星の読書日記11冊目「自分への思いやりを持つことによって人生は開けていく」~林英恵『健康になる技術大全』

星の読書日記
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林英恵『健康になる技術大全』

 ハーバード大学で博士号を取った偉い偉い人。そんな人が健康を語る時にはどう語るのだろう。誰しもが興味をそそられることだろう。が、もっとガンガン、これを食べるべき。これを食べないと絶対病気になりますよ。運動しないと死にます。死にたくなければ運動すべきですよ。なんてことは言わないで、静かな語り口で、しかしちゃんと言うべき肝心なところはぼかさないで優しく教えてくれる。その物腰はとても低くて、謙虚さと謙遜さが混じり合っているよう。すごい経歴の持ち主なのにそれを微塵も誇ろうとしない。わたしはそんな著者の姿勢に襟を正されるような思いがした。人はある程度以上の高みに上るとかえって、そこから感謝の気持ちを持つようになり、神仏への畏敬の念を持つようになるのだという、高い次元のあり方を見させてもらったような気がした。
 健康になりたい。健康でいたい。もっと健康になりたい。誰しもが抱くこの思い。けれど、そもそもどうして健康になりたいのかと言えば、自分が大切だからではないかと思う。自分がどうでもいい存在で、いてもいなくても同じで、健康を害して死のうがどうなろうが知ったこっちゃない、となればあえて健康になどなろうとするだろうか。そうではなくて、自分が愛おしく価値があって、健やかでいるだけの値打ちがあるからこそ大事に大切にしようとするものだと思う。この本には健康になるための技術がこれでもかとばかりに書かれている。もちろん、その一つひとつの技術は大切で有益なのだけれど、最も肝心だと思ったのがやはり自己肯定感であり、自分への思いやりであるセルフコンパッションなのだ。これがしっかりとしている時に初めてこれらのすべての知識が役に立つものとなる。
 と言いながらもあまりにも本の中身にもふれないのはどうかと思うので、今振り返ってみると、わたしたちが暴飲暴食をしてしまったり、健康に良くない習慣をやめることができなかったり、その反対に健康にいい習慣を続けられないのは何もわたしたち自身の根性がないからとか、意志が弱いからとかそういったことではない、といった著者の言葉が印象的だった。「えっ? 違うんですか?」って普通は思うことだろう。えてして、わたしも本人の意志が弱いからではないかと思っていた。が、研究によれば、意志がどうこうではなくて、社会経済的な環境によるところが大きいそうだ。学歴が低かったり、そのせいで低賃金の仕事に就かざるをえなかったり、人間関係に恵まれず健康に悪い習慣を持つ人たちと付き合う。住環境なども決していい所には住めない。そうなれば、自ずと自己肯定感は上がらず、自分のことをダメだと思い、そのせいで大きなストレスを抱えることになって、体に良くない高カロリーなジャンクフードやお菓子などを反動で貪るように食べてしまうことになる。それを「お前の意志が弱いからジャンクフードやお菓子をやめられないんだ。根性を叩き直してこい!」と言うことがどれほどの暴力であることか。そして、そう言われたその人は「何でわたしは体に悪いものを食べるのをやめられないんだろう」と悩むことになり、一念発起してジャンクフードやお菓子を断とうとするものの、またそのことによってストレスがかかり、一時的にはやめられてもまたドカ食いをしてしまう。で、そうなればまた周囲の理解のない人からまた「あなたは意志が弱いからジャンクフードやお菓子をやめられないんだよ」とまた言われたり、冷たい視線に晒されることになり、以下繰り返し、となる。
 考えてみれば、ストレスを感じた時に高カロリーな食べ物を食べたくなるというのは理にかなってはいる。ストレスというのはある意味、非常事態であってその時にカロリーを体にため込むことによって危機的状況を乗り越えようとするわけなんだ。危機が起こってこれからカロリーが摂れなくなるかもしれない。だから、今のうちに摂れるだけ摂ってため込んでおこうと体は判断して実行に移させるということ。
 こう考えるといかにこの世界が理不尽であることか、とつくづく思う。お金に余裕のある家に生まれるか、それとも貧しい家に生まれるかでだいたいその人の人生というものが決まってしまうとも言えるからだ。実際、東大の合格者は経済的にも裕福な家庭の人が多いそうで、そして、その裕福な家庭の子どもがまた家庭を築いて、そのまた子どもも裕福な家庭で育ち、親と同じように高学歴となり……と高学歴の高所得者層の再生産をひたすら繰り返す。
 一時期わたしはこのことに悩んだこともあったけれど、そうしたこの世界の勝ち負けの土俵で戦うことが空しいと気付けたからそこからは距離を置いている。
 けれども、実際お金に余裕があればあるほど健康的な生活を送っているというのは事実であって、食べ物にしても運動にしても睡眠にしてもお金に余裕のある人の方が快適に過ごせるのは言うまでもないことではある。
 じゃあ、お金に余裕のない貧しい人はジャンクフードや安い体に良くないお菓子を食べていろ、ということなのかと言えば、そこにこの本の著者は救いの手を差し伸べようとする。お金があまりかからない方法でありながら、しかし、それでも効果的な方法を紹介してくれている。
 金銭的に余裕のない貧しい人たちにどのようにして自分への思いやりを持ってもらうか。そして、さらには彼らに健康的な生活を送ってもらい、健やかに生きてもらえるか。そのことが著者の念頭にあるのではないかとわたしは感じた。富裕層は別にいい。放っておいても自分で情報収集して健康的なヘルシーライフを送っているだろうから。でも、貧しい人はそうした情報にアクセスするのも難しいだろうし、知的にそうした情報を読み解くだけの学力だったり学識もないから圧倒的に不利だ。
 わたしの経験からも言えることだけれど、お金がないと自己肯定感は下がっていく。だってお金がないと自分を大切にすることが難しいでしょう? 自分にお金をかけるということは自分を大切に思う気持ちを育むことでもあって、お金のある人はいつも自分にお金をかけることによって、自己肯定感も育てているのだ。それもそのはずで、とても大切なお客を迎えてもてなす時にはありたっけのいい物を差し出して歓迎するはずだ。上等な物を出してこうして来てくれたことを喜ぶはずだ。そういった自分を日常的にもてなすことができないとしたら、それはある意味、ストレスとなる。生活を切り詰めて、カツカツの日々を送ることは言うまでもなくストレスだ。
 となれば、その心の隙間を満たすべく宗教が入り込んでくる。「あなたは神様に愛されているのですよ」とか「富んでいることや貧しいことは本質的なことではなくて心の平安こそが大事なことなのです」と囁きかけてくる。お金がなくて自分を物質的に満たせないあなたの心を満たそうとしてくれる。
 宗教であれ何であれ、自分を大切にすることを手助けしてくれるものは必要だし、いいものだとさえわたしは思う。それによって自分を大切に思う気持ちを取り戻し、投げやりな状態から脱して健康的な生活を送り、人生を楽しく快活に幸せに送ることができればそれでいい。
 結局、自分への思いやりの気持ちこそが肝心要であって、それを持てるか否かにかかっているようにさえ思える。そして、自分を大切にできる人は他の人に対しても優しくなれる。さらにはそういったその人の態度から世界が開けていく。人や自然と心地良くつながり、それらを愛し感謝しつつ、満ち足りた気持ちで毎日を送ることができるようになる。そう、自分への思いやりを持つことから人生は好転していき、広がっていき、その結果、人生は豊かなものになっていくのだ。人を妬んだり、恨んだり、攻撃したり、ジャンクフードや体に悪いお菓子などを大量に食べたり、衝動的に危険な快楽を求めたり、自分を傷付けたりといったネガティブなあり方とは対照的な生涯を送ることになっていく。
 最後に月並みな言葉になるけれど、そうした世界の入り口に立たせてくれたこの本の著者に感謝したい。ありがとうございました。

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