『いやな気分よ、さようなら』という認知療法の本を最近熱心に読んでいるわたし。
認知療法がどういうものか簡単に説明すると、人間は出来事や五感で感じたことを自分なりに受け止めて、そしていろいろな感情を持ったり、いろいろ考えたりする。その時にどういう受け止め方をするか。そこがミソ。その物事の受け止め方がゆがんでいて問題があると、その結果、気分や感情も不快なものとなる。苦しくなってしまう。だから、その受け止め方、つまり認知を変えていこうよ。それが認知療法なのだ。説明終わりぃ。簡単でしょ。
で、認知療法を学んでいて思ったことは、幸せっていうのはやっぱり自分が幸せだなぁと思えるかどうか、っていうことなんだよな、ってこと。全く同じ環境にいても幸せな気分でいられる人と、何が不満なのか不平不満だらけの人がいる。これは両者の物事の受け止め方が違うっていうことなんだ。同じ3000円くらいのプレゼントをもらっても、「こんなに高価なものをいただいて本当に嬉しい」と思うか、「何だ、これっぽっちで喜べって言うのかよ」と思うかでは気分も感情も違うものとなってくるのは言うまでもない。
ポジティブな受け止め方をしている人はポジティブな感情を持ち、反対ならネガティブな感情をいだくことになる。
どっちが幸せかって言ったら、わたしはだけれど、小さな幸せを喜べるほうだと思う。同じものを手に入れたり、もらったりした時に「何だ、これっぽっちかよ」では寂しい。「こんなにいいものをもらった。嬉しい」と明るく無邪気に喜べる。そんな人でありたいと思うのだ。
ちなみに「何だ、これっぽっちかよ」と思う時には認知療法で言うところの認知のゆがみ(10種類ある)の「すべき思考」にあてはまる。相手はわたしにもっと高価な(だいたいいくら以上の物とその人はイメージしている)物をプレゼントするべきなんだ。それくらいすべきなんだ、と暗黙のうちに思ってしまっている。この「すべき思考」がこうして自分以外の人に適用される時にはイラつくことが多くなる。そして、がっかりしたり失望したりすることも多くなる。
でも考えてみれば、その人は「これっぽっちかよ」と思ったとしても、本来プレゼントというのは贈らないという選択もできたものなのだ。贈らなくてもいいな、と思ってプレゼントしないことだってできたのだ。それをその人はわたしに好意を向けてくれて、してもしなくてもいいものなのにプレゼントしてくれた。そういう風に考えると、とたんに目の前の景色が変わる。これが受け止め方、つまりは認知を変える、修正していくということが持つ力なのだ。だから、物事は受け止め方、考え方次第でいくらでも気分は反転して好転する。
もしこうしてポジティブに物事を受け止めることができたとしたら、それも日常的に当たり前のようにできたとしたら、それこそが幸福感に包まれた幸せな人生なのだと思う。もちろんお金がなさすぎたりすれば難しいということはある。けれど、人生というものはいかに物事を受け止めるか。そのことに幸せの鍵があるようにわたしには思えてならない。
と、今日も30分。タイマーが先ほど鳴りました。ってなわけで今日もこのへんで。じゃあね。またね。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。