ある有名人が自分と一緒にお寿司を食べる権利を100万円くらいで売っているらしい。また、昔、テレビ番組の企画として某有名アイドルグループが一人のファンのためだけに一曲を150万円くらいで歌ったりもしていた(もちろんそのファンの人が支払う)。
こういう話を聞くとイラっとしてしまう。まさに金の権化ではないかと思ってしまうのだ。
わたしも一時期、人気者になりたいと思っていたことがあった。少し種類は違うのだけれど、作家などの文化人になって尊敬され喝采を受けたかった。平凡な一人の青年が抱く夢としてはよくある話だ。
平凡であることは苦しい。何かをやってもほとんど注目してもらえないからだ。そして、自分よりも成功している人を見てはため息が出る。
でも、ある本を読んでいて、成功している人にはまた違った苦しさがあることを知った。人気があればあるほど、多くの人から尊敬されていればいるほど、迂闊なことが言えなくなるし、行動も制限される。要するに収入源である自分の支持者、賛同者の顔色を常に伺うようになるわけだ。少しでもその作り上げられたイメージに反する言動を取れば、批判されて叩かれる。一見、お金や地位や名誉を得ていて自由を謳歌しているようだけれど、これはある意味奴隷だ。自分の商品の購買者の機嫌を損ねることは没落を意味する。
そう考えると、平凡な自分も満更悪くないように思えてくる。人生はどう転がっても苦であって、完璧で欠点のない人生なんてない。平凡も非凡もただそれだけのこと。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。