ヨガを4時間? そんなの無理ですよぉぉ。

ヨガ
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 星さんのブログが更新されなくなってから数日あまり。問題です。星さんは何をしていたのでしょう? 正解はヨガをやっておりました。ヨガです。ヨガなんです。何でまたブログの更新ほったらかしてヨガやってたの?、と不思議に思うかな。まぁ、そんなこんなでヨガをやっておりました。
 でもね、24時間のうち寝ている時間以外、ヨガをやってました、なんてバカなことは言わないよ。そんなことしたら死んじゃう。肉体を酷使するヨガがそんなにできるわけがございません。でも、1日に少なくとも2時間はヨガをやっていました。そんな日々。
 何でまたそんなにたくさんヨガをやりたいと思ったかと言うと、変われるんじゃないかと思って。理由は単純明快。変わりたかった。自分自身、ヨガをやれば変わるんじゃないか。と言ってもさすがに単身インドへ飛び、ヨガの修行をすればベストなんでしょうけれど、そんな最初から大それた冒険はいたしません。できることから、できることから確実にぼちぼちやっていく。それが星流のあか抜けないながらもやることやっていくやり方なのです。
 本当は理想は毎日ヨガを4時間ね。4時間が理想。って何を根拠におっしゃる、とお思いだろう。インドなんかのヨガの修行をする滞在型の施設のアシュラムとう場所では午前と午後にそれぞれ2時間ずつの計4時間ヨガをやるらしい、ということをネットで知り、早速やってみよ~。トライあるのみ、ってなわけで4時間目指してやってみたんだけれど、やる気まんまんの初日であっても3時間20分でギブ。ヨガでギブとか、完全にヨガの精神に反しているけれど、それでもギブ。もうこれ以上やったらおかしくなる。体が消耗してボロぞうきんみたいになってる。体がギシギシ言っていて、それはそれは疲労困憊そのもの。
 自分のおうちのテレビの前にヨガマットを敷いて、ひたすらヨガのDVDでヨガ。初日なんて3種類のDVDを駆使してやってやりましたぜ、ダンナ。ってなわけで終わり頃は体がくたくたにくたびれて、それからDVDを見ながらだったので目も結構疲れていて(でも、ずっと見続けるのでなくて確認するようにチラホラ見る程度なのでダメージ少なし)、もうその日は爆睡でございましたよ。
 次の日、今日も少なくとも3時間はヨガをやるぞ~と意気込んでみたものの、昨日の疲れが残っていて2時間ちょっとしかできず。でも、その日、2時間くらいやってちょうど良かった。程良い疲れって言うんですか。運動が軽すぎず、重すぎず、程良く疲れていて夜もよく眠れる。ほどよい加減を見つけたのです。
 アシュラムでは毎日4時間ヨガをやるらしいけれど、やってみてそれは無理だと分かった。わたしにとっては4時間は無理で、頑張って3時間ちょい。2時間で程良い感じ。だから、2時間くらいが自分にとって心地いいんだなって分かったんだ。
 2時間って書くと、あぁ、それだけですか、と思うかもしれないけれど2時間だって結構長いよぉ~。だいたいヨガのDVDのプログラムって収録されているのが本当に長いものであっても90分で、大抵、60分くらいが最長。で、20分、40分、60分の中からお好きな長さのプログラムを選んでくださいねっていうのが多い。だから、その長い60分を2セット。これが結構やり応えがあるんだ。60分のプログラムであっても、最初はゆるめのポーズから始まって、だんだんアクティブになっていって、山場を迎えて、そしてまたクールダウンしていくポーズへと移り変わっていく。60分のヨガのDVDのプログラムってわたしは一つの物語のようにさえ感じるんだ。いろいろありまして、そして最後にはおだやかに終わります、っていう物語。
 ヨガをここ数日間やってみての変化について書いておきたいと思う。すごく心が穏やかになった。まず、心が穏やかに。ヨガという平和な世界に浸かっている時間が長くなったせいか、少しのことでは何もイラつかなくなっている。新聞の一面にネガティブな記事が載っていてもスルーできる。「はぁ、そうなんですか。大変ですね」と流せる。少しばかり他の人からきつい言葉を投げつけられても、ほとんどダメージを受けない感じだし、神経が平らになっていておだやかな気持ちが続いている。前だったら、少しのネガティブな言葉に反応してキリキリ、カリカリ攻撃態勢を取るかのごとく反応していたのが、なにもセンサーが反応しない。波風が立っていない静かな池のようで、そこに石が投げ込まれてもしばらくするとまた元の静寂が訪れる。これは最強なんじゃないかって思う。あんなに小さなことで目くじらを立てたり、イライラしたり、落ち込んでいたりした自分がたったこの数日間の自宅でのプチヨガ修行(修行というほどのことはしていないからプチね)でここまで好転している。いや、好転とか良くなっているというよりはゼロになりつつある。プラスでもマイナスでもなく水平な何もないおだやかなゼロ。ゼロっていう言葉が一番ピッタリくる。と言いつつもヨガマットから離れればまた現実の生活が待っているわけであって、波風が立つことは立つ。けれど、その振り幅というか揺れ動き方が小さくなっている。本当に画期的というか、わたしは変わってきている。確実に変わってきている。たった数日で、ここまで。
 そして、さらにいろいろなものが欲しくなくなってきた。もちろん、欲しいものがあることはある。けれど、あれも欲しい、これも欲しい、ではなくて本当に自分に必要な物を手に入れて、本当にやりたいと思えることをやればいいんだと見極めることができるようになってきた。わたしは今何をやりたいのか。ヨガをやりたい。じゃあ、ヨガをやろう。読書はできなくなるか、少しの時間しかあてられなくなる。でもいい。わたしはヨガをやることを選択しているのだから、選んだことを集中してやっていればいい。何もやることをどんどん広げていって自分を忙しくしなくてもいい。本当にやりたいことをやればいいんだ。自分にとって必要なことをやっていけばいいんだ。だから、すごく楽になった。力みがないというか、自然体というか。今までのわたしは常に焦燥感に駆られてもっともっとやらなければ。まだ自分は何にもできていない不完全な存在で全然足りていないんだ、と常に上ばかりを見ていた。でも、今は違う。わたしはたしかにすごい人たちと比べたら何にもできていないかもしれない。でも、わたしはわたしだし、他の人と比べる必要なんてない。わたしはわたしでいい。ヨガは人と比べるものではないように、わたしという存在も人と比べるものではない。競う必要なんてない。わたしはわたしなんだから、それだけで十分。わたしはわたしでもう十分満たされている。だから、ガツガツ求めなくても心が静かに欲するところに従っていけばいい。
 これがおそらく平和とか平安というものなのだろう。わたしはヨガを始めてまだ1年未満のビギナーだからもちろん、悟りとか悟った状態などには至っていない。でも、ヨガをやることによって心が平和になってきた。少しずつ、少しずつだけれど、確実に平和になってきて平安が得られるようになってきた。わたしが思う平安とか平和のイメージは、お釈迦様が菩提樹の下で瞑想をされていたような、そんなおだやかな心持ち。何にも煩わされていなくて、静けさがあって、穏やかで波風一つ立っていない心がどこまでも整えられていって、心の動きが止まっている状態。だから、自分にはあれが足りない、これが足りないと次から次に貪欲に欲望をかなえていくような感じではない。ご馳走をガツガツと暴飲暴食することでもなく、乱痴気騒ぎをすることでもなく、高価なブランドものの商品を札束をたくさん出して買いまくることでもなく、タワーマンションの最上階に住んで悦に浸ったり、フェラーリを乗り回すことでもない。平安を得るために必要なものは本当にわずかなもの。そこまでいろいろ断捨離することには躊躇してしまうわたしだけれど、それでも平安とか平和というのがどういう状態なのか、ということが見えてきた。方向性が見えてきたのだ。
 自分に必要なこと。本当にやりたいと思うこと。そんなことを静かなおだやかな心でやっていけたらそれこそ満ち足りた人生になるんじゃないか。そして、自分にとって本当に必要なものに囲まれて、それらを大切に扱う。などと偉そうなことを書いたけれど、わたしはようやくスタート地点かな、っていう感じ。
 わたしは今、ヨガをやっている時が一番満たされている時間でとても充実している。穏やかな境地を目指してさらにヨガを続けていけたらと思う。ヨガ11ヶ月。方向性が見えてきた。

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