ぐだぐだ不調日記第24弾「ウォーターボーイズ、その輝きを少しでもいいから分けてくれぇぇぇ!!!」

ぐだぐだ不調日記
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 どうも、星です。このぐだぐだ不調日記もついに最終回となりました。長らくご声援のほど有り難うございました。ほた~るのひか~り、まどのゆ~き~。本日も閉館となりました。お気を付けてお帰りください。
 最終回で閉館? 何だか意味がよく分からない。でも、ともかく最終回らしい。って間違えた。ウォーターボーイズが今日最終回なんだった。話せば長くなるから省くけれど(ってちゃんと説明しろよ)ともかくウォーターボーイズが最終回を迎えたのだった(だから説明しろって)。これだけではあまりにも不親切だからかいつまんで説明すると、最近ウォーターボーイズというフジテレビのドラマがテレビで再放送されたんだ(今もまだされていると思うけれど)。それをたまたま見た母がハマってしまい毎日楽しみに見ておりました。が、アクシデント発生。テレビが映らなくなった。テレビって簡単に映らなくなるもので(ってそんなわけないだろ)、それから2、3日見れなかったんだ。これはまずいと思って星さんが総力と試行錯誤を結集して直した。が、見れなかったウォーターボーイズの回をどうしても見たいということで、アマゾンのプライムビデオで見ることにしたんだ。FODというチャンネルで見ることができて、今なら何と初月200円。って宣伝みたいだけど、ともかく見ることになったんだ。で、そのウォーターボーイズも母の横で不真面目にチラ見しながら(音声はそばで聞いておりましたから話の筋はだいだい掴んでおります)今日がとうとう最終回、クライマックスなのです。
 何かさー、その盛り上がりを不真面目に耳で時々聞いていたらさぁ、自分がすごくみじめに思えてきちゃって。すごくキラキラしているのよ、彼らって。純粋でピュアで汚れを知らなくて、まっすぐで。一方のわたしときたら高校時代は暗黒時代とでも呼んでいいようなネガティブ、ネクラ少年だったでしょ。毎日パソコンをやって、ネットでつまらない議論ばかりしていて、そして暇があればテレビゲーム。で、学校行ってもまるで外国語状態で「はぁ?」って感じでただ椅子に座っているだけだったし。青春なんてほとんどなかったし、毎日本当吐き気がするくらいやる気なかったしで思い出すだけで嫌な気持ちになる。
 ウォーターボーイズの少年たちのキラキラと今の自分を比べたら本当落ち込むんだ。全然キラキラできていないでしょ、みたいで。
 青春、キラキラ、仲間、友情、恋。そんなものとは無縁でここまで来てしまったわたしはすごく劣等感を感じる。
 人が悩む時というのは大抵、他の人のことが視界に入ってきた時だと思う。自分は全然ダメじゃん、ってね。そこから負けるものかと歯を食いしばって這い上がるのが正しい活用法かもしれないけれど、そんなエネルギーはもうわたしにはない。今の生活をやっていくだけで精一杯で、とてもではないけれど青春、キラキラというのは無理だし、もう40近いおっさんが高校時代をやり直すだなんてときめきメモリアル(大ヒット恋愛シミュレーションゲーム)の世界に没入するなり何なりしない限りそもそも無理だ。ってゲームじゃない。現実でキラキラするんだ。現実で。
 でも、とここから自己正当化が始まる。キラキラってそんなにいいもんなんですか、と。本人が楽しくて充実していて幸福感を感じているならそれでいいけれど、キラキラも結構大変なんだ。キラキラもそれはそれで渦中にいる人間にとっては喜びもあるけれど、それなりに苦しいものなのかもしれない。お釈迦さまは「人生は苦」と達観された。どんなに恵まれた環境にいて、どんなに恵まれた状況になり、どんなに素晴らしい人間関係なんかができても、そうしたら今度はそれを失うことが怖くなってくるし、反対にそうしたものとは縁遠い場合にはそれらが欲しくて欲しくてたまらなくなり、それを持っている人に嫉妬して妬みさえする。かと言って、その中間の平凡とでも呼べる状況に置かれたとしても、それはそれで何で自分は成功できないのだろう、何で普通なんだろうと悶々としているだろうし、あぁ、そうか結局どうなっても不満は消えないんだ。あぁ、そうか。それが真理ということか。
 何かを手に入れることは何かに縛られることを意味するんじゃないかと思う。何かを手に入れた瞬間、それを手に入れる前の自由な境地からは遠ざかっている。というと、何も手に入れないのが本当の自由なのだと考えることもできるかもしれない。
 高校時代と言えば、3年間同じクラスだったKが弁護士になったらしいんだ。そのことは新聞広告の折り込みチラシから知って、衝撃を受けると同時にわたしは嫉妬しさえした。わたしがしがないブログで弱い犬の遠吠えのように吠えているだけなのに対して彼は今弁護士として活動している。この落差、このギャップ。でも、もしかしたら彼は彼で自分の仕事の重圧に押しつぶされそうでやめたいと思っているのかもしれないし、それは直接聞いてみなければ分からない。しかし、確実に言えることは、苦のない人生はないということ。どんなに人生が好転してうまく行って幸せ絶頂となってもそれはそれで一人静かになってみれば違う意味で苦しいし、その苦しさの度合いが少なかったとしても苦しさがゼロになるなんてことはない。程度の差こそあれども苦しくない人生なんてないんだ、と思う。
 でも、それでもあのウォーターボーイズの登場人物たちのようなキラキラ、少しでもいいから分けてくれぇってやっぱり言いたくなる。ないものねだりだということは重々承知している。でも、あの青春の輝きがとてもまぶしいんだ。
 高校3年生の時の担任の先生がたしかこんなことをわたしたちに紹介してくれた。松下電機(今のパナソニック)を立ち上げた松下幸之助氏が全財産を手放してでもいいから戻れるならあの青春時代に戻りたいと生前何かの時に言ったか書いたかしたらしいんだ。ものすごいたくさんの税金を納めて一大企業のトップだった人がすべてを捨ててでも戻りたいと言った青春時代。それほどまでに若い頃というのは若くてはつらつとしていてエネルギーに満ちあふれている。そんなあの頃に戻りたいのだ、と。
 わたしはもう10代ではないからあの頃に戻ることはできない。でも、まだ40代じゃないか(ちょい気が早い。まだ39歳だった)。これから第二の青春時代がやってくるのかもしれないし、素敵な恋だってあるかもしれない(ただ高校生の頃とは違ってお金とか仕事をしているかどうかとか面倒になってはくるけれど)。果たしてわたしは恋をするのか。素敵な仲間ができるのか。それは分からない。分からないということはこれからもできないかもしれないし、できるかもしれないということ。もしかしたら、今からでもキラキラできるかも、しれない。だって60過ぎてから結婚する人だっているし(しかも初婚)、同様に壮年の恋だってあるのだ。可能性がないわけではない。
 ここまでキラキラしたいだ何だと書いてきたけれど、もしかしたら案外今の自分に満足しているような気もする。っておいおいって感じだな。ここまで書いてきてそのオチかよ、みたいな。
 って忘れてました。自分が不調だったことに。ってそれこそ「オイ!」なことで、不調を置き去りにしてしまっていた。カムバック、じゃなくて、さようなら不調さん。今日も書いていたら持ち直せました。そんなわけで今日もぐだぐだ不調日記は特に劇的な何かが起こるわけでもなく終わっていくのでありました。読了感謝です。サンクス!!



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