良かったね、おばあちゃん

いろいろエッセイ
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 今日はちゃんとできるかどうかと不安だった。祖父に伝えなければならない。祖母が亡くなったことを。
 あいにくの雨模様で、しとしとと雨が降っている。自宅から祖父がいる施設へと向かうタクシーの中でひそかにわたしは祈りを捧げていた。「神様、どうか祖父に祖母が亡くなったことをきちんと伝えることができますように。そして、祖父がショックのあまり立ち上がれなくなりませんように。祖父の心を整え、強めて祖母が亡くなったこの事実を受け入れることができるようにしてください。主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。」
 今日は心強いことに母も一緒だ。あまりにしどろもどろになってしまったら、あとはよろしくと少しばかり冗談もまじえながら、母に今日話すことを箇条書きにしたメモをわたしは見せる。「わかった」と母。
 70年近く連れ添った伴侶が亡くなったと知った時、祖父はどんな反応をみせるのか。驚くのか、泣くのか、それともわたしが一番懸念していたこととして、わたしたちに怒り出して食ってかかってくるのか。分からない。こればかりは祖父の反応が読めない。
 もちろん施設に到着して今、言うまでもなくコロナのご時世だから必要書類に記入する。そして、祖父が来るまでにはあと5分くらいはまだ時間があるから、わたしは施設内にある自販機で飲み物を買うことにした。炭酸水。このもやもやとした雨の天気と祖父に伝えなければならないというこのプレッシャーを振り払うほどの爽快感はこの炭酸水にはなかったけれど、それでも飲んだら幾分かは落ち着いた。
 祖父がわたしたちを攻撃してくるんじゃないか。そんな心配が頭の片隅にはある。けれど、言わなければならない。大切なことなんだから伝えなければならない。それで、祖父が怒り出したり、泣き出したり、絶望のどん底に沈んでしまったりしたら、まぁ、軽薄かもしれないけれど、その時はその時だ。一番良くないのが祖父にこの事実を伝えないでおいて欺き続けることなのだから、何が何でも伝えるのである。
 もうここまで来てしまったのだ。祖父と会うセッティングも施設に頼んでしてもらったし、すべての手はずは整っているのだ。あとは祖父に事実を話すだけ。
 わたしと母で立てた作戦(?)はシンプルなもので、最初は「最近、どう?」とか「体調はどう?」「食事はおいしく食べれてる?」などと入りはやわらかくして、ワンクッション置くことにしよう。そんな感じで話す空気ができたら、「大事な話があって来たんだけど」と切り出す。これがわたしたちの作戦でありプランだったのだ。
 と、祖父が手押し車を押しながらスタッフと一緒にやって来た。いよいよだ。
 作戦通り最初はソフトな話題から始めた。そして、だいぶ場があたたまってきたようだったので、わたしが「大事な話があるんですが」と切り出した。「実はおばあちゃんが亡くなったんです。」祖父の顔から血の気が引くかと思いきや、「へ~」と意外な知らせにやや好奇心や新しいことを知った驚きのようなものが20%くらい混じっているような、そんな声を上げたのだった。
 祖父は言う。「12月頃におばあちゃんともう先は長くないっていう話を大地も一緒に来てくれてしただろ。だから、覚悟はできていた」と。案外あっさりとしている祖父である。
 母とわたしが持って行くかどうか迷っていた祖母の遺影。母が祖父に「遺影、見たい?」と聞くと、祖父は「見たい」と答えた。小さな祖母の遺影を渡すと「この写真、もらいたい」と祖父。さらに「この写真があれば元気が出るよ」としみじみと言うのだ。
 あと2~3分で特別面会の10分間は終わりだ。わたしが時計を見たので祖父は「あと何分?」とわたしに訊ねる。わたしはあと2、3分です、と率直に答える。
 祖父がわたしたちに言ってくれたこと。それは二人で力を合わせてやっていってほしい、ということ。それから、困ったことがあったら親戚のYに相談してやっていくように、とのことだった。
 最後に母とわたしは祖父に「ご飯をおいしく食べて元気にやってほしい」といったことを伝えた。祖父はそれに簡単に答えると、わたしがあげたプラスチック製の水戸黄門の印籠がぶら下がった愛車(手押し車)と共にスタッフに連れられて、いつもの場所へと帰って行ったのだった。
 そのスタッフが戻っていく時の祖父の様子をわたしに簡単に伝えてくれたのだが、やはりあの時は動揺した素振りは見せなかった祖父もやはり動揺していたらしい。「無理もないです。動揺するのが普通ですよ」とスタッフ。でも、何かそこにわたしは祖父の人間らしさというか、健康的な部分を見ることができたので、心配しながらも安心した(と言うと少し語弊があるけど)。
 祖父は今頃、自室で祖母の遺影を眺めていることだろう。もしかしたら、祖母の遺影を通して天国にいる彼女に語りかけているのかもしれない。祖父は祖母の遺影をぜひとも欲しいと言った。あんなに意欲に満ちて、積極的で能動的な祖父は久しぶりに見たような気がする。やっぱり、じゃなくてもちろん祖父にとって祖母は大切な人だったんだ。大切な人。そこに夫婦の絆というか、長年連れ添った者にしかわからない何かがあるのだろう。
 おそらく天国から祖母は祖父が遺影を大事そうに眺めている様子を見ていることだろう。そして、喜んでいるんじゃないか。
 遺影の中で幸せそうに微笑んでいる祖母。その祖母の写真を祖父はそれはそれは優しい目で眺めていることと思う。
 良かったね、おばあちゃん。

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