青いけど

いろいろエッセイ
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 昨日から本を書こうと思い立ち、執筆を始めた。もちろん、売れるとか、どこかの出版社がわたしの本を出させてくれるとか、そういった保証は一切ない。でもまぁ、どこも出させてくれなかったらアマゾンで電子書籍の形で出してもいいかなぁと思っている。
 ともかくクオリティーがどうとか、そんな話をする前にまずは出来が良くなくても完成させること。それが大事なのだ。最初から90点とか100点満点の本を書こうなんて思うから、ましてやロングランとか名著とか、そんなところを狙うから書けなくなってしまうんだ。ま、ぼちぼち。ぼちぼち書いていこうと思う。もしも完成できなくて途中で力尽きて折れてしまったとしても挑戦したことは無駄にはならないのさ。なんてね。
 本を書いている中で自分自身の未熟さというか、至らなさみたいなものに直面させられて閉口している。おそらく日頃読んでいるご本の著者の皆様方がスゴすぎるのでありましょう。そんな彼らの人格とか生き方、生き様などと自分を比べると、また何だか自分がしょぼいとまでは思わないのだけれど、至らないなぁって思うんだ。またYのあの言葉がわたしの脳内に反響し始める。「無職が何言っても説得力ないよ」というやつが。これ、トラウマだな。心の傷だよ、まったくもー。
 でもたしかにYの言うことももっともだという気もしないことはない。だって「あなたは何やってる人なんですか? 何をやってきた人なんですか?」と聞かれるとわたし困るもん、本当。そう聞かれたら何て答えるかな。いい答えが思い浮かんだぞ。Yはこんなことを言うわたしを蔑むかもしれないけれど、わたしにとっては100点満点の答えが浮かんだ。
「人間やってきました」
「男として生きてきました」
「クリスチャンとして礼拝を守り信仰に生きてきました(今は教会行ってないけれど)」
「吃音者やってきました。3歳からなのでもう40年近くになります」
 そしてわたしが今書いている本で全面に出そうと思っていることが、
「精神障害者やってきました。統合失調症なのでもう病歴は20年近くになります」だ。
 わたしには職歴も、学歴も(放送大学やめちゃったから結局高卒なのよね)、資格もないけれど(でも、英検3級は持ってる)それでも今まで懸命に生きてきたじゃないの。まわりの人は、社会の一般の人たちは「何にもしてきてないですね。これではダメですね」とジャッジするかもしれない。でも、わたしはこのゆるいかもしれないけれど、波風があまり強くなかったかもしれないけれど、この人生という海を泳いできたんだ。それを「何もやってきてないじゃん」なんて言われて黙っていていいのか?
 けれど、わたしはあえて反論して相手の見下している態度そのものを攻撃しようとは思わない。反撃しなくても自分が、そしてわたしの母、精神保健福祉士のWさんやその他わたしのこれまでの人生の歩みに関わってきてくれた人たちみんなが「そんなことないよ!! 大地さんは一生懸命生きてきたよ!!!」と少ない人数ながらも大合唱してくれるはずだから、何もわたしが声を荒げて叫ぶ必要はないんだ。わたしのことをただ単にエントリーシートや履歴書のような紙切れから判断しようとするなら、おそらく魅力的な人間とは映らないし、むしろ困った勤労意欲に乏しい無職のお兄ちゃんとしか見えないだろう。
 誰かと比較したらわたしは青い。青いどころか赤ちゃんみたいなものかもしれない。いや、生まれてないくらいなのかも。偉人、それも世界に名を残している特大級の偉人なんかと比べたらわたしなんて何にもできていなくて、おそれ多くて穴の中に入ってしまいたくなる。イエスさま、お釈迦様。そういった人たちと比べるとわたしって何なんだろう、とも思う。って比べる人がスゴすぎるわけなんだけれど。わたしの青さ。でも、この青いのがわたしなんだ。だから、だからわたしは自分のことを卑下しないで良しとしたい。青いけれど青いなりに懸命に生きてきてここまでやってきた。そんな自分を「よくやってきた」ってほめてあげたいんだ。誰かと比べてどうこうじゃなくて、自分が、自分だけが知っている苦労がある。これがもしかしたら自己肯定感かもしれないなって思う。
 わたしまでわたしの敵に回っちゃったら誰が味方するわけ? あ、あとは神様だけだな。
 自分にとっての最高のVIPは自分だとある本に書いてあった。だったら大切に扱わなければ。
 どんなに多くの人から批判されたとしてもわたしはわたし自身に「あなたは正しいよ」って言ってあげたい。そして、神様もそれにゆっくりとうなずいて静かに微笑んでいる。それでいいんじゃないか、ってね。思うんだな。

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