ネットから少し距離を置くようになって

いろいろエッセイ
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 Twitterのプロフィールにも書いたことなのだが、わたしはネットを週2にすることに決めた。きっかけは、言わずもがな調子が悪くなったからだ。調子が悪くなる。言ってしまえば一言だけれど、別の言い方をするなら調子が悪くなることによって生産的な活動ができなくなるということでもある。生産的な活動と言っても、何も仕事をしているわけではない。けれど、読書とか勉強などは相変わらずしていて、つまりはその生産的な活動のことなのである。
 ネットをやるといつも決まってダラダラと時間が長引いてしまう。それも長くなると3~4時間はザラだったりする。3~4時間。その時間をもしもネット以外のことに使えていたとしたら、どれだけ豊かな活動ができていたことだろう。そのうちの1時間であっても読書や趣味や料理や運動などの自分を上向きにさせる活動に使えていたらどれだけいいことだろう、良かっただろう、などとネットを長時間やってしまった後に自責の念に駆られながら反省するのだ。でも、時間というものは蓄えておくことができないから、ネットに時間を使ってしまった後に後悔してもその時間はもちろん当たり前のことだが戻ってはこない。
 ネットはたしかに楽しい。時間を忘れて夢中になれて没頭できる。ネット上でいろいろな人とコミュニケーションをとることはとても楽しくて聖書的な言葉を使うならまるで蜜のように口に甘いのだ。でも、その甘さを後から振り返った時、たしかに楽しかったけれどもそれが自分にとってどうだったかと問う時、一抹の疑問のようなものが浮かんでくるのだ。「本当にその時間は良かったのか?」と。というか、ネットはコミュニケーションをする場ではあるけれども、それ以外の雑務とでも言うべきことをやっている時間が案外長かったりもする。それらを総合的に考えてそのネットの営みが本当に有意義だったかと自分に問うと、「うーん」とうなってしまうのだ。
 あっ! 失礼。くどかった。同じ事を書いてしまっていた。申し訳ない。気を取り直して続けたい。
 で、話を戻すとそういうわけでネットの時間を減らしたいと思ったのだ。じゃあどうしたらネットの時間を減らせるかなと考えたらいい案がひらめいた。それはネットをやる日自体を減らすという案だ。ネットをやる日を減らさないでいつも通りにしてやる時間だけを短くするというのもいいのだけれど、わたしにはそれは無理だ。ネットをやり始めるとがぜん火がついて時間を短くすることはできない。結局、またいつもと同じになってしまう。
 それでわたしは考えた。ネットというのはお酒と同じようなものではないか、と。なら禁酒ならぬネット禁止か、とも思ったがそれは現実的ではない。現にネットから受けている恩恵は大きくて完全にやめることは得策ではないと思ったからだ。では、禁酒ならぬネット禁止はしないとして、休肝日つまりネットをやらない日をつくろうと決意したのだ。そうすればネットをやる日に今までと同じ時間やってしまったとしても、やる日自体が減っているのだから、合計時間は劇的に減ることになる。これはいい考えだ!! 早速実行に移してみた。とりあえずネットを週3にしてみることにした。でやってみて、その結果を踏まえて今後を考えていくことにしようと思ったのだ。
 やってみた結果。すごくいい。とにかくいい。休肝日ならぬ休ネット日をつくったことによって今まで以上に知的な活動に取り組むことができるようになった。ネットをやり終わってからやる気がなくなってグダグダしていることもネットをやる日にはまだそんな感じもあることにはあるけれど、それでもネットをやる日が今までの半分くらいになったのでそのタイムロスは激減した。何よりもネットに使っていたはずの時間を別の創造的なことに使えるようになったので、生活の質も上がったようだ。
 ただし、ああ言えばこう言うみたいなことも付け加えるとするなら、ちと問題なのはクリエイティブな時間をたくさん持てるようになったので、その分やりすぎてしまうことが増えたことだ。まぁ、これは嬉しい悲鳴だ。今まで以上に活動できる時間が増えて、その時間をめいいっぱい使おうとするがゆえに疲労困憊になってしまうのだ。これは自分でセーブして疲れすぎないようにやるしかない。自分を大切にしてやりすぎ、燃えつきになることを防止するのだ。これはわたしにっては嬉しい課題とでも言うべきものだから、少し抑えながらやっていけたらと思う。
 そして週3から冒頭でも書いた週2へと移行することにした。いいんじゃないの。これはいい。完全にやめるのではなくてセーブする。これからの時代はいかにネットをセーブしてその時間を削るかということが大切になってくるんじゃないかと思う。そして、これをやる人とやらない人との間に大きな差がつくのではないだろうか。
 たしかにネットの情報収集にも利点はある。図書館へ行って一日中資料を探さなくても、今や自宅でググって検索すれば大抵見つかる。でもね、そういう時代だからこそ本を読んで土台をしっかりさせることが重要なんじゃないかな。ネットを否定するわけではないけれど、ネットだけでは自分を大きくすることは難しいんじゃないかな。などと説教しとるわたしだが、わたしも本を読んで鍛えているところなのだ。だから、これは自分に言い聞かせるつもりで書いている。
 わたしにはやると調子が良くなることと悪くなることとがある。そのきまって調子が悪くなることがネットをやることなのだ。もうこれはわたしにとってはお決まりと言ってもいい。あ、ネットをやることと言うよりも正確には、ネットを「長時間」やることだった。30分くらいだったら大丈夫。でも、それが1時間を超えて3時間、4時間になろうとする頃にはもうヘロヘロなのである。わたしって敏感なのですわよ。(だ、誰?)おそらくわたしはHSPの本に書いてあるように敏感さんなのだろう。刺激に対して敏感なほうなのだろう。だから、長時間のパソコンでヘロヘロになってしまうのだ。
 だから調子が悪くなることを避けるためにもネットから少し距離を置いて、自分を守るのだ。その方が調子がいいのなら何も無理をして毎日ネットをやることもない。もちろん人によって様々だろうからわたしがこの記事に書いたようなことがすべての人にあてはまるとは思えない。毎日4時間ネットをやっても平気な人はいることだろう。そして、そのネットの時間で何物にも代え難いほどの幸福感を得ている人もいることだろう。そういう人はそれでいいと思う。何もわたしに倣って同じようにしなくてもいい。ただ、もしわたしとあなたが同じようだ、とか似ているかもしれない、という人はわたしがやり始めた休ネット日を真似して試してみる価値はあるだろうというだけの話だ。
 調子が良くなってきた。ありがたい。ネットと上手につき合って、ほどほどの距離を保ちながら、自分がやりたいことややらなければならないことに真摯に取り組む。ネットに自分の行動を左右されてやるべきことができていないというのはマズいのではないかと思う。
 ネットは娯楽だ。だから、ネットが主人になってしまわないよう引き続き気を引き締めて自戒していきたい。
 ネットのために人があるのではない。人のためにネットがあるのだ。

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