いろいろエッセイ
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 昨日はお騒がせしました。はて? 何のこと? 今日この記事と一緒にアップした昨日書いた「おしまい?」という記事ではわたしの調子の悪さがこれでもかとばかりに伝わったかと思う。そのことを言っているのだ。とは言いつつも「星さんにはあんまり興味がないんだよねぇ」という冷めた方もおられる(それが圧倒的大多数? いやはや、皆様そんなにお冷たいの?)だろうから、まぁ、これくらいにしておこう。
 世の終わりがやってくるんじゃないかなどと書いたものの、今日もいつもと変わらぬ一日が始まり、お日様が上ってきてくれて、今日も一日の始まりだ~。何かテンションが、文体がおかしい、などということはもう承知の上。思っている言葉がほとばしっているのだ。だから、多少拙くてフライング気味であってもご容赦願いたい。
 1月3日に高熱が出て、コロナを発症してからかれこれもう12日。もうこれだけ時間が経てば、スッキリ、スパッと治っているはずで、今日なんかも教会の礼拝に行って、教会の皆様と一緒に神様を賛美したいと思っていたのに、ところがどっこい咳が出るのだ。
 咳。別に大したことではないのかもしれない。コロナになってから10日以上も経つというのに咳が出る。
 咳。これが曲者だなぁと思う。なぜなら、コロナ禍になってからというもの、世間の人々が咳に対して過剰なまでに敏感になったからだ。神経を研ぎ澄ませていると言ってもいい。とにかく、もう気安く咳ができないような社会状況なのだ。電車に乗るにしても、バスに乗るにしても、咳を一切してはならない。そんな無言の圧力というかプレッシャーを感じるのだ。咳をしようものなら、ジロリ、ジロリとまるで嫌な毛虫か何か見るかのように注視されてしまう。
 ましてや教会なんて、ほぼ高齢者しかいないようなものだから(70代が主力なわけね)、そこへ行って、ゴホン、ゴホンなどと咳をしていようものなら、その咳の中にコロナウイルスがいなかったとしても何だかとても申し訳ないし、教会員の彼らだっていい気持ちはしないだろう。「咳が出るならお家でおとなしくしていてください」と面と向かっては言わないとは思うけれど、心の中でそうつぶやくに違いないだろう。
 が、この咳、一体いつになったら治まるのだろう。あと一週間は続くのだろうか。それとも二週間? いやいや、三週間に一ヶ月。あるいはそれ以上? ともかく咳が今の段階でゴホンゴホン出ている以上、高齢者が集う教会には行けない。買い物だって必死で咳を押し殺して何とか行っているくらいなのだから、それは押してはかるべしだ。
 ありがたいことに熱は毎日計っているけれど平熱だ。36℃代の平熱で問題なくやれている。が、咳が出る。まさか、コロナが治った後に咳で悩むとは思ってもいなかった。というのも、コロナ中も咳は出ていたけれど、それ以上に高熱で激しい頭痛のほうが症状としてはメインで、咳どころではなかったからだ。
 咳を一日でもはやく治したいわたしは昨日アマゾンで咳止め薬を注文した。それが明日来る。良くなってくれればいいのだけれどそれを5日くらい使っても咳が治らなかったとしたらまた病院へ行ってこようと思っている。
 咳はまだ出るけれど、それでも回復してきているのか咳の回数が少しずつだけれども減ってきているように感じる。この調子で治っていってくれるといいなぁ。
 わたしも母もコロナの療養期間が終了した。母も熱はもう平熱みたいだし、わたしも平熱。ぼちぼち、今までの生活を取り戻しつつある。そんな感じなのだ。

 神様、わたしの咳を鎮めてください。そして、また教会へ行ってあなたを礼拝できますように。どうかよろしくお願いいたします。主イエスのみ名によって。アーメン。

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