
 もう、みんな飽きたよね。この不調日記。星というおじさんが不調になってどうのこうのなんてどうでもいいわけよ。それよりも良質なコンテンツをわたしにください、という所だと思う。けれど、星は良質なコンテンツではなくてあくまでも個人的などうでもいい情報を垂れ流しているだけだから、グーグル様にも愛想を尽かされてしまっているようで、ほとんどの記事が検索エンジンに加えられておりません。だから、検索してもほとんどヒットしなくて、いやはやダメなブログなのです。
 今日、何だかんだ振り返ってみると、結構ネットをやってしまったように思う。やっぱり星とネットは合わないのよのぉ。ってつまらなくなってきているのは承知の上なので、真面目に行きましょう。実は今朝、なぜか無性にポルノが見たくなった。ポルノと言ってもアダルティーな電子書籍を見たんだ。そうしたらガクっと落ちた。で、ヨガをやった。持ち直してスーっとしてスッキリした。あぁ、これだったら最初からポルノなんかに活路を見出さずに最初からヨガをやれば良かったんだ、とも思った。そう、アダルティーなものはメンタルをガクっと落とすようなのだ。やっぱりあの光がダメなのだろう。
 で、ヨガをやって朝食を摂った。そこからがやっぱり問題だったみたいで、何とうちの洗濯機が給水ができなくなったみたいで、そのために電機屋さんのサイトを調べたり、何やかんややっていたんだ。で、今日、修理の人が来てもいいように家のお片づけまでして、準備万端かと思いきや、その修理が今日が土曜日で、土日を挟むらしく来週になるらしいんだ。とは電機屋さんの電話に応対してくれたお姉さんの話。
 うーん、となると洗濯機が使えないから、手洗いかコインランドリーに持って行くしかない。けれど、お金をケチったわたしは、前から興味もあったし、手洗いしてみようと、果敢にネットで今度は手洗いのことを検索する。そうしたら、だんだん調子が下がってきた。でも、ここまでやったのだから、とスーパーへおしゃれ着用の洗剤とか洗濯板とか何だかんだ買いに出掛けた。そこまではまだ良かった。調子が下り坂なことは下り坂だったけれど問題なくやれていた。
 で、決定打はお洗濯。昔のお母さんって偉大だと思う。お洗濯をするのって本当に重労働なんだ。さらに、お料理まで作って、家のことを他にもやって、って昔のお母さんとかおばあさんってスゴすぎるでしょ、って本当思った。そして、そのお洗濯をやっていたら時間がどんどん過ぎていって、あれ、今わたし何をしているのだろう? いや、わたしはわたしなんだけれど、本当にわたしはわたしをやってきて、これからもわたしをやっていくんだろうか、って当たり前と言えば当たり前なこのことに躓いた次第。そうしたらだんだんこわくなってきた。
 何がこわいのだろう? 自分自身に問いかけてみると、この体調ではとてもではないけれど、明日のアシュタンガヨガの教室をちゃんとやってくることなんてできないだろう。そして、ヨガの先生やまわりの人たちからカチコチに硬直して固まってしまった無様なわたしに「星さんどうした? どうした?」と質問が矢継ぎ早にきっと飛んでくる。で、「調子が良くなくて」ともじもじと答えるわたし。となれば、「調子が悪いのなら当日であってもキャンセルしてくれて構いませんよ」などと優しい助け船を出してもらえても、何だかそんな自分が情けなくなってきて、おいおい泣いてしまうんじゃないか。男泣きの星よのぉ、ならまだしもヨガ教室で男が泣き始めるなんて異常事態発令てなわけだから、ますますまわりの先生や教室に来ている人たちが「どうした? どうした?」みたいになってさらに決まりが悪くなってしまって、ってなるのかもしれない。が、ならないからもしれない。明日もいつも通りに普通にヨガをやってこれて、何も問題なくそれ以上に、いやいつも以上にバッチリやって来れた、なんてことになるのかもしれない。「かもしれない」のはかもしれないでしかない。だから、所詮「かも」の話。わたしはカモネギではない。って違うな。いや、今思いついたから言ってみたかっただけ。他意はない。すまんです。
 明日ももし起きてみて調子が悪くて、とてもではないけれどこれでは無理だと思ったらヨガの教室を休めばいい。ただそれだけのこと。それ以上のことでもそれ以下のことでもない。それにもし誰かから「お前はダメな奴だ」「情けない奴だ」「メンタルが弱い奴だ」「全然なっていない」「無責任だ」などとないとは思うけれど罵られたとしても、それでわたしの価値が下がってしまうわけではない。わたしはそれでもわたしなだけで、別にだからと言ってわたしがわたしでなくなってしまうわけでもない。だから、出たとこ勝負でいいんじゃないか。その日、調子が悪くなったら教室へ行くこと自体をキャンセルしてお休みすればいい。教室に行っている間に調子が悪くなった場合には一言「調子が悪いので少し休ませてください」とか「調子が悪いので帰らせてください」と言えばいい。何もわたしがヨガの先生とか指導者で責任ある立場にいるわけでもない。わたしはただの一人の生徒さんでしかない。だから、そこまでの責任はないし、負う必要なんてない。
 人生というものは自分の思い通りに必ず行くことばかりではない。特に体調なんていうものは機械とかロボットではないのだから、毎日違うのだし、それが生き物ということなんだ。わたしは生き物。ヒトという生き物。だから、時には調子が悪くもなりますし、良くもなりますよ。それを完璧にコントロールして30年間無遅刻無欠勤とか、皆勤賞なんていうのは素晴らしいとは思うけれど、それだってみんながなかなかできることではないから、「すごいですね」となるのであってそれがノーマルな状態かと言えば違うのではないかと思う。みんな誰しも調子がいい時もあれば悪い時もある。それが普通だし、至ってそれは当たり前のこと。何も恥じることはない。ただ、不誠実な態度というものがあるのだとしたら、それは調子が悪いのに隠し通そうとしたり、悪いのに元気なように振る舞って嘘をつくこと。それだけは良くない。それは不誠実だし、それだったら最初から「今日は調子が今一つなんです」とか「ちょっと調子が悪くて」と言った方がいい。
 鬼のスパルタ指導でもあるまいし、調子が悪いと言う人、悪いから帰ってもいいですかと言う人にそれでもやれとか踏ん張れとか根性が足りないだなんて言うわけがない。少なくともわたしが今通っている教室の先生はそんなことは言わないし、そこまでは要求しないだろうことは分かり切っている。
 と、ここまで書いてきた。だいぶ調子も持ち直してきた。書くということもすごくいいみたい。3ヶ月ぶりの不調日記、だなんてわたしもだいぶ回復してきたと思う。前なんてしょっちゅう書いていた人がここまで大きな不調になることもなくやれている。これはありがたい。神様に感謝。その神様がわたしの外側にいるのか内側にいるのか、なんてことは些末な問題で、人智では計り知れない力がこの世界にうごめいていて、その力によってわたしは生かされているのではないか、と思う。わたしは生きている。いや、生きているのではなくて生かされているんだ。ヨガをやるたびに何か不思議な力がわたしに働いているのをひしひしと感じる。これは何なんだろう? 言葉では言い表せない、とてもとても不思議な力。わたしを癒し、そればかりではなく強くたくましくしてくれているこの力。それこそが神様の力なのかもしれないと思いつつ、とりあえず明日のヨガ教室に行ってこようと思う。当日になって無理そうだと思ったらちゃんとキャンセルしようと思うし、教室中に不調になったらしっかりと申し出ようとも思う。
 となればわたしの不調日記は稀少なものとなりますので、なかなか読めなくなるかも。って寂しい? いやいや、祝福してくださいませ。わたしが不調にならなくなってきたことを、ネ。



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