星のアシュタンガヨガ日記 第8回「みんな修行なんだよ。ゴリラなんだよ」

星のアシュタンガヨガ日記
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 どうもー。ここ1ヶ月あまりアシュタンガヨガ日記を更新しておりませんでしたが、皆さんこのコーナー(?)を楽しみにしておられますでしょうか? えっ? 忘れてたって? それは言わないお約束。そんなことを言うと星さんいじけて立ち直れないよ(笑)。なんて冗談はこれくらいにして行ってみましょう。いぜ、星のアシュタンガヨガのビギナーワールドへレッツらゴー(変なノリ)!!
 まず、すべてが修行だということについて。全てが修行。わたしの今のヨガの先生がそうおっしゃいます。その先生はインドへ修行に何回も行っている人でそれはそれは偉い人なのだ。とくれば、質問するしかない。はいはい! 星さんはいはい!!
「インドの修行って一日中ヨガをやっているんですか?」
「ここ(注:星が通っているヨガの道場)と同じだよ」
「え?」
「一日に何時間もヨガをやっているというわけではないんですか?」
「同じ。ただ朝が3時半とか4時頃から練習が始まる感じだね。だから、1日に1時間半くらいしか練習しないの。でも、ヨガっていうのはマットの上にいない時も含めてすべてがヨガだからその何もしていない時も修行なんだよね。インドの修行では毎日、自由な時間がたっぷりあって、15時間くらいはフリーかな。で、みんなおとなしく静かにしている人が多くて飲みに行ったり遊びに行ったりなんていう人はほとんどいないね」
 すべてが修行。耳が痛いです、お師匠様。星は白状しますと、ヨガの道場へ行くときに見かける若いカップルがうらやましくて仕方がなくなることがあります。ミニスカートの女の子がいるとジロジロと何回も見てしまいます。食欲がどうしてもおさえられなくて、ヨガから帰ってくると猛烈にかきこむように食べてしまい、苦しくなってもそれでもやめられず、その結果、無駄な贅肉が少しばかり付き始めてしまいました。完全なポルノ断ちができておらず、たまに見てしまいます。ダラダラと無目的にネットサーフィンをしてしまうことが本当にまれですがあったりもします。無職のままで何も仕事をしていません。
 そのできていないこと。これからも改善していくことが難しいこと。それらを何とかして自分を律していくこと。それが大きくひっくるめた時の修行なのだ。
 朝、始発の電車に乗るといろいろな人がいる。いろいろな人が乗ってくるのだ。中には、「キャバクラ行きて~」とか友人らしき人と大きな声で話をして盛り上がっているチャラそうなお兄さんもいれば、駅で若者の男子たちが彼らと付き合っている彼女のことを「○○の彼女、本当かわいいよな」とかまだ朝も6時そこそこだというのにまたこちらも女の子の話で盛り上がっている。かと思うとそこを仲睦まじそうに何組かのカップルたちが通り過ぎていく。
 こ、こ、これは誘惑でしょう? いや、完全に誘惑だ。そこをわたしはヨガマットと荷物を持ちながら心を乱されまいと風景として見てヨガの道場へと向かっていく。考えてみれば別にヨガなんてやらなくたっていい。ヨガの修行なんてやらなくたっていい。本能の赴くままに、毎日、ネットのアダルトサイト巡りをしてポルノを浴びるように見たり、キャバクラとかパブ通いをしたり、パチンコに競馬に競輪に競艇にとギャンブルをしたりしたっていいんだ。毎日、酒にタバコに不健康な食事にとやったっていいんだ。わたしの人生なんだからどう過ごそうが人にあれこれ言われる筋合いなんかない、とか言って好き放題やったっていいんだ。でも、わたしはなぜかそれをやっていないし、やろうとも思わない。それでは本当の意味での満足感だったり充足感が得られないと本能的に嗅ぎ取っているし、感じてもいるからだ。
 人は放っておけば楽な方へと流れていく。ズルズル、ズルズルと楽な方へと行ってしまう。けれど、それでは深い幸せにはたどり着けない。それを感じ取っているからこそストイックに自分を律しようとする。などと言いながらも、もし仮にきれいなお姉さんが体を密着させてきて迫ってきたらすぐに陥落してしまうことだろう。そんな誘惑に負けない、なんていう自信はわたしにはない。まだまだ煩悩まみれなわたしなのです。
 と修行論を書いてきたけれど、何なので今現在のわたしのアシュタンガヨガの進捗状況も書いておきたい、ところなのだけれど、修行ということでまだ書いていないことがあった。それはお休みのこと。アシュタンガヨガというのはムーンデーという新月と満月の日にヨガの練習をお休みするという慣例がある。そして、それに加えてさらに週に1日か2日は自主的にお休みにするのが一般的だということをヨガの先生から教えてもらった。そんなわけで、今わたしはムーンデー以外にも土日はヨガをお休みすることにしている。本当ね、今まではほとんど毎日やっている感じだったし、やってきた。でも、師匠は言う。「練習をお休みするのも修行です」。こう言われてしまったらお休みするしかない。アシュタンガヨガの世界では師匠、つまり、先生の言うことには基本的に逆らわずに従うものなのだ。
 お休みの日がだいたい月に9日か10日くらいあるようになってから、何だか消耗しきっている感じではなくなってきた。ひたすらいつも疲れている感じではなくなって、お休みでしっかり回復できているような、そんな感じですごくいいのだ。さらには少なくとも週に2日はお休みだからそれ以外の5日の練習をしっかりと濃いものにしよう、1回1回の練習を大切にしようという気持ちも生まれてくるようになった。言ってみれば、休むというのはすごく勇気が要ると言えば要る。逆に毎日お休みなんか作らないでやっていた方が楽なのだ。ちなみに、お休みを作って休むとなった時にはわたしは少しばかり不安になった。休んでしまって本当にわたしのヨガが深まっていくのだろうかと思ったのだ。でも、それは杞憂だった。かえって休むようになったことで生活にメリハリができて、ダラダラとヨガをやることが少なくなってきた(とは言えども、疲れてくるとヨガもダラダラこなすだけみたいな感じになってしまうけれど)。そして、体も、肉体的に回復される。まさにいいことずくめ。
 で、わたしの進捗状況は、と言うとあまり進んではいない。でも、先生はわたしのことを順調だと言ってくれている。だから、大丈夫なのだ、おそらく(おそらくじゃなくて大丈夫だろ)。実はヨガのポーズのブリッジの後にでんぐり返し(後転)があるのだけれど、それを自宅で練習していた時にやめれば良かったのに無理にやろうとして背中を痛めてしまったのだ。幸い、重傷ではなくて少しばかり筋を痛めた程度なのだけれど、まだそれをひきずっている。治りそうで治らない。そんな感じで、ここしばらくそこあたりから何も次のポーズが先生から与えられていないのだ。まぁ、しゃあないっしょ。でもさ、まだ2ヶ月なんだよね。ヨガの道場に行くようになって(3ヶ月かと勘違いしていたけれどまだ2ヶ月だった)。だから、2ヶ月でここまで進んだだけでも順調だと思うし、先生がそう言ってくれたのもうなずける。
 現在、わたしのアシュタンガヨガはいろいろと変形ポーズも随所に混ざっていて、まさにわたし仕様になっている。これも道場に通って先生から直々に指導を受けているおかげで、DVDではこんなことは絶対に無理。そういうわけで、完成形のポーズでやっているアーサナ(ヨガのポーズのこと)もあれば、少し負荷を減らしたり簡単にしているものもある。あぁ、こうしてみるとありがたいなぁ。先生がいることが何と有り難いことか。ありがたや、ありがたやなのだ。柔軟性や筋力が足りなくて変形しているアーサナもあれば、わたしが今、背中を痛めているがために変形してくれたものもあったりする。背中が痛い人向けの軽減法というものがしっかりとあるのだから、こればっかりはDVDでは分からないこと。
 最後に、何かゴリラ化してきています、わたくし。髪も短めに切ったし、体つきもたくましくなってきてまさにゴリラに近づきつつある。ヨガをやるだけではなくて、その反動で大量に食べてしまっていることも細マッチョではなくてゴリマッチョになりつつあることに拍車を駆けているのだろう(と言ってもまだ完全にそうなったわけではない。あくまでも近付いてきたっていうだけの話で)。華奢で一時は針金みたいな感じだったわたしがたくましくなってきている。まだ2ヶ月ですけど、何かが変わりつつある!! 太く筋肉質になった自分の手足を見ながら「ゴリラもまたそれはそれでいいかも(!?)」なんて思い始めているわたしがいる(笑)。日に日に強くたくましくなっているようです。以上。



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