宇宙から自分を見下ろす感じだな

いろいろエッセイ
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 何日ぶりだろう。久しぶりに宇宙の本を読んだ。最近、宇宙にあまり興味が持てなくなってきていて読んでいなかったんだけれど、ふと読みたくなってきて続きを読んだんだ。
 いつも宇宙について学ぶと思うことは、人間てちっぽけなんだなぁってこと。時々、自分に変な全能感が出てきちゃうんだけど、そうしたものをきれいさっぱり取り去ってくれる。全能じゃないんだ、ってまた気持ちを新たに持ち直させてくれる。
 宇宙って本当広いよねぇ。星って今望遠鏡で見えるだけでもいくつくらいあると思う? 700垓(がい)なんだって。1垓が1兆の1億倍で、700垓は7に0が28個もつく。
 わたしたちは日々、あれがどうしたとか、これがどうしたとかやっているけれど、それはあくまでも地球のそれもその中の日本の、さらに小さな領域でしかない。何かなぁ、スケールが違いすぎて宇宙の話って圧倒されるんだ。
 望遠鏡で見える星は遠すぎてとてもではないけれど実際に行くことはできない。そんなものすごい遠くの星から放たれた光が2023年の今を生きるわたしたちまで届けられる。それも何億年も前に放たれた光が。これって奇跡じゃないすか? マジで奇跡だと思うんですけど。
 これはもうよく言う話だけれど、地球以外に生命を持つ存在がいるとわたしは思うな。こんなに宇宙って広いんだし、きっと地球のような青くて美しい惑星だってあるはず。生命には水が必要。だから、ハビタブルゾーン(太陽のような自分で光り輝く恒星から程良い距離にある範囲のこと。そこでは水が蒸発したり、氷になったりせず、液体の水のままでいられる)にある惑星を探して生命を持つ存在がいないかどうか調べているんだ。ウルトラマンみたいにほぼ毎週のように宇宙人がやってくる、なんていう展開はおそらくないだろうけれど、いると思うんだよな。きっとどこかに。いや、地球人がただ単に井の中の蛙なだけで、うちら地球人がいることをもうすでにその宇宙人は知っていたりして。でも、何か理由があってあえてそのまま放置しているみたいな、ね。いや~、ロマンがありますね~。って共感できない? いやはや、それはちと寂しいですな。
 宇宙を学ぶと、毎日のこまごまとした近くしか見えていない状態から解放される。そして、自分をまるで地球の外側から、さらにもっと進んで宇宙全体からながめるような、そんな視点が得られてくる。自分を大きな、大きなところからながめる。それってすごく大事なことなんじゃないかって思う。足下しか見えていない状態から鳥さんになって上空から見下ろすみたいに、ね。
 おっと、今日も30分のタイマーが鳴りました。もう少し書いていたいけれど、時間は時間なので切り上げますか。じゃあね、またね。


 今日読んでいた宇宙の本はこれ。

 『小学館の図鑑NEO 宇宙[新版]』

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