この人生って未来のゲーム?

いろいろエッセイ
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 わたしにとっての永遠の謎。それはこの世界が実在するかどうか、という至ってシンプルなこと。
 もしかしたら、いや、もしかしなくてもこの世界は存在しないのかもしれない。誰か教えてよ、などと言いたくなってくる。でもこればっかりはわたしに誰も教えることができない。なぜなら、その教えてくれた人もわたしが見ているこの幻の登場人物でしかなく、幻の中で「これは幻なんでしょうか?」とたずねてもまさしくこれはナンセンスだからだ。分からない。謎。真実はどこにあるのか?
 もしも、この世界が幻なのだとしたら、夢なのだとしたら、その夢か幻の中で「これは幻なんです」と言っているにすぎない。「夢なんです」と言っているにすぎない。幻あるいは夢の中に現れている登場人物とこの世界が実在するかどうか話をするっていうのもなかなか面白いことではある。でも、結局、らちが明かない。
 あるいは、わたしの脳が培養液の中で電気信号を送られているだけなのであって、すべてが造られたものなのかもしれない。だから、わたしにこの五感で感じることができる知覚を与えている黒幕がいて、その人物がわたしのことを見て楽しんでいる。うぅ~、ちょっと寒気がしてきた。誰が? 何のためにそんなことを?
 いやはや、今こうしてここに書いていることは精神科の主治医の先生には言えないな。って言うか、その主治医もわたしの見ている夢の中の登場人物なんだから別におそれることはない。でも、そうなるとこの世界は巧妙に精緻にできすぎている。でも、未来人ならこれくらいのこと朝飯前なのかもしれない。って被害妄想? いやいや、だんだん怖くなってきましたよ。自分が現実だと思っている現実が実は現実ではなくて、それを作り出して支配して操っている黒幕がいる。その黒幕が好きなようにこの世界を設定していて、その作り上げた世界でわたしを泳がせて遊んでいる。
 でも、一方でこれは夢、幻ではないのかと思いつつも、実際は今まで普通に信じてきた通り、この世界が実在していてむしろ夢だ幻だ何だと思ったりするのが非現実的で妄想だったという結末も十分ありうる。この世界は実在していましたよ。ちゃんとしっかりとね、ってね。でも、それを確かめる方法がない。絶望的なほどにない。だって、この世界の外側に行くことはできないんだから無理もない。自分の知覚の外側に突き抜けること。それはやはり無理な相談なのだ。
 人は何か目標を達成しようと頑張って勉強したり、仕事をしたり、いろいろなことをする。でも、そうして頑張ってつかみ取ったものの、この世界が夢だったら? 幻だったら? その人は激怒するに違いない。こんなにわたしは必死になって死に物狂いで頑張ったのに、懸命に努力したのにってね。
 でも、ここまで夢か、幻か、などと書いてきたけれど、それでもやはり夢だったり幻なのかもしれない。んんん? ちょっと分からないんですけどと思われたことだろう。もう少していねいに書く。それは仮にこの現実が実在したのだとしても、たしかに実在していて自分の生きている世界が幻ではなかったとしても、人生はつかの間の夢のようなものかもしれない、ということだ。人生はある。たしかにあって、あった。でも、生まれてから死ぬまでの長い長い人生と思われたこの生涯も終わりが近付いてみれば、「あぁ、夢のようだったな」と思いながら死んでいくしかないのかもしれないな、とわたしは思うのだ。この人生においてささやかながら自分のできる仕事はした。後世に語り継ぐほどのことはできなかったけれど、後から生まれてくる人のためにささやかなギフトを用意することはできた。でも、わたしはこれから死んでいき消滅して無になる。あぁ、散っていくんだな。桜の花びらが散っていくように散り去っていくんだな。しゃかりきになって頑張った。有意義な人生を送れた。思い残すことはもうない。でも、まるで夢のようだったな。そんな風に過去の思い出なんかが美化されて、まるで走馬燈のように記憶が駆けめぐっていくような、そんな風になるんじゃないか。もちろんわたしはクリスチャンだから、そこで天国へ行くんだろうなとは思っている。でも、100%絶対そうだとは断言できない。天国へ行けたらいいな、くらいの感じだろうか。信仰、つまりは信じていることというのはささやかな願望であり、願いのようなものかもしれないなとも思う。
 で、ここまでいい話になってきたのにぶち壊してしまうかもしれないけれど、わたしが死んだと思った瞬間にもしかしたらだけれど、目の前に「GAME OVER」という大きな文字が表示されるかもしれない。そして、その時に自分が32世紀の人間でリアルなゲーム体験をするために一時的に記憶を消去して21世紀の星大地という人間となってその世界で生きるリアルなゲームをやっていたことを思い出す。そう、未来の世界では過去の世界をプレイヤーとして体験するゲームが流行っているのだ。な~んて、ことがもしかしたらあるかもしれない。ちょっとSFっぽいけれど、でも100%そうではない、とは誰も断言することはできない。あるかもしれない。おそらくはないだろうけれど。
 この世界。このわたしたちが生きている当たり前の現実。それこそが不思議なワンダーランドなのだと思わずにはいられない。分かっている、確実だと信じて疑わない当たり前のことこそ一番不思議で、神秘的でさえあって謎めいている。この謎が明かされるのは死後なのか、それとも死後になっても自分自身が魂も含めて跡形もなく消滅してしまって分からずじまいなのか、それは分からない。分からないからこその謎なのだからやっぱり分からない(笑)。
 っていうことを夢か幻か、あるいは未来のゲームの中で主張して自らのブログに記しているわたしなのでありますが、やっぱりこれって本当不思議なあり方だよね。幻の中で、これは幻だと思うって一体……? でもそれでもこの実在するかどうか分からない世界は今のところ続いている。かと思いきや、突然「GAME OVER」の文字が!? 外部からゲームを強制終了されたようであります。そのゲームをやっていた本当のわたしは夕ご飯の時間らしくて、母親から呼び出しがかかったようなのです。まぁ、そうなったらなったで仕方ないよね。ゲームオーバーなもんは仕方がない。帰って夕ご飯を食べましょう、って、老人になって死ぬところまでプレイしたかったのに~。星さんいいところまで進んでたのに~。ヨガやって健康になってきてこれから面白くなるところだったのに~。悔しがる32世紀の本当のわたし。渋々、本当のわたしは夕食を食べるのでした。チャンチャン、なんてね。

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