今日が最後の日?

いろいろエッセイ
この記事は約2分で読めます。

 今日は2月17日。ついに、ついに、と言いますかXデーがやってきてしまったのです。Xデーなんて星さん大げさすぎだって。何があったの?、とここは聞くところでありましょう。何があったの、星さん?
 ええとですね、明日がわたしが夢のお告げで死ぬと言われている日なのです。この夢、正夢(まさゆめ)なんでしょうか。それが本当なのか、あるいは取り越し苦労だったのか、明日ようやくわかるという次第なんです。
 夢を真に受けるまじめでスピリチュアル系な星さん。この日が来てしまうことを日々悩んでおりました。
 というか、明日がその日だとしても明日って24時間もある。0時0分から始まってこれまたその日の23時59分59秒まで。その間息が抜けない。というか、もうこうなったらなるようにしかならね~と開き直るしかない。なるようにしかならない。以上、終わり。
 エンディングノートはしっかりと書いたし、母に言うべきことはだいたい言った。だからもう悔いはなし。って死ぬ方向で考えてるわけ? 死なない可能性だってあるよ。いや、むしろ死なないで生きのびる可能性の方が断然高い。死ぬほうがむしろまれな出来事なんじゃないの? それは分かる。合理的に考えればむしろ死ぬほうがまれだ。でも、その合理性というか、頭で考えたことを超えた出来事が起こるんじゃないか。それがこわいわけよ。
 なるようにしかならない。物事っていうのはなるようにしかならない。だったらその中で神様に祈り求めつつやっていくしかないんじゃないか。神様は知っている。わたしが明日死ぬかどうかということも。すべての人がいつ死ぬかということさえも。すべては神様のみ旨(むね)のままになされていく。すべては神様次第。その言葉の意味を本当にかみしめているわたしなのです。
 今日行ってきたヨガ教室の代理の先生は(今日はいつもの先生は急用でお休み)わたしにこんなことを言った。「人生は一度しかないんだから楽しく生きてほしい」ってね。って今日が最後の日なのかもしれないわたしにこの一言は正直こたえました。でも、わたしの人生はとても楽しいものだった。それは言える。もちろん、達成できなかったことは山ほどあるけれど、それすらも今となってはいい思い出。って美化されとる? 思い出って美化されるものなのよ。思い出す時にはいつも美しいものなの。
 と言いつつ明日もおそらくブログの更新は生きている限りしていると思います。そして、明日を乗り越えて2月19日になっても生きていたら皆さん祝福してくださいまし。約束ですよおぉ。
 と30分のタイマーが鳴ったところで今日も終わりです。いつもより短く感じた30分。終わり。じゃあ、またね。

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました