キャベツさん、お元気ですか?

いろいろエッセイ
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 わたしの精神状態のバロメーターは、キャベツを見た時にどのように思うか、である。
 キャベツを見て、「キャベツさん、お元気ですか?」とキャベツのことを気遣う余裕がある時はとても調子がいい時だ。
 そこまで余裕がなくても、キャベツをじっと見ていられる時は調子が比較的いい時だ。
 だが調子が悪い時にはキャベツを見ても何も感じないし、何も思わない。心に余裕がなくてキャベツを素直に見ていられないのだと思う。
 本当にイライラして調子が悪すぎる時には、ここまで丹精こめて育ててきたキャベツをグシャグシャに潰したくなるかもしれない。(有り難いことにそこまで精神状態が悪化したことはないが。)
 だから、わたしにとっては、キャベツの前にいることは、理科の実験で使うリトマス試験紙のように、それによって体調の良し悪しがわかるバロメーターなのである。
 今日、キャベツの前にかがみこんで座って、見ていたら気が付いたことがいくつかある。
 まず、キャベツは「いいね」の数など一切気にしないし、リツイートがどれだけあったかということなども気にするよしがない。キャベツって自由だね。わたしはそう思った。キャベツは植物だから動けなくてその場にずっといるわけだけど、キャベツに心がもしあるとしたら、きっと自由なんじゃないかって思う。何て言うか心が透き通っていて、ひたすら真っ直ぐ。欲深いキャベツとか、性格の悪いキャベツとか、意地悪なキャベツとか言わないでしょ。キャベツって真っ直ぐすぎて、そのことにおいて突き抜けてる。わたしは生まれ変わったらキャベツになりたいとは思わないけれど、その心のまっすぐさは見習いたいなぁと思う。
 でも、わたしはキャベツのことを買いかぶりすぎなのだろうか。多くの人間が悩みを抱えながら生きているように、キャベツも何か悩みを抱えているのだろうか。うーん。キャベツに質問しても答えてくれないけれど、もしかしたら葉っぱをちぎられたり、食べられたりすると痛いのかなぁ。根っこから引っこ抜かれると、コンクリートの上で干からびているミミズと同じように苦しいのかなぁ。キャベツさん、もしかしたら痛いのかもしれない。それも瀕死になる位の痛さ。だから、キャベツにはキャベツなりの悩みがあって、それでも真っ直ぐに生きているんじゃないか。キャベツさん、案外けなげなのかもしれない。
 キャベツがもし言葉を話せたら、一体何を語り出すのだろう。キャベツさん、かく語りき、ってな状況である。おそらくわたしたちが「今日はサラダを食べたいなぁ」とキャベツさんの葉っぱをちぎり取ろうとしたら、断末魔と言うばかりの絶叫をキャベツがするかもしれないとわたしは想像する。「うぎゃぁぁぁ!!!!」ってな具合に。
 そんな風にキャベツを擬人化して考え始めると葉っぱをちぎるのを躊躇してしまう。「痛いんじゃないかなぁ」と申し訳なく思ってしまう。
 でも、キャベツは食べたい。「キャベツがかわいそうなんでわたしはキャベツは食べません。」という風変わりなキャベツ愛護者なんて聞いたことないけれど、キャベツ育ててるとそういう気持ちが湧いてきてもおかしくないと思う。だって、小学校の時、「わたしは家でニワトリを飼っているので鶏肉は食べられません。」という女の子がいたけれど、つまりはそういうことなのだ。育てていると情がわく。それは動物であれ植物であれ同じこと。って持論を必死で弁護しようとしてますけど、キャベツ愛護者って聞いたことない。わたしだけ? というか動物愛護があるのにキャベツ愛護がないのはどうして? 同じ生き物なのに。
 ってなこと言い始めるとわたしが二十代の前半に陥った食べ物が食べられなくなる状態に戻ってしまいそうだ。それは、やばい。
 いや、でもわたしの場合、キャベツだけ食べないキャベツ愛護者だから、肉も魚も卵も人参も大根も、キャベツ以外のものだったら何でも食べますから大丈夫。
「なぜキャベツを食べない?」
「キャベツがかわいそうだから」(即答)
 こんな問答をし出したから、おそらく皆さんはわたしのことを心配されていることだろう。でも、大丈夫。わたしはキャベツを食べますから。ええっっ!! かわいそうだから食べなかったんじゃないの? いえいえ、愛するモンシロチョウの幼虫がキャベツを食べるから、わたしもそれに倣ってキャベツを食べるのです。どういう理屈だよ。意味不明。
 ともかく、わたしは今日も勉強やら何やら生活において煮詰まるとキャベツの前へ行きキャベツを見る。そして、心を落ち着かせて軌道修正する。たかがキャベツ。されとキャベツ。キャベツを侮るなかれ、と言ってもいいくらいだ。
 キャベツを見て、ちょっとTwitterのいいねとリツイートの数に翻弄されて一喜一憂してたなと反省して心機一転。心を整え再出発する。いいねにもリツイートの数にも動揺しない(っていうかそのもの自体の存在さえも知らない)キャベツを見習って「さぁ、やっていこう」と思える。モンシロチョウを飼いたいがために育てるようになったキャベツだけれど、わたし自身本当にいろいろ大切なことをキャベツから教わっている。
 キャベツさん、ありがとう。あなたのおかげでわたしの心は青虫がすくすくと成長していくように大きく豊かになってきています。キャベツさんから滋養あふれる心の栄養を受けているわたし。わたしもモンシロチョウもキャベツなしでは語れない。

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