まとまらな~い

いろいろエッセイ
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 最近、このブログ、パッタリと読んでくれる人が減った。アクセス数を見るとため息は出ないものの、それでもこの不人気ぶり。不盛況ぶり。何でこんなに読んでもらえないのだろうと考えざるをえない。でも、いい。気にしないと言うよりは、そもそも大衆ウケは狙っていないのだ。自分が書きたいことを書く。それも自分のために。で、それをたまたま通りかかった人が読んでくれて、「このお兄ちゃん(もう今年40のおじさんですけどね)、なかなか面白いこと言ってるじゃん」と思ってもらえたらそれでいい。何も、このブログを通して収益を見込もうとか、そんなことは思わなくなったのだ。って、あきらめたってことですかね? 星さん、あきらめた。もうけることをあきらめた。って全然ほとんどトライしてないけど。だってさ、問題解決ブログってわたしの性に合わないし、何もそこまでして稼ぎたいわけでもないんだ。ただ、自由気ままに今日も自分の拙い思想を紡ぎ出す。それでいいじゃないか、ってね。
 欲がない? それはそうでしょ。だって、菜食続けてるしね。お肉を食べていないもんだから、ガツガツした気持ちがそもそもわいてこないの。スーっと、平ら~。以上。闘争本能ゼロなのです。星は草食動物ですな、言ってみれば。いや、木の実とか食べるから雑食か。でも、お肉は食べておりません。
 逆にエネルギッシュに自己実現、野望に燃えて闘志をみなぎらせて闘ってやるぜ。一発、特大ホームランを打ってみせるぜ、みたいな人って大変だろうなぁってホームランなだけに外野から眺めている。わたしの立ち位置って、活躍している人が今プレーしている選手だとすると、それをテレビで「大変よの~」などと呑気に見ている人のようなもの。でも、考えてみればどちらが上かと言えば、どちらが上とかそんなことはないし、そんなものはない。ただ頑張って野球をしている人がいて、それを見ている人がいる。その両者は平等なんだ。で、いいでしょ? ダメ? でも、もしもみんながプロの選手になったらそれを誰が消費するのですか? 誰がお金を払ってそのプロの選手の皆様方を養うのですか? そういうわけなんだから、自宅で呑気にテレビを見ている人だって、それはそれなりに立派に役目は果たしている。
 ブログの人気は出ず、放送大学をやめてただいま無職の星のお兄さま。さぞかし、フラストレーションをお抱えになられているのでしょうか、と思いきや逆に心は落ち着いているのだから分からないもんだよね。
 でもね、不安が全くないわけでもない。この生活を続けていくってことは、母を失ったら一人になるからね。教会の人たちとか、ヨガ教室の人たちとか、これからも彼らとの人間関係は続いていくのだろうけれど、自分の家族というか、ホームというか、そういうものをいまだわたしは築けていない。でも、いいじゃないの。築きたくなったら築けば。言い訳になるけれど、家族を築きたくないのに築いてもしょうがないしね。そんな感じでやる気がないのに家族作ってもきっとうまくいかないし、問題が起こって崩壊する。でも、やってみないと分からないからこういうネガティブな推測は良くないな。もしかしたら、案外星はいいパパになったりしてね。なんてね。こういう話を書くのは、今、ゴールデンウィークだからね。近所のおうちに小さな子どもを連れた人たちが帰省しているんだ。だから、小さい子の話し声が聞こえてくる。何だかそれが自分が手に入れていない幸福の形のように思えてきてね。それがすごくうらやましいとは思わないけれど、無責任にも「いいなぁ~」って思えてしまう。お父さんとお母さんと子どもの幸せな家族という幸福の形。それが急に欲しくなりそうになる。でも、それを手に入れるにはちゃんと毎日仕事をしなければならないし、面倒くさいことが山のように自分のところにやってきて、責任も当然負わなければならない。ま、ないものねだりですね。
 思うんですけど、高望みしなければわたしも結婚できるんじゃないの? ただ、しようとしない、していないだけでさ。でもなぁ、あんまり結婚したいと思えない人と渋々結婚してもなぁ。それってどうなんだろう。自分にとってあんまり魅力的だとは思えない人と流れで結婚する、なんていうのは避けたいな。
 こういう話を書いても、「別にあなたのことに興味ないから」ってな感じで多くの人はスルーしていく。ま、そうでしょ。だって、当のわたしだって自分みたいなブログあっても読みたいとか思わないからね。って爆弾発言~。じゃあ、何で自分が読みたいと思えないし、多くの人が読みたいとも思えない文章をこんなに時間をかけて書くのさ? わからないな。謎だな、と言いつつも、さらりと「思い出になるから」とか言ったらカッコイイかな? わたしのほとんどの文章は駄文としてみなされて、後世に語り継がれたり、読み継がれたりすることもなければ、ただ読み捨てられることさえもされずに無視されてスルーされていく運命にあるのでしょう。でも、わたしの世界が文章という形で残り、それを読んだ数少ない人たちの眼前に文章の香りがたちこめる。そして、その香りをかいだ人が何かを思う。まぁ、香りというか、料理と言ってもいいかもしれないけれど、ともかく読者の眼前にこのわたしの世界が広がる。なぜ書くか、っていう問いは古今繰り広げられてきた。その答えはいろいろだったと思う。何で書くんだろうね。何でだろうね。それは分からない。でも、この文章という香りが立ちこめる瞬間を提供したくて、多くの人が書いてきたんじゃないか。そんな気がする。
 と、とりとめもない文書をここまで書いてきました。しかし、まとまらんね。あ~、でも、まとめようとしてまとめても何にも面白くないからここは意外なまとめ方を。菜食万歳!!(うわ~、まとまってね~。)

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