植物に水やりをする。いろいろな植物があって、それぞれ種類ごとに水やりの仕方が違う。水をあげる頻度、回数、それから水の量。みんな違っていて、それを守らないで一様にやってしまうと、やっぱりうまくいかない。
こんな当たり前のことは言われるまでもなく分かっていることだ。でも、それが人間の場合、その中でも自分にあてはめて考えてみるとどうなのか、といったことに無関心で来てしまったように思う。
このことに気付かせてくれたのがアーユルヴェーダの本だった。アカリ・リッピー『アーユルヴェーダが教えるせかいいち心地よいこころとからだの磨き方』を読んでこのことを知り、まさに目からウロコだった。
このアーユルヴェーダの本では、みんな違うんだから、画一的にその人の体質などの個性を無視して、流行りの健康法、食事法、サプリメント、美容法などを自分に無理にあてはめようとしてもうまくいかないことの方が多いだろう、といったことを教えてくれている。そうだ、そうなのだ。その通りなのだ。で、アーユルヴェーダでは一人ひとり違う人間にどうすればいいと教えているかというと、人間を大まかにいくつかのタイプに分けて、そのタイプにあてはまる食事法、生活法、美容法をやっていくように勧めるのである。そして、さらに、そのタイプに沿った生活をしながらも、自分に合わない食べ物だったり、生活習慣を一つずつやめて引き算をしていく。その結果、本当に自分にとって心地良いものだけが残る。その残ったものこそが、その人にとって最適な水やりなのだから、それを大切に続けていく。しかし、人間というものは常に変化し続けている生き物だとアーユルヴェーダでは考えるから、自分の心と体からの声を常に聴くことができるよう、感覚を研ぎ澄ましていき、変化に対してきめ細やかに対応していく。
このことは毎日の生活すべてに言えることだと思う。わたしたちは日々、何かをして生きているわけだけれど、その一つひとつがわたしにとって最適なものであるためには、やっぱり試行錯誤して心地良いものを見つけていかなければならないのだ。
このアーユルヴェーダの教えを知って、わたしは勉強法も勉強時間も自分に合ったものでいいんだなって思えた。今までは、誰か目標になりそうなすごい人の真似をして、その人と同じことをすればいい、と何の根拠もなく思っていたけれど、それもやめた。もちろん、参考にすることは一応する。でも、自分で試してみてそれでうまくいかなかったら、やっぱりそれは合っていないのだ。
誰かが毎日6時間勉強した方がいい、と勉強法を掲げても、みんながみんな6時間できるわけではない。それでは大変すぎて無理だという人もいれば、いやいや8時間くらいやらないと物足りないよ、という人もいることだろう。
また誰かが、本の内容を頭に入れるには7回速読するのがいいよ、と提案したとしても、それがみんながみんなに最適とは限らないのだ。ゆっくり2回読めば頭に入る人もいれば、文章を書き写さないと頭に入らない人、あるいはとにかく書き殴って書きまくらなければうまく記憶できない人などと多様だと思う。
だから、勉強法にしても10人いれば10通りの勉強法があると思うし、それでいいと思う。それを何が何でもこの方法でやらなければ駄目なんだとガチガチに考えて、自分には明らかに合っていないのに、その方法に固執するのは賢明だとは言えない。
何かすごく気が楽になってきたわたしである。みんな違うんだから一つのやり方にこだわらなくていいんだ。そのやり方を試してみて合わなかったら別のものにしてもいいんだ。すごく気持ちが解放されません?
うまくいっている人の話というものにも普遍性がある場合もあるけれど、それでもそれは一人もしくは何人かの成功体験でしかない。それがこの独自の個性を持ったわたしに合うのかどうか。それは実際に試してみなければ分からないのだ。
納豆とか魚が体にいいから、と言っても、それが多くの人にとってはそうであっても、このわたしにも合っていていいものなのかどうか、というのは実際にわたしがそれらを食べて実験してみなければ分からない。仮に統計とかで健康にいいことが証明されたとしても、やっぱりそれでもわたしには合わないということはあると思うのだ(ま、多くの人にとって良かったものは大抵わたしにとってもいいことは多いけれど)。
だから、自分で試してみて、その時の自らの体の反応とか調子とか感覚を観察する。そうして、自分にとっての合わないものを見つけていって、それらをやめていく。アーユルヴェーダって「生命の科学」っていう意味でもあるらしいんだけど、ものすごく合理的だなぁって思う。そうだよな、自分に合わないものをやめていけば体調だってきっと良くなるわな。自分に合わないものをやめて、合うものに絞っていく。うむ、実に合理的。
わたしはこの考え方に従って、実験をしていった結果、食べ物や飲み物で工夫するようになったことがある。それはコーヒーの飲み方で、1日あたり450mlを超えないようにしているんだ。それを超えると体調が悪くなると自分で実験してみて分かったからだ。そして、飲むタイミングも朝と昼だけにしていて、出掛ける(歩く)直前には飲まないように気をつけている。もちろん、夕食後などに飲もうものなら、目が冴えてしまって確実に夜眠れなくなる。でも、飲む量とタイミングをしっかり守れば、程良い刺激となって活力がわいてきて、頭の回転数も上がる。
それと以前の記事にも書いたけれど、空腹時に葛根湯と白い食パンを食べても不調になることが分かったから、それと同じ状況を再現しないようにも心がけているんだ。
ここでは2つあげたけれど、その他にもこれをやると調子が悪くなるっていう大まかなリストがあって、それを参考にしながら不調にならないようにしているんだ。体調が上がったり、気分が良くなることを積極的にやるのもいいけれど、それ以上にこれをやると調子が悪くなるなっていうのをやめていく方が大切だとわたしは思う。
わたしも自分に合うものと合わないものを実験してさらに探していきますので、あなたもぜひ自分にとってのベストチョイスを模索していってくださいね。
当たり前のことながら、見過ごしがちなことに気付かせてくれたアカリ・リッピーさんに感謝しつつ、今回の記事を終わりにしたいと思う。
あなたに合ったベストな水やりをぜひ見つけてください。以上。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。