自分を死刑にする必要はなかった-上島竜兵さんの死を悼む

いろいろエッセイ
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 母から聞いて驚いた。上島竜兵さんが亡くなったらしい。新聞を見てみると、終わりの方の紙面に控え目に載っていた。上島さんが、あの上島さんが亡くなったのか。驚きと同時に胸がざわざわし始めた。
 上島さんは多くの人を幸せにしてくれた。いつも笑いで癒してくれた。そんな彼がもういない。テレビではもう彼の最新の姿を見ることはできないんだ。
 わたしが小学生くらいの頃から上島さんはテレビの人だった。当時、NHKの教育テレビで「天才テレビくん」っていう番組が人気があったんだけど、その番組に上島さんは出られていて、それはそれはとても面白かったんだ。役柄は「パーたん」だったと思う。どんな風に面白かったのか、具体的な内容は覚えていないけれど、何だかすごく楽しかったことは覚えている。
 志村けんさんのバカ殿では家臣役をつとめられていて、それもすごく良かった。何というか、一つひとつがプロだったなぁって思う。体を張る役回りが多くて、あまりのきつさにわたしは見ていて「かわいそう」と思ってしまったくらいだった。でも、それをまた上島さんは上手にやるんだ。とにかく名脇役。上島さんが引き立てると、引き立てられた人が本当に輝くんだ。それが魔法みたいだったな。
 と上島さんのことを思い出していたら、とても寂しくなってきた。何で上島さん、死んじゃったの? 上島さんが80歳くらいになってお笑い界のレジェンドとして、若かりし日々を語る様子が見たかったな。それがもう見れないのか。
 もう一度、「くるりんぱ」を見たいよ。ダチョウ倶楽部の3人でしょうもないおふざけをやっているところをもう一度見たいよ。
 わたし自身もすぐ死にたくなる方なので、上島さんのことが他人事のようには思えない。もしかしたら、上島さんが死ぬ前にわたしがもうすでに一歩間違えていたら死んでいたかもしれないからだ。わたしには過去に自殺未遂歴があり、こういう人間は要注意なのだ。自殺未遂歴がある人というのは、何度も同じ事を繰り返しがちで、既遂に終わることが少なくないようなのだ。
 わたしは死にたくなると、今の苦しさから解放されるには死ぬしかないと思ってしまう。そして、あれこれ死ぬ方法とか考えて、計画を練ってしまう。
 でも、今回の上島さんの自死を通してやっぱり、というか思ったことがある。それは自殺は最善の問題解決法ではない、ということだ。自殺しても問題は何も解決しない。むしろ、かえって残された人々を苦しめて、問題を広げてしまい、大きくしてしまう。だから、決していい解決法だとは言えない。
 わたしには今、心に決めたことがある。それはふと鶴見俊輔さんの言葉を思い出したからだ。人間には自殺をしてもいい時がある、と彼は言う。それは戦争に引き出されて敵を殺せと命令されて自分はしたくないと思った時と女性を強姦したくなった時だ、と。この言葉がずしりとわたしの心にのしかかっている。それほどのことでない限り、自殺をしてはならない。だったら、生きようじゃないか、とわたしは思うのだ。
 自死とは自分を殺すことだ。つまり、自分で自分を死刑に処することだ。だから、死にたいと思った時に自分自身を反省する必要がある。自分は死刑になるほどの大罪を犯したのか、と。客観的に見て自分はそれほどの罪を犯したのか、と自分自身を見つめ直すのである。そうすれば、死刑になるほどの罪は犯していないことが多くの場合、明らかになることだろう。
 自殺を既遂で終える人というのは、何らかの精神疾患であった可能性が高いらしい。だから、いわば病人なのだ。このことは、病人がその病気のゆえに生きていてはならない、ということがあってはならないのだから、死ぬ必要はそもそもないのだ。(肺の病気の人がそれが理由で死刑にならなければならない、ということがないのと同じで)おそらく、うつ病の人も多いことだろう。だったら、なおのこと病人なのだから、いたわってあげなければならないと思う。病人はいたわって治療してあげなければダメだよ。だから、優しくしてあげようよ。病人の自分をいたわってあげようよ。
 また、死にたいという気持ちは典型的なうつ病の症状だとも言えるから、やっぱり治療しなくちゃね。お薬を飲んで、安静にして休んで、病気を治すんだ。その病気が良くなってくれば、また生きたいと思えるようになる。だから、そういう意味でも死にたくなったら精神科を受診した方がいいんだ。精神科医に「死にたいです」と訴えて「じゃあ、死んだら」とか言わないから大丈夫。最善を尽くして生きていくための方法を一緒に探してくれるよ。
 上島さんは人を殺してもいなければ、女性を犯してもいない。客観的に見て、重罪人として死刑に処されなければならないだけの悪いことはやってないんだ。だから、重すぎる処罰を自分自身に課してしまったことになる。
 もしも、だけと上島さんが死ななければならないとしたら、つまり死刑に処されなければならないとしたら、一体どれだけの人が死ぬことになるのだろう、と考えると慄然とする。少なくとも日本人だけで数百万人とか数千万人の人たちが処刑されることになってしまうだろう。そんなのは、言うまでもなくおかしいし、絶対に不合理だ。そんなことがあってはならない。だから、そういう意味でも上島さんは死ぬ必要がなかったとわたしは断言できる。そう考えていくと、わたしも死ぬ必要がないし、これを読んでくださっているあなたも同じだろうと思う。
 生きよう。わたしたちは死刑になるほどの悪いことはしていない。だから、生きよう。生き延びよう。

 神様。どうか、上島竜兵さんの魂が天国で安らかな安息に与れますように。主イエスのみ名によって祈ります、アーメン。

*鶴見俊輔さんの言葉の引用が不正確で間違っておりましたので訂正しました。申し訳ありません。(5/13)

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