飴玉とか駄菓子とかトライアングルみたいな?

いろいろエッセイ
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「ぼくらのクラブのリーダーは ミッキーマウス、ミッキーマウス、ミッキミッキーマウス♪」
 このミッキーマウスが主役の歌、ミッキーマウスのマーチを歌ったのはもうかれこれ30年以上も昔のことだろうと思う。小学校の音楽祭でこの歌を4年生が歌うことになった。で、わたしたち3組に割り当てられたパートはメゾ(中音)。1組と2組があのおなじみのメロディーで(ソプラノ、高音)嬉しそうに声高らかに歌っているのに、わたしたちはそれにつられないように歌うのに必死。「ソプラノが良かった」。3組のみんなは口々に文句を言った。
 でも、考えてみれば合唱というものは、高音のソプラノだけでは成り立たない。必ず、メゾとかアルトとかの中音、低音のパートを歌う人たちがいて成り立つ。
 主旋律、主なメロディーを歌うのはとても気持ちがいい。爽快感さえある。でも、今思うとこの中音、低音がいてこそ成り立っているというのはとても考えさせられること。みんなが主役だったらこの世の中も回っていかない。誰かが地道に地味な働きをしてくれているからこそ、この世の中は回っているのだとも言える。
 わたしのブログは農業や接客業やその他、この社会を下支えしてくれている人たちの働きとは比べることさえも失礼なくらい何も貢献できていないのではないかとも時々思ったりする。でも、わたしのブログの記事が読んだ人にほんのわずかであっても清涼感だったり、気が紛れたり、ほんの少し気持ちが上向きになったり、そんな駄菓子とか飴玉みたいな働きができていたらいいなって思ってるんだ(もちろん駄菓子とか飴玉の価値が低いとかそういうことを言いたいのではなくて)。
 もちろんこのブログが発展していって駄菓子とか飴玉以上の働きができるようになればもう万々歳なのだけれど、とりあえず読者の皆様にとっての飴玉、駄菓子でありたいなっていうのがわたしのささやかな願いだ。
 でも、もしかしたらだけれど、この飴玉のようなわたしの文章が誰かに大きな影響を与えるかもしれないというのは念頭に置くようにしている。だから、わたしの中には文章を書く上でのルールみたいなものがあって、人をおとしめたり、傷付けるような内容だけは書かないように気を付けている。でも、それ以外は好きなように書かせてもらってますけどね。
 飴玉に世界を変えるだけの力があるかと言えば、おそらく奇跡でも起こらないかぎり、そんなことはないだろうとは思う。でも、もしかしたらだけれど、落ち込んでいる時にわたしの文章に慰められたっていう人もいるかもしれない。だからこそ、いい文章を書いていきたいんだ。手を抜かないで(というか、気を抜きすぎて下ネタのオンパレードをやっちゃってる時もあるけれど)いい文章をコツコツ書いていく。成果というか、結果はいいものを提供し続けていればいつかはついてくるさ、くらいの気持ちで。
 冒頭のミッキーマウスのマーチでわたしの文章を楽器とかにたとえるなら、トライアングル(三角形の小さな鉄製の打楽器。叩いて鳴らすと「チーン」といい音が出る。)かな。地味に鳴らして合唱を引き立たせております、みたいなね。
 おっと、もう30分だ。今日もこのあたりで。いつも読んでくださりありがとうございます。ではでは、またね。じゃあね。

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